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【総選挙2014】沖縄の強さと、美しさ――在日朝鮮人弁護士がみた、沖縄――

  • 白充 (弁護士)
  • 2014年12月13日


撮影:初沢亜利

ある高校生との会話

私は、那覇の法律事務所に勤務している。

在日朝鮮人3世である。

最近、県内の高校2年生2人が、インターンシップにやってきた。私は、彼ら向けに「在日朝鮮人とは?」というテーマで座談会を開いた。

座談会の場で私は、「戦争は、何月何日に終わった?『終戦記念日』とか言ったりするけど」と、投げかけた。

もちろん、私が期待した答えは、「8月15日」であった。

しかし、その高校生らは「うーん……」と悩み始めた。私は「適当に言ってごらん。たぶん当たるから」と助け船を出した。

少し間が空き、うち1人が、おもむろに、こう答えた。

……6月23日?

6月23日――「沖縄問題の第1章」

戦後70年が経とうとしている今も、高校生の心の中に、小さく灯され続ける「沖縄戦」という歴史

みなさんは、6月23日が何の日であるか、分かるだろうか。「戦争が終わった日は?」と聞かれて、漠然と「6月23日」と答えた地元高校生の、いわば「肌感覚」のようなところを、分かっていただけるだろうか。

6月23日。

沖縄では、「慰霊の日」と呼ばれる。1945年6月23日に沖縄戦が終わったとされたことから制定された日で、同日、県内は公休日となる

沖縄戦は、「県民の4分の1が死んだ」と言われるほどの、まさに激戦であった。いうまでもないが、沖縄に上陸し、沖縄にいた人々を殺していったのは、米軍であった。

戦後70年が経とうとしている今も、高校生の心の中に、小さく灯され続ける「沖縄戦」という歴史。沖縄戦は、沖縄を語る上で欠かすことができない、「沖縄問題の第1章」である(なお、琉球王国への薩摩侵攻等は、個人的には「沖縄問題の序章」として位置付けている)。

あるオバァとの会話

沖縄では、面白い体験をする。

法律相談に来た60代くらいの女性に対し、私が「在日朝鮮人です」と自己紹介をした。いわゆる「本土」では、「あー、在日の方ですか」と返されるところだが、彼女はこう答えた。

「あー、朝鮮の方ですか」

彼女は続けた。

「私の兄がまだ元気な頃、『朝鮮の方は、"朝鮮ピー"と呼ばれ、慰安婦にもされて、大変だったんだ』って、しょっちゅう言っていました」

"朝鮮ピー"とは、「朝鮮人」を蔑んだ呼び方である(なお、当時の朝鮮半島は、南北に分断されていなかったため、今でいう「韓国人」も、当時は「朝鮮人」と呼ばれていた)。「朝鮮の方」という彼女の言葉には、「戦時中、ウチナーンチュと共に悲しみを背負った者」である朝鮮人への、ある種の共感が込められていた

他にも、法律相談にきた70代くらいの女性から、このような話を聞いた。

「沖縄戦のときはね、米軍がガマに攻めてくる。ガマの入り口には、朝鮮人と台湾人。その次に、ウチナーンチュ。一番奥には、ヤマトの人がいたのよぉ」

ガマとは、「防空壕」のことである。入り口に近づくほど、米軍に攻撃されやすく、危険であった。そこに、当時植民地であった朝鮮と台湾の人を置き、一番安全な奥地には「ヤマト」から来た役付きの軍人が構え、その間にウチナーンチュがいたという話である。私が「在日朝鮮人です」と自己紹介しなければ、聞けなかった話かもしれない。

彼女たちは、単に法律相談に来た方々である。それでも、私が彼女達から沖縄戦の頃の話が聞けたのは、「ウチナーンチュ」と「朝鮮人」に、どこかシンパシーを感じるからではないだろうか。


撮影:初沢亜利

東アジアにおける「イデオロギー対立」

2014年11月下旬、総連(在日本朝鮮人総連合会)の機関誌『朝鮮新報』の、朝鮮語版コラム「メアリ」に、

「変わる沖縄(변하는 沖縄)」と題するコラムが掲載された。

そこでは、沖縄県民の「自身の運命は自身で決める」という「意識変化」が、今回の知事選の結果をもたらした、との評価がされていた。

しかも、「朝鮮語版コラム」の方で。

なお、このコラムは、同新報社の記者が個人名を明かして書いているものであるため、特定の団体や国家の、公式な立場や見解を示すものではない。ゆえに、一部の(ネット)右翼お得意の、「翁長が北朝鮮とつながっている」という論は、当たらない。また、そもそも安保破棄を主張しない翁長と、安保の(仮想)敵国とされる朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)が、例えば、資金の往来などの形で「つながる」ことなど、はっきり言って、あり得ない。

