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【総選挙2014】もう投票しなくていい

  • 森達也 (映画監督・作家・明治大学特任教授)
  • 2014年12月14日


Photo by Yuliya LibkinaCC BY 2.0

もう投票しなくていい。僕はもうあきらめた。

仮にこれから多少は投票する人が増えたとしても、おそらく50%には届かない。つまり有権者の半分以下の意思で、これから4年間の政治体制が決まる。しかも予想では自民単独で300議席以上315議席を上回るとの見方をした新聞もある。ならばあと2議席で衆院定数の3分の2。

つまりどう少なめに見積もっても、公明党を足せば与党が3分の2を占める。ならばこの4年で憲法を変えることが充分に可能になる。現状において参議院も公明党を足せば与党は過半数だ。仮に公明党が政権を離れたとしても、参院で否決された法案は衆院で再可決することが可能になる。

将棋でいえば詰み。チェスならチェックメイト。臨界は超えた

つまり法案はさくさくとすべて通る。ねじれ解消良かったね。ならば二院制の意味は何だろうと思うけれど、もう言わない。だって将棋でいえば詰み。チェスならチェックメイト。臨界は超えた。もう制御はできない

真偽は不明だがミハイル・ゴルバチョフが、我が国は失敗したが日本は世界で最も成功した社会主義国家だと言ったとの話がある。ジョークとしてもよくできている。自由を自ら手放して管理統制されることを望む国民。300議席を超えるなら、それは実質的にはほぼ一党独裁だ。仮にこれが自民党ではなく民主党や共産党、社民党だったとしても、議員数が300議席以上を占めるなら、それは民主主義を危機的状況に追い込む事態だと僕は考える。

でもよりによって自民党だ。

首相官邸のウェブサイトからリンクできる教育改革国民会議議事要旨には、「子供を厳しく飼いならす」との記述がある。「警察OBを学校に常駐させる」とか「団地やマンションには床の間を作らせる」「学校に畳の部屋を作る」などの項目も並んでいる。行政に対しては、「『ここで時代が変わった』『変わらないと日本が滅びる』というようなことをアナウンスし、ショック療法を行う」との記述もある。

まるで愛国親父たちの酒場の戯言だ。百歩譲ってもこれは内部資料だと思うのだけど、それが当たり前のように公開されている。なぜ畳や床の間なのか。そこに本音が透けている。いや「透けている」のレベルではない。剥きだしだ。

自民党が今も掲げる憲法改正草案の第一章は、「天皇は日本国の元首であり」から始まっている。第二章9条には「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」との項目が加わり、第三章13条において国民の権利への尊重は、「公益及び公の秩序に反しない限り」との条件が付加されている。そんなの当り前じゃないかと思う人にこれだけは言っておくけれど、「公益及び公の秩序の線引き」は誰が決めるのだろう。

子供は飼いならせ。勤労奉仕をさせろ。誇りを持て。国を愛せ

とにかく300議席を超えれば、この改正草案が間違いなくリアルになる。いや「秘密保護法」や「集団的自衛権行使」などで、今もほぼリアルになりかけている。天皇を元首として床の間の神棚(本音はこれだからね)に向って手を合わせる。子供は飼いならせ。勤労奉仕をさせろ。誇りを持て。国を愛せ。戦後レジームからの脱却は戦前への回帰。当然ながらアジアは緊張する。ならば国防軍の出番だ。積極的平和主義の名のもとに。

今回の選挙については、テレビの事前報道がとても少ない。朝日新聞(12月10日)によれば、解散から一週間における選挙関連の放送時間が、前回2012年の約3分の1に激減しているという。確かにそうだ。例えばこの原稿を書いている(12月11日朝)時点で、朝8時からの民放各局のワイドショーはすべて昨日のノーベル賞授賞式の華やかな話題で一色だ。三日後に迫った選挙についての情報はまったくない。選挙への関心が薄れて高視聴率が見込めないことと自民党がテレビ各局に文書で「公平」な報道を求めたことで、各テレビ局は選挙報道に慎重になっていると朝日新聞は解説しているが、前者にせよ後者にせよ、メディアの現状としてはあまりに嘆かわしい。

