今回の選挙ですが、長期出張中及びあらかじめ選挙公示前から決まっていた私用を外すことが出来ず、どうしても投票することができませんでした。ちなみに、不在者投票なり何なり方法を模索してみたのですが、いろいろあってうまくいきませんでした。なので、この原稿の依頼は本来断るべきだったのですが、受けた時点では投票の可能性を探りながら日々の業務に追われておりました。非国民と罵られること覚悟の上で、駄文ですが寄稿させていただきます。恐らく寄稿されている方々で投票していないのは私だけでしょうから、今回棄権なさった方達にでも読んでいただけると幸いです。
もしも私が、この選挙に参加することができたとしても、支持政党は無く、比例は白票のつもりでした。もともと政党政治そのものと、選挙のシステムなどに大きな疑問を抱いております。
とにかく投票しろ、若い奴が投票すると日本は変わる、という話がTwitterのTLなどに日々たくさん流れてきます。とても後ろめたい気持ちでそれらを眺めていたのですが、今回、たまたま選挙に参加することができなかった私が言えることはたったひとつです。
選挙権のある人は、全員選挙に行くべきです。しかし、今回私は選挙よりも、自分の時間をとりました。急な解散にスケジュールを合わせることができませんでした
選挙権のある人は、全員選挙に行くべきです。しかし、今回私は選挙よりも、自分の時間をとりました。急な解散にスケジュールを合わせることができませんでした。
物見遊山的な私見ですが、今回の解散総選挙は、いくつかの法案や税制、経済政策、大きな国際的な取り決めごとを円滑に進めるために、現政権の延命措置、強化を行うべくしっかりシナリオをプロデュースされているものだと思っています。野党がひとつにまとまらず、政策に関する特筆すべき論点を「アベノミクス」ひとことにまとめ上げられているだけあって、前回の選挙や都知事選のような「市民参加型の政策論争」とは一線を画すものだと思っています。
私は各政党がマニュフェストとして掲げている経済政策に対しては今ひとつピンときていません
私は各政党がマニュフェストとして掲げている経済政策に対しては今ひとつピンときていません。
政治家たちは、経済政策を掲げると同時に、自身が働く姿とその労働理念を具体的に国民に示すべきだと思うのです。各政党から、ワーキング・プア、非正規労働者、低所得者、格差社会など、経済的立場に関するキャッチーな単語が飛び交っていますが、よくよく耳を傾けてみると何かを言っているようで何も言っていない、それでいて「国の経済は政府または各政党が命運を握っている」というような傲慢な物言いが目立ちます。
これは個人的な思いですが――どんな状況であれ、どんな職業であれ、自分の仕事をしっかり全うし、それができなかった時にはしっかり反省し、多かろうが少なかろうが、自分の仕事から報酬を得た時には、お客さんや家族、友人に心から感謝し、自分を少し褒めてやり、またあらためて日々の仕事に取り組むべき、と常日頃思っています。
綺麗事だと言われるかもしれませんが、そう思うのです。
これは、政府や政治家に何か言われてやることではありません。
変わらなくてはならないのは、寧ろ国民の方ではないかと思います
高尚で博学な著者陣に混じって、馬鹿丸出しで、選挙にも行っていない市井の音楽家が駄文を書いていることを心苦しく思いますが、今回の選挙に関する報道を観ていると、経済政策、という言葉の独り歩きに対して少なからず疑念を抱いております。勿論、幾つかの党が具体的に掲げている経済政策には成る程と思うものもありますが、それ以前の話として、報道番組などを通じて見えてくるアベノミクスに関する市民の声を聞いていると、「労働」と「経済」が結びついていないような、そんな印象を受けました。変わらなくてはならないのは、寧ろ国民の方ではないかと思います。
自分は次の国政選挙には行こうと思っています。なので急に解散などせず、しっかり準備できるだけの時間をください。
Photo by Angelo DeSantis(CC BY 2.0)