このような論はさておき、ここで指摘したいことは、このコラムが、沖縄と東アジアが抱える問題を考える上で、有益な視点を与えてくれているのではないかということである。以下、少し丁寧に説明したい。

1945年8月15日、戦争が終わった。

戦後、世界、とりわけ東アジアは、「東西」に分裂した。

頭に東アジアの地図を広げてほしい。

朝鮮民族が住む朝鮮半島。この中間線を境に、朝鮮、中国、ソ連は「東」に、大韓民国、日本は「西」に属した。そして、「西」側諸国は、自由と民主主義を獲得した……。

と言われているが、はたして本当にそうだろうか。東アジアの「西側諸国」である、大韓民国と日本には、今でも米軍基地が存在する。そして、大韓民国でも沖縄でも、米軍基地反対運動は、幾度となく盛り上がってきた。

こと沖縄に目を向ける。戦後、「米軍基地問題」が重要な争点となった選挙で、沖縄は常に、基地反対を訴え続けてきた。しかし、沖縄の「アイデンティティー」と自決権に基づくこの訴えは、常に、「より大きな力」によってかき消されてきた

沖縄の米軍基地は、「ウチナーンチュとヤマトンチュの対立」に身を隠すように存在し、沖縄を苦しめ悲しませている

戦後70年が経とうとしている今なお、沖縄の米軍基地は、「ウチナーンチュとヤマトンチュの対立」に身を隠すように存在し、沖縄を苦しめ、悲しませている。

そして、この苦しみと悲しみは、今なお「南北の対立」に身を隠すように、南に米軍基地が存在し、同じ民族同士で対立を強いられる、朝鮮民族の苦しみ、悲しみに酷似する。

「沖縄に真の民主主義はあるのか」。沖縄で語られるこの問いは、沖縄にいる私にとっては、東アジアの西側諸国に真の民主主義があるのか、すなわち、「東アジアの西側諸国には、米国を前にして、何らの自決権も示せない、極めて限定的な民主主義が存在するだけではないのか」という問いにも聞こえるのである。


撮影:初沢亜利

「真の保守」という名の「革新」「イデオロギーよりアイデンティティー

今回の選挙戦で、翁長候補が使ったこの言葉は、沖縄戦で米軍に撃ち殺された「ウチナーンチュの悲しみ」と、これが代々語り継がれ、受け継がれ、今でも沖縄の若い人たちの心の奥に残る「ウチナーンチュの魂」を、見事にすくい上げ、戦後の米軍占領と、日本政府のあり方を、根本から問い直した。

この「魂」は、戦前に使われた「大和魂」というものにも、ある意味では類似している。自身の文化を保ち、国土を守ろうとして、日本のために命を捨てた誇り高き「英霊」は、今、米軍に占領された「自国の領土、沖縄」や、沖縄を米軍基地に差し出す「我が政府」を見て、何を思うだろうか。

東アジアに目を向けよう。幾多の「経済制裁」にも屈せず、自身の文化を保ち、民族を守り、対米関係において自主・自立を訴え続ける、朝鮮民主主義人民共和国の姿は、「基地経済」から独立し、自身の文化や伝統を守ろうとする今の沖縄の姿と、どこか重なり合っているようにも見える。

「イデオロギーよりもアイデンティティー」は、従来の「保守層」よりも、よっぽど保守的な、人間の誇り、プライド、「魂」を基準に行動しようとする呼びかけであった

少なくとも、民族単位でみたとき、戦前は、沖縄戦でウチナーンチュと共に命を落とし、戦後は、同じ民族同士で、まさに「イデオロギー」を基準に、「南北」の対立によって悲しみを抱え続けてきた朝鮮民族が、「イデオロギーより、アイデンティティー」という言葉に、「魂」のレベルで、「魂」のレベルで共感することは、何ら不自然ではない

翁長候補が訴えた「イデオロギーよりもアイデンティティー」は、従来の「保守層」よりも、よっぽど保守的な、人間の誇り、プライド、「魂」を基準に行動しようとする呼びかけであった。そしてそれは、従来の日本の「保守層」が抱えてきた、「親米右翼」という名の「誇りなき保守」のあり方を問うという意味で、まさに革新的であったのである。

今こそ、大国が用意した「イデオロギー」ではなく、「沖縄人」としての誇り、プライド、「アイデンティティー」をもって、この島を、この国を、自らの手に取り戻そうではないかという、沖縄の叫び——本土への問題提起は、「日本を取り戻す」という安倍政権を嘲笑するがごとく、真の保守として、そして、それこそが画期的な、まさに革新的な勢力として、戦後70年経った今、ついに沖縄で産声を上げた。安倍首相が訴えた戦後レジームからの脱却」は、皮肉にも、「戦後、大国に依拠し形成されてきたイデオロギー対立からの脱却」という形で、沖縄から始まったのである。

