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今回の総選挙では、自民党が圧勝するとみられている。これは自民党が支持されているからではなく、野党がバラバラだからである。首相が消費税の増税延期を争点にして解散したのに、それに反対する野党が一つもない。
すべての政党が同じ政策に賛成するのは、不吉な兆候である。今の状況は、戦前に近衛文麿のつくった大政翼賛会に、すべての政党が合流した歴史を思い起こさせる。戦時中に行なわれた「翼賛選挙」では、国民は大政翼賛会を圧倒的に支持したのだ。
失われた「小さな政府」という争点
このような争点の不在は、90年代から続いている。小沢一郎氏が1993年に自民党を離党して細川政権をつくったときは、日本でもサッチャーやレーガンを継承する「保守革命」が起こる可能性があったが、彼が挫折したあと、日本政治の「失われた20年」が続いてきた。
小沢氏の著書『日本改造計画』を編集したのは当時の大蔵省の課長で、竹中平蔵氏、伊藤元重氏、北岡伸一氏などが集まった。小沢氏が書いたのはグランドキャニオンの話で有名な序文だけで、他の部分は学者の共同執筆だった。この時期には、「小さな政府」をめざすという政・官・学のコンセンサスがあったのだ。
政府の規模が拡大して財政赤字がふくらみ、経済の効率が低下する問題は、先進国に共通の悩みだった。国鉄・電電公社の民営化で政府の肥大化に歯止めをかけた中曽根政権を継承し、消費税を上げて財政の均衡を回復する改革は、当時はメディアも含めて当然の流れだと思われていた。
しかし日本の保守革命は、小沢氏の拙劣な政治手法で挫折し、政治は迷走を続けてきた。小泉首相は小さな政府を部分的には実現し、民主党は政権交代を実現したが、結果的には幻滅をもたらしただけだった。
そして安倍首相は、集団的自衛権など自民党右派の政策を打ち出す一方で、経済政策ではバラマキ財政を量的緩和でファイナンスし、増税まで先送りする「大きな政府」の政策を打ち出した。大衆の好みにあわせて無原則に政治の方向を変える安倍氏は、近衛に似てきた。
高齢者は逃げ切れるのか
政府の肥大化を批判すると、「日本の国民負担率は小さい」という人がいる。確かに今の国民負担率は約40%で、主要国ではアメリカに次いで小さいが、国債は税収の先食いだ。社会保障給付も高齢化で激増するので、次の図のように国民負担率(右軸)は、2050年には70%に達し、可処分所得(税・社会保険料を引いた所得)は現在の半分になる。
この予想は、成長率が年率1%の場合だ。ゼロ成長だとすると、2050年の国民負担率は約80%を超える。GDPのほとんどを政府が管理する社会主義国になり、国民は絶対的に貧しくなるのだ。
すべての政党が「老人党」になった
安倍首相は解散の記者会見で、アメリカ独立戦争の「代表なくして課税なし」という言葉を引用したが、この国民負担を強制される将来世代は今の国会に代表を送り込んでいない。投票者の中央値(メディアン)が60歳ぐらいなので、どの政党も60代以上の高齢者に受ける政策を掲げることが合理的だ。いわばすべての政党が「老人党」になったのだ。
しかし高齢者は、逃げ切れるのだろうか。今の政府債務は1000兆円だが、個人金融資産は1500兆円ある。今のように毎年50兆円の国債を発行すると、あと10年で金融資産をすべて国債で食いつぶすが、それまでに金利上昇(国債の暴落)が起こるだろう。
金利の上昇局面では、金融機関が莫大な評価損を抱える。金利上昇を防ぐには日銀が国債をすべて買い占めればいいが、銀行や生命保険などの保有している国債は600兆円以上で、これを日銀がすべて買うことは不可能だ。やったら通貨が大量に供給され、高率のインフレが起こるおそれが強い。
インフレと金融危機で困るのは、引退した世代である。働いている人は食っていけるが、年金は大幅に減価し、場合によっては支給が止まる。銀行が破綻すると、金融資産が失われる。それが20年後なら団塊の世代は逃げ切れるが、おそらくそこまで財政はもたないだろう。つまり向こう10年を考えると、高齢者と若者は「同じ船」に乗っているのだ。
今の日本で、意味のある経済政策は一つしかない。膨張する政府に歯止めをかけ、受益と負担のバランスを回復することだ。その現実を直視しないで問題を先送りする安倍政権と、それに異を唱えない野党の翼賛選挙は、「第二の敗戦」に至る道である。
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