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【総選挙2014】安倍政権のその後を見つめる峻厳な覚悟

  • 舩橋淳 (映画作家)
  • 2014年12月14日

日々、選挙報道がネット・テレビ・新聞を席巻している。内容を俯瞰してみると、勝敗の見えた戦いへの嘆息と、大義のない茶番になにかしらの意義を見いだそうとする善意との間で、多くの人々が右往左往しているように見える。4年間の信任を与えるために1票を投じる行為が、あまりに軽く思えてしまうジレンマがそこにあるからだろう。

政党の公約は無きに等しく、政権与党は集団的自衛権解釈改憲など公約違反を公然と繰り返す一方、民主党の公約は玉虫色でどことなく力不足。歯切れのいい改革を掲げる維新共産党はいくら遠吠えしても実行能力がないのは自明。政治家たちがめいめい理想を掲げようとも、それは建前に過ぎず、いずれ何かしらの言い訳とともに変更/忘却されるだろう、という暗黙の了解が候補者と有権者の間で共有されてしまっている異常さが、現代日本の政治空間といってもよい。

安倍晋三率いる自民党の「表の顔」と「裏の顔」も、既にみえみえになっている。選挙になると、景気対策、増税先送りという賛同を得られやすい政策を全面に出し、選挙で大勝すれば支持は得られたとばかりに、特定秘密保護法原発再稼働、集団的自衛権など民意が割れる、もしくは大多数が反対する政策を押し通す。時間差で表と裏の顔を切り替える狡猾な戦略に、私たちもそろそろ気づいてきた訳で、"この道しかない"と言うキャンペーンはそんな情報操作の一部に過ぎないことを知っている。

だから、「この道しかない」というその裏道に何がマスキング(隠蔽)されているのか、私たちは最大限の注意を払ってみる必要があるだろう。以下、主要な問題を重要度順に列挙したい。

1)戦争に向かう国体への圧倒的な危機感

解釈改憲と集団的自衛権、武器輸出の緩和領土問題に端を発する対中強硬姿勢従軍性奴隷(慰安婦とは敢えて言わない)の否認侵略戦争の歴史修正主義靖国参拝——などなど、「美しい国」のキャッチフレーズの裏にとても危険な右寄りの思想を秘め、戦争のできる体制に近づけようとしているのが、今の安倍自民党政権である。国際的に見れば極右が政権を握っている異常事態。戦後の日本が堅持してきた世界で唯一の平和憲法=憲法第9条を、根底から覆し、他人のケンカを買って戦争のできる国にしようと動いている。選挙中は決して言わないが、徴兵制を本気で検討していると考えてよいだろう。

2)特定秘密保護法による警察国家化

国家が個人の言論統制を始める法律。それが、国会議員(衆議院議員)が不在の12月10日に施行された内部通報者の処遇や特定秘密の指定解除を求める請求権など、まだ細則が決まっていないままである。

特定秘密を扱う公務員および特定秘密の提供を受ける事業者の従業員(民間人)が、「適性検査」の対象だというが、犯罪歴、渡航歴、家族の状況、飲酒の節度、精神疾患、借金の状況に至るまで執拗に調査される。個人のプライバシーを国が暴き立てる道具になるし、見せしめ的に運用すれば戦前の特高警察のように政権の国民に対する言論封殺の強力な武器になりうる。戦前の大逆事件治安維持法まで想起させ、警察国家への逆行が始まっているようだ。

3)福島の放置と原発再稼働

史上最悪の原発事故を抱え、国内に家に戻れぬ難民がいまだ10万人以上いるという現状に、何も有効な手だてを打っていない。避難民の賠償も充分に支給出来ず、それより東京電力の救済を優先させている。「原発事故から最低6年は帰還できない、いつ出来るのかはその後に判断」という先送りで、避難民は人生の再スタートもできぬまま宙吊り状態。凍土壁機能せず、汚染水と放射性物質は垂れ流しが続く。福島県内の放射線防護も充分でなく、小児甲状腺がんなどのアウトブレークも無視。将来の福島で起こりうる悲劇(それは差別も含む)が、もう見えているのに、いま予防対策を打たない怠惰。

