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【総選挙2014】階級政党自民党はネオリベ・デモクラシーを制圧する

  • 白井聡 (文化学園大学助教)
  • 2014年12月14日


Photo by MIKI YoshihitoCC BY 2.0

本稿執筆時点で与党勢力の圧勝が予想されており、正直なところうんざりしているが、それでも言うべきことは言っておきたいと思う。

前回総選挙に引き続いて低投票率が予想されているが、新しい傾向がはっきり現れてきたのではないかと私は見ている。少し長いスパンで投票率の推移を見てみると、ほとんどつねに7割を超えていた投票率が劇的に低下する傾向を示したのは、平成8年の第41回総選挙であった(59.65%)。当時の政府首班は橋本龍太郎である。その後の総選挙の投票率は6割前後となり、例外的に高い数字を記録したのは、小泉郵政解散(67.51%)と、民主党による政権交代が実現した第45回総選挙(69.28%)であった。そして、政権交代への幻滅と東日本大震災を経ての第46回総選挙は、59.32%という戦前戦後を通して最も低い数字をマークした。今回は、この最低値が更新されるのかもしれない。

留意すべきは、第40回総選挙(67.26%)以来、相対的に投票率の高い選挙であっても、一度として投票率は70%に届いていない、という事実である。「政治的無関心」が叫ばれて久しいが、この20年間で「無関心」が顕著に昂進していることは確実と見てよさそうだ。

そして、今回の総選挙によって、「無関心」は新たな段階に突入したのではないか、と私は思う。その最も見やすい指標はTVにおける選挙報道の時間数の大幅な減少である。12月9日の「朝日新聞」の報道によれば、解散後一週間の選挙報道の時間数は、前回比の三分の一(!)である。その理由は、ひとつには自民党によるいわゆる「公平な報道の要求」によって各局が委縮していることにも求められるだろう。安倍首相のウヨ友が会長を務めるNHKに至っては、9時のニュースの報道姿勢に見られるように、「萎縮」というよりむしろ嬉々として「公正な報道」——つまり衆院選についてできるだけ言及しない——とやらに徹している。だが、おそらくそれ以上に深刻な理由は、上に言及した「朝日新聞」の記事でも指摘されているように、選挙報道が視聴率を取れない、という事情である。街角に張り出されたポスター上では、仲間由紀恵が投票を呼び掛けているが、空しい。いまや、日本国民は、衆議院総選挙などあたかも存在しないかのように、振る舞っているのだから。

こうした空気はどこからやってきたのか、そしてそれは誰を利するのか。そこで思い起こされるのは、小泉郵政解散の総選挙をめぐって出てきた「B層」の概念である。B層とは、自民党が選挙戦略の構築を依頼した広告会社(スリード社)がつくった言葉であり、この概念を用いた社会批評を展開している適菜収氏は、B層を「マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち」と規定している。つまり、マスコミ報道が、グローバル化や規制緩和が良いものだと喧伝すれば、それを鵜呑みにしてよく分かりもしないのに「賛成!」と叫ぶ迂闊で知性を欠いた人々である。小泉自民党は、これを支持基盤とする戦略を立て、見事図に当たった。

このとき、戦後日本政治を長年支配してきた自民党は根本的な転換を遂げた。すなわち、さまざまな社会階層の人々を過不足なく代表する国民政党を標榜してきた党が、特定の階層に支持基盤を見定める党へと密かに変身したからである。国民政党が階級政党へと変貌したのである。こうした変身の背景は、総中流社会の崩壊の進行にほかならなかった。バブル崩壊以降、ケインズ主義政策はもはや通用せず、ネオリベ化グローバル化の進行とともに戦後の経済発展が実現した総中流社会が崩壊するなかで、新しい階級社会が形成されてきた。その新階級社会における最大のボリューム・ゾーンに照準する戦術の具体化が、B層の取り込みであった。いまや「みんな」の利害を代表することが構造的に不可能であるのなら、グローバル化の促進が自らの階級的利益に反することを理解できないオツムの弱い連中をだまくらかして支持させればよいではないか。このシニシズムが小泉自民党の赤裸々な本音だっただろう。こうした変化はまた、治者と被治者とがお互いに対して抱く感情の基礎が、「信頼と敬意」から「軽信と侮蔑」に転換したことを意味しもする。後者は、中流階級が没落するネオリベラリズム・デモクラシー体制の基本エートスとなる。

そしていま、何が起こっているのか。自公政権を助ける要素のひとつは、低投票率であるように思われる。その逆の命題を主張する予測データもあるが、どちらが正しいのか今のところ結論は出ていない。少なくとも確実なのは、投票率が低ければ低いほど、公明党の握る組織票の効果が増すことである。この側面から見れば、安倍自民党が依拠するのは、B層だけでなくD層であると言える。D層とは、「『IQ』が比較的低く、構造改革に否定的」と規定され、失業者など「社会の負け組」であるとスリード社は定義しているが、この層は打ちひしがれているか、あるいは日々の困難を乗り越えることに必死であり、政治全般について完全な無関心に陥っていると考えられよう。ゆえに当然選挙について関心がなく、投票行動の観点から見れば、投票率を低下させる階層だからである。そしていま、投票率の低下がさらに進んでゆくのだとすれば、それは取りも直さず、D層が拡大していることを意味するであろう。

投票しないことによって安倍政権を支えるのがD層だとすれば、大量の投票によって支えるのはB層である。そして、B層も小泉時代から変化した。その変化とは、排外主義的かつ妄想的なナショナリズムの憑依である。無論、小泉政権当時もナショナリズムの高揚の気配は囁かれていたものの、今日の状態とは比べるべくもなかった。3.11以降、傷ついた国家的プライドを埋め合わせるものとして、ナショナリズムは機能していると言えるだろう。そのナショナリズムは、伝統への真摯な参与もなければ、歴史に対する奥行きのある思い入れも欠いた、徹底的にジャンクで反知性主義的なものにほかならない。逆に言えば、小泉時代に顕在化した反知性主義に依存する政治は、排外主義的ナショナリズムとして現れているのである。

以上のような状態を是認させるために、今回の選挙は行なわれる。その悲惨さは言うまでもないが、認めなければならないことがひとつある。それは、彼らがポスト総中流社会の特質を的確に摑み、権力基盤の安定化に巧みに生かしているという事実である。嘆いていても何も始まらない。今回の選挙の結果にかかわらず、発明されねばならないのは、より巧みで大胆な戦術であるはずであり、それはネオリベ・デモクラシー体制を乗り越えるものとならねばならない。

著者プロフィール

白井聡
しらい・さとし

文化学園大学助教

1977年生まれ。文化学園大学助教。専攻は社会思想、政治学。著書に、『永続敗戦論――戦後日本の核心』(太田出版)、『未完のレーニン――〈力〉の思想を読む』(講談社)など。

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