ポリタス

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【総選挙2014】みな勝手に投票すればいい

  • 東浩紀 (作家・思想家)
  • 2014年12月13日


撮影:津田大介

選挙について書くのは苦手である。あとで書くこととも関係するが、ぼくはそもそも、毎回選挙のたびに現れる、みな有権者の自覚をもつべきだ、国政に関心をもつべきだ、選挙に行くべきだというキャンペーンに強い違和感をもっている。選挙なんて、みな勝手にすればいいと思う。それでも、津田大介との友情を壊さないため、感想めいたエッセイだけ寄せたいと思う。

今回の選挙について、じつに多くのひとがじつに多くのことを語っている。しかし、だれもが知るように、今回の選挙の争点は理解しにくい。このサイト(ポリタス)への投稿を一覧しても、みなむしろ争点を探すことに苦労しているように見えるアベノミクスの是非が問われるというが、野党に有効な対案があるわけでもない。そのようななか、リベラル側からは、今回の選挙、論点はないがしかし投票には絶対行くべきだ、なぜならばここで問われているのはもはや個別の政策の是非ではなく、安倍政権の是非であり、この時代の「空気」そのものの是非だからだ、というきわめて抽象的な議論も現れている。

しかし、そのような議論は、選挙の本質を見失っている。ぼくも安倍政権には批判的である。保守的で排他的で愛国主義的なイデオロギーには嫌悪感すら覚える。つまり時代の空気には肯定的ではない。

時代の空気は政治家だけが作るものではない。政治家は空気に乗っているだけである

だがそのすべてを政権与党の責任に帰するのは明らかに無理である。時代の空気は政治家だけが作るものではない。政治家は空気に乗っているだけである。それゆえ逆に、空気は選挙により変えられるものでもない。たとえばヘイトスピーチの拡大であれば、責任の一端は、ヘイトを掲載すればページビューが伸びる、部数が伸びるという「市場原理」に安直に従ってきた事業者や出版社にもある。現代日本の空気を変えるためには、ぼくたちひとりひとりの、もう少し深いレベルでの意識改革が必要である。ネトウヨ化したほうが支持者が増える、そう政治家が判断する土壌があるかぎり、今回の選挙で自民党が多少議席を減らしたとしても、あまり状況は変わらないだろう。安倍政権の「ネトウヨ化」を批判するまえに、ぼくたちはまず、そのような状況を生み出した自分たちの愚かさと貧しさを反省するべきである。

では具体的に、今回の選挙、なにを基準に投票先を決めるべきなのだろうか。この数週いろいろと考えてきたが、結論から言えば、今回については、あれこれと無理に難しく抽象的なことを考えず、投票の原点に戻るべきである。

つまり、支持したいひと(政党)があれば投票すればいい、支持したいひと(政党)がなければ投票しなくていい、その結果日本の全体がどうなるかはとりあえず「考えなくていい」、それがぼくの考えだ。なぜならば、そんな大きなことを考えて無理に投票先を選んでも、それが本当に望む結果を生み出すかどうかはだれも保証できないし、そもそも選挙とは、そして民主主義とはそういうものではないからである。

現実とは複雑なものである。未来予測はさらに難しい。全体を見渡すことができる(全体最適を認識できる)人間はだれもいない。けれどもそのような視野の狭い(部分最適しか認識できない)人間の判断でも、集めれば全体最適に近くなるのかも「しれない」、そのような想定のもとで――それは数学的にはまちがいかもしれないけれど、とにかくはそのような前提のうえで――作られているのが民主主義である。それゆえ、ぼくたちひとりひとりは、必ずしも全体最適を考えなくてもいい。いや、むしろ、あまり考えるべきではないのだ。みながみな全体のことばかり考え、地に足のついた要望や直感を手放して無理に投票先を決めるようになってしまったら、それこそ多数決に意味がなくなってしまうからである。選挙民があまりにも「意識が高く」なると逆に民主主義そのものが破壊されてしまう、その逆説を最初に指摘したのが、『社会契約論』で有名なジャン=ジャック・ルソーだった(これはあまり一般的なルソー解釈ではないので、関心のあるかたは拙著『一般意志2.0』を参照されたい)。

というわけで、みな、あまり難しく考えなくていいと思う。おそらくこのサイトの読者には、野党に投票する決め手はないが、かといって自民党に大勝させるのも不安だという読者の方が多いのではないかと思う。その二律背反は行動を麻痺させる。ぼくもそうだ。そのようななか、自民党に投票するのはファシストの味方だとか、未来永劫その出現には責任を取らないといけないのだとかいった過激なキャンペーンも行われている。実際、後世はぼくたちの愚かな判断を責めるのかもしれない。

みな勝手に投票したいところに投票すればいいし、それしかない

しかし、本当は未来のことはだれにもわからないのだ。ぼくたちはみな同じように視野が狭く、未来予測などできず、そのような人間として投票するほかないのだ。つまりは、みな勝手に投票したいところに投票すればいいし、それしかない。それで失敗すれば、それはそれで諦めるしかない。その割り切りがないところに民主主義は成立しない。

というわけで、この週末は、みなさん直感だけに頼って投票するのがいいのではないかと思う。またもやすごく批判されそうなことを書いているが、これがぼくの結論なのでしかたがない。

ちなみに、そんな愚かなぼくがどこに投票するかといえば、小選挙区は自民党で比例区は社民党である。小選挙区は候補者の能力だけで判断し、比例区は名簿筆頭の候補者で選んだ。ぼくの本来の支持政党は民主党で、安倍政権には上記のとおり批判的であり社民党はまったく支持していない政党なので、これは明らかに矛盾した投票行動なのだが、今回については、もろもろ考慮したうえでそういう結論が出た。おそらくその矛盾こそがぼくの限界なのであり、そして結局は、そのような限界を引き受けることこそが「有権者の責任」というものなのだと思う。

著者プロフィール

東浩紀
あずま・ひろき

作家・思想家

1971年生。ゲンロン代表取締役。専門は現代思想、情報社会論、表象文化論。メディア出演多数。主著に『存在論的、郵便的』(1998、サントリー学芸賞受賞)『動物化するポストモダン』(2001)『クォンタム・ファミリーズ』(2009、三島由紀夫賞受賞)『一般意志2.0』(2011)。編著に『福島第一原発観光地化計画』(2013)など。

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