国境なき記者団」が発表した2014年度の「言論の自由度ランキング」で、日本は59位。ちなみに60位はアフリカのモーリタニアだ。ランキング発表を始めた2002年以降で日本が50位以下に転落したのは三回だが、いずれも安倍政権の時代だ。

国益という言葉は、いつからこれほどポピュラーになったのだろう

これを指摘する山崎雅弘は現政権とメディアとの関係について、公共放送の会長や経営委員など現政権と親密な関係を保つ社会的優位者が暴言を吐いても地位を失わなくなり、大手新聞社や在京テレビ局のトップが首相と頻繁に会食し、「国益」「売国」などの言葉が大手メディアや週刊誌で頻繁に使われるようになったなどの事例を挙げている。書きながら思う。そもそも国益という言葉は、いつからこれほどポピュラーになったのだろう。国の利益。見方によってはとても卑しい言葉だと思うのだけど。

でもいつからか多くの人が摩擦なくこれを口にするようになった。その反作用として、国の利益を損なったとする個人や組織を売国奴として攻撃する。テレビ番組や書籍のタイトルに「日本」や「日本人」が増え始めた時期と重複している。今回のノーベル賞受賞の報道もその延長だろう。そういえば安倍晋三と百田尚樹の対談本のタイトルは「日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ」。悪い酒でも飲みすぎたのだろうか。思わず大丈夫ですかと言いたくなる。

権力は暴走する。腐敗する。それは世の習い。そのために権力を監視する装置としてメディアがある。でもこの国のメディアは今、その機能を放棄しかけている。ほぼ現政権の広報機関だ。だから権力も気が弛む。暴言が頻発する。武器輸出三原則を防衛装備移転三原則と言い換えて変更する。現職閣僚がヘイトスピーチを行う団体幹部と記念写真を撮る。あまりに露骨で稚拙だ。ところが大きな問題にならない。だから事態は加速する。

書きながら鬱になる。もうこれ以上は書きたくない。だってこれは愚痴と言い訳だ。僕は精一杯抗った。でも力及ばなかった。後世に自分をそう慰める。

だからもう投票には行かなくていい。落ちるなら徹底して落ちたほうがいい。敗戦にしても原発事故にしても、この国は絶望が足りない。何度も同じことをくりかえしている。だからもっと絶望するために、史上最低の投票率で(それは要するに現状肯定の意思なのだから)、一党独裁を完成させてほしい。その主体は現政権ではない。この国の有権者だ。

まあ実のところは書くまでもない。僕ごときに言われなくたって行かない人は行かない。行かない人はそもそもポリタスを読まない。そんな意識もない。結果はもう明らかだ。15日以降に誕生するのは世界でも稀な自発的な独裁国家(でも考えたらナチスドイツもそうだった)。これから4年間でこの国がどう変わるのか、とてもとても楽しみだ。


Photo by Andrew KuznetsovCC BY 2.0

著者プロフィール

森達也
もり・たつや

映画監督・作家・明治大学特任教授

1998年、ドキュメンタリー映画『A』を公開。世界各国の国際映画祭に招待され、高い評価を得る。2001年、続編『A2』が、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。著書は、『A』『クォン・デ』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『下山事件』『東京 番外地』(新潮社)、『王さまは裸だと言った子供はその後どうなったか』(集英社新書)、『ぼくの歌・みんなの歌』(講談社)、『死刑』(朝日出版社)、『オカルト』(角川書店)、『虚実亭日乗』(紀伊国屋書店)、など。2011年に『A3』(集英社)が講談社ノンフィクション賞を受賞。また2012年にはドキュメンタリー映画『311』を発表。最新刊は『自分の子どもが殺されてから言えと叫ぶ人に訊きたい』(ダイヤモンド社)と『クラウド 増殖する悪意』(dZERO)。

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