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【総選挙2014】アクティビスト型投票行動のすすめ

  • 亀井善太郎 (東京財団ディレクター・研究員)
  • 2014年12月6日


朝日新聞社提供

何を選択するかよくわからない総選挙だが……

今回の総選挙で私たち国民は何を問われているのだろうか。

政府与党のきわめて政局的な動機と自らの役割を忘れた野党の体たらくもあり、主権者である国民一人ひとりからするとまったくわかりにくいものとなっている。

11月18日、安倍総理は解散を表明する記者会見では、今回の解散総選挙に至った理由は、国会で決めた税の引き上げを見送り、一年半後に先送りするという重大な政策の変更を行うので国民に信を問いたいと言っているわけだが、そこに重大な誤解がある。

消費税引き上げに関する法律は国会が決めたことだ。停止条件に関する附則もあるとはいえ、国会で決めた法律に基づいて行動することが求められる政府が、その附則を適用するとはいえ、その意向を覆すのであれば、まずは国会にその事案を戻すのがスジだ。

プロセスこそがデモクラシーである

国会は「先送り」という行政の意思を踏まえ、そのうえでその趣旨に則り法改正するのか、それとも違う選択肢があるのか、議会として真摯に審議し、具体的な方向性を決めればよい。そのプロセスを経る中で、結果として、それぞれの主義主張が対立し、国会での審議では収拾がつかなくなり、国民に信を問う衆院解散という同じ結果に至るかもしれないが、そのプロセスこそがデモクラシーである。そうした経過を通じて、国民にとっての選択肢は具体化するし、国民はそこをきちんと見ることによって、自分ならこう考えるとか、自分はこちらに近いなといった選択肢に対する自分自身の意向を明らかにすることができる。

今回の解散総選挙に至る流れを小泉元総理による郵政解散と似ていると指摘する人がいるが、あのときは、少なくとも国会での議論はあり、政府とは異なる国会議決に至るといった、そういうプロセスを踏まえた総選挙だったことを忘れてはならない。


© iStock.com/EdStock

増税先送りのプラスとマイナスを自分ごととして少しだけ考えてみよう

増税を先送りするというのはどういう意味があるのだろうか。もはや野党も同調し、国民にとっては投票行動としての選択肢はないのだが、そこはきちんと考えておくことも必要だろう。

いまの厳しさと将来の厳しさのどちらを採りますか

その問いを簡単に考えれば、「いまの厳しさと将来の厳しさのどちらを採りますか」ということだ。いまの厳しさを考えることはたやすいが将来の厳しさは直面していることではないのでなかなかイメージしづらい。国の借金が返せなくなるからといって、自分にどんな影響が出るのかもイメージしづらいのが現実だ。

国の財政を身近に考えることができる簡単なやり方の一つは、いまの政府予算や借金の金額の単位を「兆円」から「万円」に読み換えることだ。「兆」を「億」で割ると「万」になる、つまり、日本国民をだいたい1億人として考えれば、一人あたりの財政の規模感が見えてくるようになる。その計算でいけば国の借金は一人あたり約1000万円ある。知らず知らずに1000万円の借金を持たされているのだ。もし、それが自分自身のローン残高だと思えば、とてつもない規模だということはすぐに実感できる。また、国の歳出の使い道を見てみれば、その多くが高齢者向けの社会保障費に向けられているが、受けとる高齢者と負担する現役世代、この構造が今後さらに深刻になるのは、日本の人口ピラミッドを見れば、容易に想像はつくはずだ。

デモクラシーを採用する国々の多くが過剰債務に苦しんでいる

そうは言っても将来の辛さよりも今の辛さをとってしまうのが人情だ。いまの選挙制度では、例えば20歳未満やまだ生まれていない子たちも含めて将来負担しなければならない層には投票の権利がないこともあり、社会としての意思決定は将来に痛みを先送りしがちだ。じっさい、デモクラシーを採用する国々の多くが過剰債務に苦しんでいることからもそれは明らかだ。

財政再建に積極的に取り組む欧州では、欧州連合への加盟維持のための財政規律導入ばかりでなく、各国の財政状況を比較するための統一した仕組みづくりが進んでいて、経済学等の知見を活かした将来を見通す推計が広く社会で共有され、これが政策検討や評価に活用されている。米国でも、政府がつくる数字ばかりではなく、議会や民間が作る将来の見込みがあり、政府のお手盛り推計を退け、国民が現在ばかりではなく将来のことを考えるきっかけ作りが進んでいる。そうしたことは、日本の今ある推計から見た財政の将来見通しの分析も含め、本年11月17日に僕が書いた『財政再建に目を背ける日本への処方箋―ポピュリズムに陥るその前に』に詳しく書いたので、是非そちらも読んでみてほしい。

私たち一人ひとりができること:アクティビスト型投票行動のすすめ

争点が明らかでない、それでも投票の機会がきた、そんな選挙において、私たちはどうすればよいのだろうか。

そこで提案するのが、本稿のテーマに掲げた「アクティビスト型投票行動のすすめ」である。

アクティビストとは元々は投資先企業の経営陣に積極的に提言をおこない、企業価値の向上を目指す投資家や株主のことを呼ぶ。転じて、デモクラシーでも主権者である国民がもっと積極的に動いてもよいのではないかと考え、ここで使ってみることにした。そう言えば、ポリタスの津田編集長も自分の肩書にこれを使っている。つまり、アクティビスト型投票行動とは、積極的な行動を伴って投票に臨むことだ。

