衆院選の主要な争点である安倍政権の経済政策「アベノミクス」の是非をめぐり、与野党で様々な経済統計の数字を交えた論戦が熱を帯びている。与党は雇用や賃金の好転ぶりを数字で誇り、野党は別のデータを使って反論する。ただ、自らに都合のよい数字だけを持ち出す実態も浮かぶ。
「平均で賃金が2%上がった。15年ぶりです。ボーナスも7%上がった。24年ぶりです」。安倍晋三首相は6日、兵庫県姫路市の街頭演説で立て続けに数字を並べて実績を強調した。
「簡単に言えば雇用を増やし、賃金を増やすことだ」。アベノミクスをそう説明する首相が毎回持ち出すのが、この春闘の実績だ。実際、労働組合の中央組織「連合」の調査では、今年の春闘で賃上げ率は平均2.07%。「民主党を応援する連合の調査ですよ」。そう挑発的に語ることもしばしばだ。
民主党の海江田万里代表は「賃金2%上昇はごく一部の限られた企業だけだ」と反論する。厚生労働省の調査によると、連合加盟の雇用者は全雇用者のわずか12%。組合がない企業の労働者や非正規社員は含まれないためだ。
賃金の額面が上がっていると訴える首相に対し、共産党の志位和夫委員長は、物価上昇の伸びを差し引いた実質賃金指数では「16カ月マイナス」と強調する。厚労省の毎月勤労統計調査では、昨年7月以来マイナスが続く。円安による食材の高騰なども含めた物価の上昇に追いついていない。
こうした批判に反論するため首相が持ち出したのは「総雇用者所得」という耳慣れない統計だ。
賃金に雇用者の人数を掛け合わせるため、雇用者数が増えるほど数字は大きくなる。安倍政権になって雇用者数は増えている。首相は「私が20万円の給料をもらっていて、妻が10万円のパートを始める。安倍家の収入は30万円に増えるが、平均値は15万円に下がる」と説明する。1人あたりの平均の賃金が伸びていなくても、雇用者全体では所得が増えている、というわけだ。首相はさらに、その数字が「消費税の引き上げ分を除けば上昇している」と訴える。これに対して生活の党の小沢一郎代表は「正社員として採用され身分が安定して初めて消費に回る。そうじゃないと財布のひもを締めるしかない」と批判する。
雇用では、職を探す一人につき何人分の仕事があるかを示す有効求人倍率の「手柄争い」が熱を帯びる。
「有効求人倍率は、22年ぶりの高水準であります」。首相は6日、兵庫県尼崎市で力を込めた。演説で必ず触れる数字だ。
倍率は民主党政権が倒れ、第2次安倍政権が発足した2012年12月には0.83倍だった。その後上昇を続け、13年11月には約6年ぶりに1倍を超えた。今年は年平均で1992年の1.08倍に並ぶ。首相は「政策は成果を上げつつある」と強調する。
だが、同じ有効求人倍率の推移から海江田氏が訴えるのは、民主党政権の実績だ。08年のリーマン・ショック後に急減し、翌年の自民党政権末期に0.42倍まで落ち込んだ。「民主党時代からの伸びが今も続いている」と海江田氏。民主党政権が道筋をつけたV字回復の流れに、自民党は乗っかっているだけ——。そんな思いがにじむ。(三輪さち子、藤原慎一)
仕事巡り「データ合戦」
経済政策をめぐる与野党の「データ合戦」は、雇用者数でも激しい。安倍晋三首相(自民党総裁)は主に自らの政権で雇用者数が増えたことに焦点を当てる。これに対し、野党は「雇用の中身」を問題にする。
安倍首相が演説で、有効求人倍率の上昇とともに必ず強調するのが、自らの政権で「雇用を100万人増やした」という実績だ。
確かに、その数字には根拠がある。総務省統計局によると、第2次安倍政権が発足する前の2012年7~9月期から14年7~9月期で、役員を除く雇用者は全体で約101万人増えた。
だが、共産党の志位和夫委員長は「首相は雇用が増えたと自慢しているが、増えたのは非正規雇用だけだ」と、批判の矛先を正規雇用が増えていないことに向けている。
この2年間、雇用者数を押し上げたのは、123万人増えた非正規雇用だ。反対に正規雇用は22万人減った。全体で増えた101万人のうち、54%を非正規の女性が占めている。生活の党の小沢一郎代表は「正規、非正規の格差が非常に広がり、日本の将来にとって非常に危ういことになりうる」と指摘している。
安倍首相は最近、野党からの「増えたのは非正規」とする批判に対し、演説で反論を始めた。昨年と今年の7~9月期を比べると、正規雇用は10万人増えている。そのデータを持ち出し、その時期には「正社員は10万人増えたんです」と訴えている。
賃金や雇用をめぐる実績アピールと批判の応酬が続く一方、国全体の財政立て直しについては、ほとんど語られていない。
1日の党首討論。安倍首相は政策の経費を税収でまかなう基礎的財政収支(プライマリーバランス)について、20年度の黒字化を目指して来年夏までに計画を策定するとした。
だがそれ以降、街頭演説でこの話題に触れることはない。伸びる社会保障費をまかなうために消費税や保険料の引き上げは避けられない状況だが、国民にどれだけの負担がかかるのか。その数字は示していない。
公明党の山口那津男代表も「アベノミクスで社会保障と財政再建を前へ進めていきたい」と述べても、国民の「痛み」については具体的に触れない。
野党も状況は同じだ。「人への投資」や「厚く、豊かな中間層の復活」を掲げる民主党も、社会保障費をまかなうための必要な経費については具体的に示していない。
維新の党は公務員の給与カットなど「身を切る改革」を訴え、共産党は大企業の内部留保を一部活用して財源を確保するという。
だが、人口が減っていく中で社会保障を維持し、膨らんだ借金を返済するために十分な財源となるのか。包括的な解決策については口をつぐみ、聞こえのいい数字を並べる党が目立つのが実情だ。(藤原慎一、三輪さち子)
日本総研の山田久チーフエコノミストの話
約20年間、賃金の下落傾向が続いていた雰囲気を変えたことは、アベノミクスの成果として評価はできる。安倍晋三首相は、デフレからの脱却というマクロ経済の変化を強調している。
一方、野党側は一人一人の生活水準として、賃金が物価上昇に追いつかず、苦しくなっている点を強調している。円安は大企業にはプラスだが中小企業には負担が大きく、野党はこの点も批判している。
アベノミクスで収益が上がるのなら、政権は賃上げ要請をするだけでなく、もうけた分を賃金につなげるルールの議論をすべきだ。
朝日新聞デジタル 特集「2014衆院選」
http://www.asahi.com/senkyo/sousenkyo47/