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「しきたり」と日本人
統計数理研究所が長年に渡り調査を続けている「日本人の国民性調査」という資料がある。「個人的態度」として、「あなたは、自分が正しいと思えば世のしきたりに反しても、それをおし通すべきだと思いますか、それとも世間のしきたりに、従った方がまちがいないと思いますか?」という設問への回答の変化が、興味深い。
出典:統計数理研究所「日本人の国民性調査」#2.1 しきたりに従うか
調査開始の1953年から73年の20年間は、世の中のしきたりに反しても自分が正しいと思うものを押し通すという回答が最多だ。
1953年と言えば、終戦からまだ10年経っていない。世間のしきたり、あるいはそれまで社会正義だと思っていたものが崩壊し、自分の中に一本筋が通っていなければ生き残れなかった時代が、70年代半ばに終わったのだと言える。これは奇しくも、戦後の高度経済成長の終わりと同時である。
78年から88年の10年間は、世間のしきたりに従った方が間違いないとする回答が主流となる。成長期に生まれた新しいしきたりに従い、長いものに巻かれて姿勢を低くすることで大過を避け、守りの姿勢に入った時代だと言える。
そしてこの低姿勢は、バブル景気が終わると同時に「場合による」派にトップの座を明け渡す事になるのだ。1993年から現在に至るまでもっとも多いのが、「場合による」派である。
負け組になりたくないという意識が強まっている時代
「場合による」とは何か。それは、周囲の流れを注意深く観察することで、自分の立ち位置を決めるという生き方である。自分がどう考えるか、自分の信念と照らしてどうかという事よりも、多数派として生きていきたい、負け組になりたくないという意識が強まっている時代と言うことができる。
社会学者の土井隆義はこれを称して、「GPS的価値観」と呼ぶ。かつての社会にあった、自分の中に持ち合わせている基準に照らし合わせて生き方を決めるのが「羅針盤的価値観」だとしたら、複数の観測点となる「衛星」を測定することで自分の価値観を決めるからである。
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変えなければいけないのは意識ではなく選挙制度
皆さんはこの日本がどういう国であるべきかと問われたときに、どのように答えるだろうか。おそらく多くの方は、津田大介でも池上彰でも堀江貴文でもいいや——複数の信頼できそうな人の意見を聞いて、その人達がそろってこうと言うならそっち方向でお願いしますと考えたいのではないだろうか。
そういう決め方の是非を云々したいわけではない。今はそういう風に自分の立ち位置を決める人が多数派の時代に、私たちは生きているのだと、そういう話なのである。ただそんな時代に、日本は数多の重大な決断をしなければならない局面を迎えた。
選挙は元々、選ぶことしかできない。だが一人の政治家は、多過ぎるテーマに対して様々な意見を持っており、自分の方向性にぴったりの政治家が誰なのかを探せない。またせっかく探し当てても、選挙区が違えばその政治家が通るように投票もできない。さらには通ったとしても、その政治家が少数派であれば、自分の意見は反映されないかもしれない——こうしたいくつもの理由で、政治への関心が削られてゆく。
無責任なのではないのだろう。おそらく自分の票の重みを知れば知るほど、責任を感じれば感じるほど、簡単には決められないというジレンマの中に入り込んでしまっている。若いヤツがもっと投票に行けば政治は変わるという人も多い。だが今の選挙制度のままでは、「投票で変化を起こす」なんてことは夢物語で終わる。
選挙システムの改革をしつこくしつこく求め続けることが、今一番必要なこと
そもそも選挙制度見直しの議論は、いつも選挙直後に、まるで火傷の手当のようなやり方でしか起こらない。なぜならば、勝者が今後も勝ち続けられるようにしか、ルールを変えないからである。思い通りにならなかった選挙結果への不満を、投票に行かなかった若い人にぶつけても仕方がないのだ。筆者は選挙システムの改革をしつこくしつこく求め続けることが、今一番必要なことだと思っている。