政治家はダメだという人が多いが、ダメにしているのは、彼らを甘やかしている国民自身だ

ポリタスにこう書くのも変な話かもしれないが、誰かの意見を鵜呑みして投票するのは止めたほうがよい。よくよく考え、自分自身で納得して投票しなければならない。自分の好きな〇〇さんが言っていたからとか、なんとなく感じがいいからとか、駅に立っていたからまじめそうとか、お祭りに来ていたとか、あそこで会ったとか、〇〇さんから頼まれたからとか、そういう理由で投票しているうちは日本の政治はよくならない。政治家はダメだという人が多いが、ダメにしているのは、彼らを甘やかしている国民自身だ。

では、アクティビスト型投票行動とは具体的にどうすればよいのだろうか。プロセスとしては、

(1)関心のある社会課題を探す
(2)これを候補者への質問にしてみる
(3)実際に事務所に行って聞いてみる
(4)答えを待ち、それを踏まえて、自分の一票の行先を考える

というのが大まかな流れだ。

まずスタートは自分で関心を持つ社会の課題を考えることからだ。税金のこと、エネルギーのこと、環境のこと、貧困のこと、子どもたちのこと、医療のこと、経済のこと、分野もテーマもなんでもよい。

次に、その社会の課題について、候補者にあなたはどう考えるのか、それをどう解決しようと思うか、質問を作ってみよう。

例えば、「あなたは〇〇という社会課題の解決が必要だと思いますか。他の政策課題との優先順位でいえばどのくらいの順番ですか。それはなぜですか。それを解決するための具体的な政策はなんですか。それでなぜ解決できるのですか?」といった感じだろうか(きちんと考えていない候補者の化けの皮を剥がすためには「なぜ」や「具体的に」を聞くのが肝心だ)。

そうしたら、その質問をそれぞれの候補者のところに持っていくのだ。社会科見学のつもりで候補者の事務所に行ってみるのも楽しい。ダルマが置いてあって、神棚があり、案外神頼みが多いなあなど、訪れることで発見することもある。ボランティアとして手伝っている人たちもいる。賑やかなのかそれとも静かな場所か、そういう印象を持つこと自体が面白い。

選挙のときこそ候補者たちは有権者の声や質問に真摯に耳を傾ける

候補者の選挙事務所なんて行ったことがないし、自分が行ってはいけないような気がするという人もいるだろうがそれは誤解だ。事務所は有権者の声を受けとめるためにあるし、なにより、選挙のときこそ候補者たちは有権者の声や質問に真摯に耳を傾けるものだ。もちろん候補者がいなければ(実際にはいないことの方が多い)、秘書や事務所スタッフ、ボランティアなど、この質問をきちんと受けてくれる人に質問を託さねばならない。このタイミングで耳を傾けない人であれば、これから先も耳を傾けることはないだろう。事務所まで遠いのであれば電話、メールやファックスでもよい。そのとき「自分はこの選挙区の有権者だが、自分の投票行動の参考にするので、きちんと答えてほしい」と申し添えるのがコツだ。


朝日新聞社提供

候補者からの答えは自分の考えと同じでない場合も多いかもしれないが、判断すべきは、こうした問いを主権者が発したときに候補者がどう応えるか、だ。答えだけが重要なのではない。答えとその理由を、あなたが納得できる話として返してくれているかどうかがより重要なのだ。有権者はそれを候補者から聞くことで、彼らに明確な考えと行動が伴っているか——政治家の質を見極めることできるようになる。

努力を有権者が続けることで、未来の政治家となる候補者は鍛えられる

もしかすると、あなたの選挙区のすべての候補者が期待に応えられない水準となることもあるかもしれない。投票したい候補者がいないというのは辛いことだ。ただ、こうした努力を有権者が続けることで、未来の政治家となる候補者は鍛えられることになる。そういう鍛えられた政治家を育てるのは国民の権利であり義務のはずだ。


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いま、日本のデモクラシーは危機にある。水と空気とデモクラシーはタダだと思う日本人は多いが、いずれも不断の努力によってのみ守られる。今回の選挙は、主権者である国民の代表が集まる国権の最高機関である国会の機能を行政のトップが軽んじ、また、与野党問わず、そこにいる人たち自身がその機能の重大さに気付いていないことに原因がある。これこそ、国民主権や政治への信頼を含むデモクラシーそのものを破壊させかねず、もしそうなれば、その痛みは結局は私たちが被ることとなる。これを改めていくには、政治家だけに政治を任せていてはならない。まずスタートはアクティビスト型投票行動からだ。私たち自身が政治家を鍛えるところから始まるのだ。

著者プロフィール

亀井善太郎
かめい・ぜんたろう

東京財団ディレクター・研究員

1971年神奈川県伊勢原市生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)、ボストン・コンサルティング・グループ、衆議院議員等を経て現職。みずほ総合研究所アドバイザー、特定NPO法人アジア教育友好協会理事等も兼ねる。非営利・独立・民間の政策シンクタンクである東京財団において、統治機構や政策形成プロセス、経済・財政・社会保障等に関する政策立案とその実現に資する研究と発信を続けている。また近年は公共政策の立場から企業と社会の関係でもあるCSRに関する研究にも取り組む。

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