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【総選挙2014】理想の国の物語を書こう

  • 小川仁志 (哲学者)
  • 2014年12月14日


Photo by midorisyuCC BY 2.0

山口県から見た日本の政治

山口県に住んでいると、まるで国政選挙なんて存在しないかのように感じてしまうから不思議です。誰も選挙の話をしないし、演説が聞こえてくることもあまりありません。首相を何人も輩出してきたザ・保守王国だから、致し方ないのでしょう。

しかし、それでいいかどうかは別の話です。ある意味で、山口県の状況は日本全体の政治の象徴であるといえます。つまり、誰もが大きな力に寄りかかり、ある程度の安定と幸福があれば満足してしまう。そして現状を変えようとしない。そういう状況です。

さすがの日本人も、経済危機や大災害への対応ミスなどよほどの危機が訪れると、多少の不満は示します。ただ、それが革命に至るようなことはありません。アラブの春ウォール街占拠スコットランドの独立運動香港のデモ……ここ数年、私たちは世界で繰り広げられる民衆の反乱を横目に、相変わらず現状に安住し続けてきました。

考えてみれば、日本に真の意味での革命が起こったことなど一度もないのです。明治維新GHQの占領でさえ革命とは呼べません。なぜなら、民衆が君主の首を刎ね、自分たちの手で政治を行おうとしたことは一度もないのですから。

かつて政治学者の丸山眞男は、日本の政治システムにおいて、天皇に代表される正統性の所在と、大臣に代表される政策決定の所在が截然と分離されている事実を指摘しました。そして、それゆえに実権の下降化傾向が生じたというのです。つまり、決定者が臣下へ、またその臣下へと下降していく傾向のことです。丸山は、これによって正統性としての天皇が温存され、革命を防止してきたと考えます。その代わり、「革命不在の代役」としての支配者たちをコロコロとすり替えてきたわけです。

ここで私が指摘したいのは、丸山のいう正統性は、民衆の心を一つにまとめ、心の安寧を与えてくれる大きな力のようなものであって、いまや天皇そのものである必要はないという点です。そこから下降してくる代役でいいのです。天皇制とのつながりを可視化している安定した保守勢力は、まさにそんな代役として最適でしょう。

かくして日本人は、安定した保守勢力に寄りかかることで心の安寧を得ようとします。そして、逆にそうである限り、自分の力で世の中を変えることはできないのです。

市民に逃げ場はない

さて、そんな革命を起こせない日本人は、いったいどうすればいいのか? もちろん現状の社会が本当に安住に値する幸せなものなら、何も目くじらを立てる必要はないのかもしれません。しかし、今回の突然の衆議院解散がカムフラージュだと揶揄されたとおり、今この国ではたくさんの問題がカムフラージュされています。

たとえるなら、それと知らされずにダイナマイトを枕にして昼寝をしているようなものです

現実は私たちが思っている以上に深刻なのです。たとえるなら、それと知らされずにダイナマイトを枕にして昼寝をしているようなものです。長期債務は返済不能高齢化はピークを迎え税金は上げざるを得ない地方創生は待ったなし集団的自衛権は閣議決定され、中韓との仲は冷え切っています。おまけにエネルギー政策右顧左眄成長戦略はさっぱり見えてこない。同時多発的にこうした問題が爆発しようとしているのです

アベノミクスの評価や消費増税延期ばかりに目が行きがちですが、個別の争点だけを議論しても何の意味もありません。財布は一つなうえに、すべてはつながっているからです。長期債務を解消しつつ社会保障を充実させる。税金を抑えつつ景気をよくする。東京を世界都市にしながら、地方を創生する。集団的自衛権を認めても戦争はしない。靖国に参拝しながら中国や韓国と仲良くする。こんなことが同時に成り立つはずがありません

大事なのは、どのような社会にしたいのか、まずその理想像を明確に描くことです。そのためには、自分がどういう社会に住みたいのかよく考える必要があります。自分を主人公にして、理想の国の物語を書く。そしてその理想を実現するべく立ち上がるのです。実はそんな思いから、私自身、最近『自由の国 平等の国』という理想の国の物語を書いたばかりです。

政治家たちは行き詰まるたび責任逃れをして立ち去っても、市民に逃げ場はありません

究極の「革命不在の代役」は市民です。革命はなくとも、最後は私たち一人ひとりが立ち上がる必要があります。代役を任された政治家たちは、行き詰まるたび責任逃れをして立ち去っていきます。でも、市民に逃げ場はありません。最後は私たちの自己責任にされてしまうのです。そんな悪夢のような事態が目前に迫っているのです。

もはや今回の総選挙がどうのという問題ではありません。革命と違って、変革には時間がかかります。まずは歩みを始めることです。ゆっくりと、しかし着実に……。

著者プロフィール

小川仁志
おがわ・ひとし

哲学者

1970年、京都府生まれ。哲学者・徳山工業高等専門学校准教授。京都大学法学部卒業。名古屋市立大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(人間文化)。米プリンストン大学客員研究員(2011年度)。専門は政治哲学。「哲学カフェ」を主宰するなど、市民のための哲学を実践している。『はじめての政治哲学』(講談社)、『自由の国 平等の国』(ロゼッタストーン)他著書多数。

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