その反省もなく、ただ目先の電力会社の権益のために、原発再稼働を進める愚鈍。不良債権である原発をとにかく動かすことで目先の経常収支を安定させたい電力会社と、ムラの利権にあずかりつつ「経済を上向きにするためには、多少の犠牲は目をつむるしかない」と本気で思っている政治家が共闘して、事故のリスクには再び目を瞑るよう促す。国民を侮辱し続けている。

さらに民主党政権の数少ないグッジョブ、再生可能エネルギー法を骨抜きに。九電・北電などの買い取り休止/見送りで、エネルギー・ベンチャーがどんどん危機に瀕している。事実上、再生可能エネルギーの産業的萌芽を抹殺している。

4)沖縄のさらなる犠牲

沖縄米軍基地の負担軽減については、さまざまな移設計画、とくに2009年鳩山内閣が県外移設を宣言して後に撤回した混乱の中、多くの案が検討された。しかし、結局は辺野古沖の埋め立てという県内移転に成り果てる。地元名護市の反対により、仲井真知事が退任直前に工事内容の変更を駆け込み変更して、押し進めるというドタバタぶり。米軍兵士の少女暴行事件に端を発する基地排除運動であるのに、その移設費用は日本政府持ちという不条理。目先をいくら変更しようが、米軍基地の74%を国全体の0.6%の面積しかない沖縄に押し付ける犠牲を強いる本質は変わらない。本土の無関心の裏で、沖縄県民の怒りは計り知れない。


撮影:初沢亜利

5)過剰債務の深い闇

高度経済成長時の前半まで右肩上がりに成長を続けてきた戦後日本の財務状況は、1975年に初めて赤字国債を発行して以来、さまざまな特別公債を連発し、いまや歳入の43%を公債金で賄わなければ行けない惨状である。今年度は、国債と借入金、政府短期証券を合計した「国の借金」残高が1008兆6281億円。1億2735万人を元に単純計算すると国民1人当たり792万円の借金を背負っていることになる。その大きな要因の一つは、製造業の輸出競争力の低下である。ヨーロッパ諸国と異なり、外国からの直接投資が殆どない日本は、環境的にも財政的にも国際競争力が低下の一途。アベノミクスは、これまで自民党政権が脈々と続けてきた、公共事業を主体とする経済政策により「パイを大きくする」=「借金を蓄積する」政策をさらに増幅して行うのが、その主旨。これ以上借金を増やさずに「小さな政府」を目指すパラダイムシフトをしない限り、債務地獄は続くだろう

6)1票の格差問題

司法がいまの一票の格差は違憲状態にある、と断定しているのに一昨年も去年も国政選挙が行われているという巨大な矛盾。0増5減というのも気休めに過ぎず、最大2.14倍、13選挙区で2倍を超え、一票の格差は解決していない。例えば1人1票実現国民会議によると、東京第2区に住む筆者の1票は0.54票の価値しかない。しかし、このままだと政治家はいつまでも動かないだろう。選挙は(違憲であろうとも)有効だと最高裁がお墨付きを与えるいるからだ。毎回違憲のまま選挙し、自分が通ればそれでよい、誰も本気で改革しようとしていない。

以上、1)〜6)までディープな問題を端的に要約したが、国全体の問題(1、2、5)と特定地域の問題(3、4、6)が混在している。そして、後者は、末端行政の課題として放置されているものばかり。それは、安倍政権だけでなく、民主党政権から続いてきた犠牲の構造である。福島では、市民が被ばくさせられ、故郷を奪われ、家族を引き裂かれている。沖縄では、普天間・嘉手納基地、辺野古移転予定地周辺の住民への負担強制・公害は、人権侵害と言っても過言ではない。これらは間違いなく政府による権力犯罪である

「見ないふりして他人に犠牲を強いる」システムが巨悪の根源である

日本は60〜80年代高度経済成長の裏で、このような犠牲を末端の地方へ押しやることで、問題の直視を避けてきた。東日本大震災・原発事故の災禍に遭い、この「見ないふりして他人に犠牲を強いる」システムが巨悪の根源であることに、私たち日本人はもう気づいてしまった。しかし、政府はそんな犠牲のシステムをさらに延命させ、原発産業をはじめとする不良債権をさらに肥大化させ、財政赤字は雪だるま式に加速する(5)。社会不安を煽るだけ煽って(1)、警察国家としての手綱を締める(2)。戦争前夜のファシズム国家とはこんなものなのだろうか、と感じさせる暗い緊張が社会に立ち込めている。

誰が悪いのか?

