Photo by JOHN LLOYD(CC BY 2.0)
2001年に情報公開法が施行され、ほぼ同時期にはインターネットやケータイが普及し、21世紀は国民が情報主権者の時代が来るはずだった。それは、これまでは為政者や大企業が情報を独占し、自分の都合の良い情報だけを庶民に流すという時代から、政府と市民が情報を共有し、しかも双方向の情報の流れが実現するという意味でだ。
しかし実際はどうだろう。ちょうどその後の15年は、戦後70年間の中で稀有な、言論の自由がどんどん狭まる状況が続いている。たとえば、国家の安全ということをお題目に、緊急事態法制や秘密保護法制が作られた。そしてこうした法制度は、最も厳しいカテゴリーの表現規制を実施することとセットだ。勝手な取材活動ほど政府にとって危険な存在はないからだ。
強力なアクセルであればあるほど、性能が良いブレーキが必要
時の政府はその時ごとに、これでやっと「普通の国」になったと説明するが、そうした法制度を持つ国々には、きちんと「歯止め」も用意されている。なぜなら、政府はえてして秘密を隠したがるし、それが社会にとって大きなしっぺ返しを招く可能があることを知っているからだ。強力なアクセルであればあるほど、性能が良いブレーキが必要ということになる。
それはきちんとした政府の情報を外部からコントロール(監視)する仕組みであり、間違ったことが起きている場合は内部からアラームを鳴らす装置を内蔵しておくことだ。具体的には、文書管理制度や特定秘密に限らないすべての秘密の指定や解除の仕組みであり、内部告発者保護制度だが、日本の場合はまったくもってお座なりのもので、実効性はほぼゼロのままだ。
その結果、特定秘密保護法がその典型例ではあるが、出来上がった制度は間に合わせで作られた感が満載で、ブレーキは見当たらないか、あっても効きが悪い欠陥車そのものである。しかも車の作り手は、修理する気がないばかりか、勝手に改造してさらに危険運転の可能性が増している。
とすればここは、いまの車はいったん廃車にして一から作り直す、しかもその際には別の作り手に任せる、ということが必要だろう。
こうした状況は、安全保障分野に限らずほかの場面でもちょくちょく顔を出す。たとえば裁判員制度の中には、厳しい取材・報道制限の規定があり、裁判員の記者会見の際には裁判所の職員が立ち会って、発言を遮ったり取り消させたりしている。あるいは憲法改正のための法律の中では、選挙期間中に市民団体等がテレビCMを流すことを禁止し、その代わりに政党は公費で自由に広告を流せる仕組みを導入した。
教育分野においても似たような状況がある。教育基本法の改正ののち、教科書検定基準を変更し、教科書採択の仕組みを変えた。その結果、政府方針に沿った記述をすることが求められ、歴史評価に複数の説がある場合は、偏った紹介をしないことも求めている。そもそも絶対に正しい歴史というものを求めること自体、あまりの自信にたじろいでしまう。あるいは、教育現場において特定の教科書の使用に偏ること方が不自然だと思わないことが気持ち悪い。
これらは、放っておくとろくなことはないから、政府(あるいは公党)が責任もってきちんとした情報を流すので、国民はそれに従って判断しなさい、ということを求めているということだ。今回の選挙に際しても、政党が公平公正を求める要請文を放送局に出したというが、その内容を見ると親が子どもに言い含めるような細かいお小言が並んでいる。いつからこんなに、政府はお節介になったのだろうか。あるいはこうして政府に秩序維持を委ねることを不思議に思わなくなってしまったのだろうか。実はそれがこの15年なのである。
表現の自由はガラス細工だ。傷つきやすいし、いったん壊れたら元に戻すことは至難の業だ
表現の自由はガラス細工だ。傷つきやすいし、いったん壊れたら元に戻すことは至難の業だ。そしてそうした性格を一番知っているのは、実は政府であり政治家でなくてはならない。しかも、傷の中には見た目はわからないけど、徐々に浸透して、ある瞬間、一気に割れ目が広がるものもある。その代表例がメディアに対する「威嚇」行為である。
こんな数字がある。
1985=1、1992=1、1993=1、1994=2、1995=2、1996=2、1999=1、2004=5、2005=4、2006=6、2007=6、2009=2
上記は戦後70年間を通じて、放送局に対する「行政指導」と呼ばれる政府からの物言いの件数である。先ほどの要請文もそうだが、こうしたボディブローが効いて徐々に放送局が批判の自由を失っていくのである。自粛や委縮にはたいがい原因がある。そして、圧倒的に多い年の首相や官房長官がだれなのか、知ってから選挙に行くのも悪くない。放送の次の規制ターゲットは、ネットかもしれないのだから。