法廷闘争

そして、この「沖縄の叫び」は、選挙の場だけではなく、司法の場にも響いている。「良い正月を迎えることができる」という発言と共に、昨年末、仲井真知事がなした辺野古埋立承認処分。この処分の取り消し等を求めた裁判が、それである。私も、住民側の代理人弁護士として加わっている

この裁判は、「沖縄県民vs沖縄県」としてスタートした。しかし、今回の沖縄県知事選では、辺野古埋立反対を訴える翁長候補が当選した知事選後、国は、法廷で独自に主張ができるよう訴訟への参加を行政事件訴訟法22条)、裁判所に申し立てた。

裁判所が、国の県側への参加を許す決定をすれば、国にとって不利な行為を、県は単独ではできなくなる。国の狙いは、まさにそこにある。すなわち、翁長新知事が誕生したとしても、国が参加することにより、県は、裁判で「簡単に負ける」ことは出来なくなるのであり、住民側は、事実上、国を相手とした法廷闘争を、引き続き強いられるのである。

では、翁長新知事が、知事権限により(裁判外で)、承認処分を取り消し、撤回をすれば、事は解決するのではないか。答えはそんなに簡単ではない。知事権限により、承認処分を取り消した場合でも、次は、国が県を訴えることになる(大田県知事時代の、代理署名裁判に類似する)。

このように、いずれにしろ、仲井真知事がなした辺野古埋立承認処分については、法廷闘争が避けて通れない。司法は極めて重要な役割を担っている。

沖縄の強さと、美しさ

さらに踏み込もう。司法の場で、住民側が勝てる可能性は、どれくらいあるのか。日本の司法の現状からして、決して「高い」とは言い切れない。しかし、もう一歩、踏み込みたい。

勝つ可能性が低いから、あきらめるのか?

革新県政であった、あの大田県知事時代も、米軍基地は動かなかった。鳩山総理大臣が「最低でも県外」と言っても、米軍基地は動かなかった。翁長新知事になったら米軍基地は動くのか……。

「現実は厳しい」なんて、私なんかより、沖縄に生まれ、何十年とここに住み続けてきた方々のほうが、よっぽどよく知っている。だからこそ、仲井真候補に投票した人もいたのだろう。しかし、結果的には、翁長候補が圧勝した。

勝つ可能性が低いからといって、自ら諦めるわけには行かない。「99%の現実」という「屈辱」と、「1%の希望」という「信念」の前で、沖縄は「今回も」後者を選んだのである。

仮に、勝てる確率が数%であっても、自らそれに屈するのではなく、最後まで、その数%にかけて、立ち上がり、闘い続けるその姿。それこそが、沖縄の「アイデンティティー」であり、沖縄の「魂」であり、沖縄の「歴史」なのだ

沖縄は、最後まで闘い続けた。

その姿、その魂、その歴史は、「何兆円のお金」で買えるもの、変えられるものではない。そして、そこにこそ、沖縄の強さと、美しさがあるのではないだろうか。

総選挙で問われること

さて、このような状況の中で行われる、今回の総選挙、こと沖縄での総選挙について、私は「『オール沖縄』が試されている選挙である」と位置付けたい。

「イデオロギー・アレルギー」とも言うべきだろうか。沖縄では、一部で、「共産党アレルギー」が語られ、「『オール沖縄』が危ない」とも言われている。せっかく知事選では、革新側が「保守アレルギー」を乗り越えたのに、である。

『オール沖縄』は、「イデオロギー」としての保革を乗り越え、「アイデンティティー」としての自身の誇り、プライド、「魂」をもって次世代に進もうとする、極めて保守的かつ革新的な動きである。戦後、大国に依拠し、形成された「保革」にとらわれ続けるのか、それとも、新たに、自主的な個々人の尊厳、「魂」に基づいた行動を選択するか。今回の総選挙では、『オール沖縄』の真価が問われている。そして、同時に、『オール沖縄』は、今後の日本、東アジアのあり方をも問うているのである。

沖縄は、変わろうとしている。

いや、沖縄が、日本を、東アジアを、変えようとしている


撮影:初沢亜利

著者プロフィール

白充
ぺく・ちゅん

弁護士

1985年生まれ。弁護士。在日朝鮮人3世として福井県に生まれ、2011年より沖縄に滞在。現在は、沖縄合同法律事務所に勤務する。

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