では、安倍政権がすべて悪いのだろうか?

ネット上の安倍バッシングはものすごいものがある。昨冬の山梨県の豪雪被害の時は、赤坂で天ぷらを食べていたため揶揄・批判され、夏の広島の土砂災害時にはゴルフに行ったと非難囂々だった。私は安倍首相の極右姿勢には反対だが、彼が天ぷらを食ったり、ゴルフをするのは自由だと思う。タイミングが悪く災害対応時に重なっても、すぐに連絡がとれ指令を下す対応ができる限りにおいては、首相でも個人の権利と自由を保障されるべきだし、そんな国であって欲しいと思う。自分には人間的な労働環境が必要だというくせに、政治家は身を捨てて献身せよ、とはフェアではない。それは前時代的精神論である。(もしくは、今の非正規雇用・低所得社会でみな体を酷使して働いているのだから、首相も酷使せよという"道連れロジック"もあるだろうが、やはり原則は人間的な休暇を保証する社会を目指す方が、健康的であるのはお分かりだろう)

私たちは、文句を言ってこき下ろし、他人のせい、政権のせいにする悪癖に陥ってはいないだろうか

私たちは、文句を言ってこき下ろし、他人のせい、政権のせいにする悪癖に陥ってはいないだろうか。首相が天ぷらを食ったと文句を言っているとき、頭の片隅で、それはちっぽけな揚げ足取り、大衆的なデマゴーグだと感じていないだろうか。なんでも政治のせいにして、自分の不満を満たす<甘えの構造>にどっぷりと私たちは浸りきっているのではないか。

私は、安倍首相だけに、また自民党政権側だけに、非を探すのも危険だと思っている。これは、政治家だけの問題ではない。私たち自身の問題である、と自分に問題を引き寄せて考えた時、初めて本当の解決への道が見えてくると思うのだ。

現在の惨状……

そんな視点から現状を分析すると、どうだろう。メディア・大手紙の予想通り、自民は単独3分の2に迫る勢いで圧勝をするだろう。野党は、アベノミクスを批判するばかりで、それに対抗する景気対策を打ち出せていない。景気がどんどん悪くなると、文句ばかりをいう<甘えの構造>にまさしく陥っており、では何がしたいのか、どうすれば景気が上がるのか、という対案構想までは練り込めていない。野党は若手からベテランまで、自分の議席を死守する闘いで街宣の毎日。とても勉強会を開いて、政策を練り上げる時間はない。このままいけば、民主党への不信は決定的なものとなるだろうし、野党の分裂・弱体化は、悲惨を極めるだろう

未来予想図

自民圧勝で安倍政権が盤石の体制を築いた時、やりたい放題の政治が展開されるだろう。憲法9条改正、軍備増強、ひょっとしたら中東へ出兵もあるやもしれぬ。しかし、具体的な手続き、例えば集団的自衛権の行使容認の法制化と原発再稼働などで手間取ってしまうと、やがてアベノミクスの限界が浮かび上がる。円安が進み、株価が暴落。そうなると内閣支持率は急落するだろう。そうなった時、ポスト安倍政権が現実味を帯びてくる……。

そのとき練りに練り上げた政策を準備している議員と会派はいるだろうか。自民党内の次世代の派閥にかける方が、よっぽどリアリスティックと言う人は多いだろうが、私は将来、二大政党制を日本で育てる意味でも野党にそれを見いだしたいと思う。そこで問われるのは、上記1)〜6)で掲げた"マスキングされた問題"に真摯に向き合っているか否かである。

つまり、

(1)福島原発事故の反省を充分に活かし、被災者救済の策を持ち、
(2)同時に沖縄・普天間基地移転の対案を携え、
(3)慢性化している過剰債務をドイツ化する構想を企み(それはアベノミクスへの対案!)、
(4)特定秘密保護法を廃案にし、
(5)小選挙区制を解体して一票の格差問題を根本から是正し、
(6)再生可能エネルギーの買い取り再開と発送電分離・自由化により脱原発の道筋をはっきりと示し、
(7)対中・対アジアへの和平構築の具体策を打ち出せる人材

にこそ、私は期待を寄せたいと思う。

国会議員とは何か?

