撮影:安田菜津紀
「東京オリンピック? なんだか、外国のことみてえだなあ」
仮設住宅で一人暮らしを続けるばっば(気仙地方の言葉で、おばあさんのことを指す)がふと、つぶやいた言葉だ。アベノミクスの評価、IR法案、あらゆるものが東京目線と速度で進んでいき、その"周縁"は取り残されていく。解散が言い渡される以前から、この違和感は蓄積され続けてきたように思う。
岩手県の沿岸の街の中で最も南に位置している陸前高田市。えぐられるように流されてしまった街の中心地は今、場所によっては十メートルを超える分厚い土の下に埋まろうとしている。ダイナマイトで山を切り崩し、張り巡らされた巨大ベルトコンベアを昼夜問わず大量の土を落とし続けている。一体ここにどんな"街"が築かれようとしているのか、いまだ想像もつかない光景のままだ。
「復興が現場目線と乖離していることに、いつも違和感を覚えてきました。例えば港の工事を進めるにも、元の形に戻す"復旧"でなければ予算が下りない。震災での反省を生かし、よりよい形に改善する、という選択肢さえ最初から用意されていないんです」
そこで生活し、それを必要とする人々の声は届かないままなのだろうか。そんな無力感を語るのは、米崎小学校仮設住宅で自治会長を務める佐藤一男さん(49)だ。
東日本大震災後、岩手県陸前高田市では、人口2万人強だった小さな市の中に、2148戸の仮設住宅が建設された。3年9カ月が過ぎてもなお、解体された棟はなく、東海新報社の調査によれば、今年8月末の時点で4500人の人々がここでの暮らしを続けている(ただし雇用促進住宅や民間賃貸住宅を仮設住宅の代わりとする「みなし仮設住宅」で暮らす人々の数は、ここには含まれていない)。岩手県では今年、高台移転や災害公営住宅建設の遅れを受け、当初2年としていた仮設住宅の入居期限を8年と想定し、そのための補修工事に着手している。
度重なる遅れは、不信感を増幅させる。
「当初は3年で高台移転先が引き渡しになるということで、元々のコミュニティーのままで移り住みたいと、"待つ"という選択をしました。資材の高騰や人材不足で工事が遅れることは、最初から分かっていたのではないかと思うんです。更に年数がかかるという情報を最初に共有してもらえれば、親戚の土地に移り住むなどの選択もできたはずなんです」
佐藤さんたちのコミュニティーの移転先は、当初2014年春には整備が終わり引き渡される予定だった。けれども現時点での予定は来年2015年の10月。土地買収の遅れに伴う設計の練り直し、入札の不調が相次いだためだ。移転箇所によっては、人員不足による工期の延長などが後を絶たない。そのうえ、たとえ土地が引き渡されたとしても、恐らく他県を含め住宅の再建が一斉にはじまる。限りある資材と人材が、同時期にオリンピック関連の工事になだれ込む可能性もある。気の遠くなるような道のりがこれからも続いていく。
安倍首相は今回、全国遊説を岩手県からはじめている。陸前高田市の仮設住宅を訪れている様子は、メディアでも取り上げられている。ただ住人たちの殆どが、この訪問を後になってから知らされている。本当に被災地の声を聞きたいのであれば、もっと別のやり方があったのではないのか、という批判の声もあがった。「被災地のことを忘れずにいてくれてうれしい」ではなく、「やはり被災地のことは二の次なのか」という意識を残してしまっているように思う。
選挙は、大きな声を更に轟かせるためのものではなく、小さくても大切な声を置き去りにしないためのものだ
本来選挙は、大きな声を更に轟かせるためのものではなく、小さくても大切な声を置き去りにしないためのものだったはずだ。ただその問題を抱える当事者は、"数"としての力がなく、声が反映されにくいかもしれない。だからこそ私たちがその問題に気づき、その声を大きくしていく必要がある。「声を上げる力」に注目が集まるが、「耳を傾ける力」というものも、私たち有権者に今、求められているのではないか。