私はドキュメンタリー映画「フタバから遠く離れて」の撮影を、今もなお原発避難を強いられている福島県双葉町の仮設住宅、借り上げ住宅で続けている。そこで、ある双葉町の方から大切なことを教わった。それは「議会議員は、私たちがああやって欲しい、こうやって欲しいと思うことを変わりに進める代務者」であるということ。賠償もままならず宙吊りの避難生活が続く中、中央の政治が限りなく遠く感じられた時、その方がぼそっと私に語った言葉だった。

「現実逃避の構造」を、「現実直視の構造」へと気概をもって立ち向かう政治家を支えたい

議会制民主主義の議員とは、市民のために、市民のやりたいことを、市民に代わって行う人間である。であるならば、私たちの本質的な課題に立ち向かう人物であって欲しい。私たちは、隅っこの市町村に犠牲を押しやり、借金を増やすことで問題を先送りする「現実逃避の構造」を、「現実直視の構造」へと気概をもって立ち向かう政治家を支えたいと思うし、そんな意志のある政治家を育てようとする政党を応援したい。原発を廃止し、新たなエネルギー受給システムを提案し、環太平洋の対立解消を進めて武器を遠ざける方策を見い出し、アベノミクスとは全く別の景気回復の一手を考えている人間だ。日々の暮らしでいっぱいいっぱいの市民の代わりに、生活再建と、それを下支えする経済とエネルギー、国家の安全保障を安定成長させるビジョンを持つ人間——そんなヤツがいたら今すぐ投票するだろう—だから今は、ポスト安倍政権の後を見つめて政策を練り上げていってやろうという眼光鋭い次世代の卵に、先行投資してゆくのも悪くない、と私は思っている。

成長曲線が描ける人材

1989年のベルリンの壁崩壊後、旧東を抱えて過剰債務に陥ったドイツは、紆余曲折を経て財政再建を進め、なんと2015年度より新規国債がゼロになる。国民一人当たりのGDPは日本人よりも多く国民一人当たりの労働時間は日本人よりも少ない。徹底的な社会の合理化は、脱原発の道を開き、いまやピーク時には再生可能エネルギーは全体の50%を超える(常時は31%!)。将来、火力にすら頼らない100%リニューアブルのエネルギー立国を目指すという。

そんな成長曲線こそ、私たちがいま聞きたい未来展望ではないだろうか。高度経済成長は、さまざまな犠牲と先送りの上に成立していた幻想であり、私たちはもはやそんな幻想を信じ続けるほどウブではない。福島や沖縄の犠牲を解消して、さらに他国との戦略的共存をちゃんと探る、そんなごく普通に理性的な国家を目指したい。

2020年東京オリンピックという花火が打ち上げられ、皆が上空を見つめて喝采するとき、私たちが最も避けたいのは、地上に隅に福島や沖縄や、はたまた貧困層や社会的弱者が取り残されることではないだろうか。中央集権ではなく、地方と周縁の地域に富と権力とガバナンスをうまく配分し、肥大化した借り入れも少しずつ支払い、成長曲線が見通せる形で、オリンピックを迎えたい。

そこまで先を見越して、意志ある人間を探し出したい。

それが私たちの一票である。

著者プロフィール

舩橋淳
ふなはし・あつし

映画作家

1974年大阪生まれ.映画作家.東京大学教養学部卒業後,ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアルアーツで映画製作を学ぶ.処女作の16ミリ作品『echoes』(2001)がアノネー国際映画祭で審査員特別賞・観客賞を受賞.第二作『Big River』(2006)はベルリン国際映画祭.釜山国際映画祭等でプレミア上映された.東日本大震災直後より,福島県双葉町とその住民の避難生活に密着取材したドキュメンタリー『フタバから遠く離れて』(2012)は世界40ヶ国で上映され,2012年キネマ旬報文化映画ベストテン第7位.同スピンオフ作品「放射能 Radioactive」は、仏Signes de Nuit国際映画祭でエドワード・スノーデン賞を受賞。近作は、震災の被害を受けた茨城県日立市で撮影した劇映画『桜並木の満開の下に』(2013)、小津安二郎監督のドキュメンタリー「小津安二郎・没後50年 隠された視線」(2013年NHKで放映)など。現在、新作「フタバから遠く離れて 第二部」が劇場公開中。

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