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【総選挙2014】沖縄から基地がなくならない本当の理由:沖縄選挙区で投票する前に考えたいこと

  • 樋口耕太郎 (トリニティ株式会社代表取締役社長/沖縄大学人文学部准教授)
  • 2014年12月14日


撮影:初沢亜利

はじめに

本稿では、2014年の衆議院選挙に関する細かな分析は完全に割愛した。選挙において私たちがどのような行動をとるかは、私たちが社会をどのように解釈するか次第だ。このため、本稿は沖縄社会の基本的な構造についてのモデルを提示する構成となっている。沖縄選挙区に関心のない読者には適さないようにも見えるが、「沖縄問題はそのまま日本問題の縮図であり、日本と沖縄は入れ子構造になっている」、という前提で捉える場合は一定の意味を持つだろう。本稿は、提示した社会モデルが正しいと主張するためのものではなく、仮にこの社会モデルによって沖縄が直面する問題の多くを説明できるのであれば、読者はどのような意見を持つだろうか、どのような行動をとるだろうか、と問いかけるためのものだ。

サイレント・マジョリティ

2014年の沖縄県知事選挙は翁長雄志氏の圧勝で幕を閉じた。現職仲井真弘多氏との実質的な一騎打ちは、翁長氏が優勢と予想されていたが、ふたを開ければ、投票終了時刻と同時と思えるほどのタイミングで翁長氏が当選確実とし、二期務めた現職仲井真知事に10万票以上の差で圧勝した。最大の争点となったのは、米軍普天間飛行場の返還・移設問題だ。仲井真氏は、普天間飛行場の「危険性除去」をアピールし、一方の翁長氏は「辺野古の埋め立て阻止」に焦点を当てて選挙を戦った

投開票日の夜遅く、自民党の議員から電話があった。「今回の選挙でともかくショックだったのは宜野湾市で負けたこと。普天間飛行場を地域住民に取り戻すために、ここまで努力してきたのに……」お膝元の宜野湾市民が翁長氏を支持したことで、自分たちの努力が否定されたように感じたのだろう。仲井真氏と自民党は「民意」を読み違えたのだろうか? そうだとするならば、宜野湾市の民意とは、ひいては沖縄の民意とは何だったのだろう?

辺野古以外の移設先は現時点において存在しないため、「辺野古移設反対」というカードの裏側には、「普天間飛行場の返還を(実質的に)行わない」、という判断が不可分に結びついている。翁長氏を支持した有権者の多くが辺野古移設に反対しているのは明らかだが、翁長氏はそれ以外にも、基地返還に対して冷静な層を多く取り込んだ可能性がある。辺野古移設反対の熱気に包まれた選挙だったが、実は、基地返還にクールなサイレント・マジョリティが、翁長氏躍進の原動力となっていたとしたらどうだろう。沖縄県民にとって、普天間飛行場の返還を行わないという判断は、苦渋の選択ではなく、なんらかの積極的な意思表示であるという可能性だ。そうだとすると、普天間飛行場の危険性除去を訴えて選挙を戦った自民党は、民意から外れた戦略によって敗北を喫したことになる。


撮影:初沢亜利

それを示唆する根拠の第一は、宜野湾市の投票結果だ。有権者7万1000人に対して、翁長氏2万2000票、仲井真氏1万9000票であり、*今回の知事選挙で宜野湾市は普天間飛行場の返還を(実質的に)望まなかった(注)と言わざるを得ない**。宜野湾市が基地返還を望んでいないのであれば、沖縄県全体では推して知るべしではないか。

*(注)宜野湾市が普天間飛行場の返還に積極的でない理由として指摘される点は、基地が戻ってきたら多額の軍用地代が消失し、多数の地主が困るというもの。しかし、普天間飛行場の3000人の地主は宜野湾市の有権者数7.2万人の4%強に過ぎず、これだけで今回の選挙結果を説明することは難しい。

第二は、辺野古移設に伴う「埋め立て申請の承認撤回または取り消し」を確約した候補者が喜納昌吉氏だけだったという点だ。翁長氏は「承認撤回を求める県民の声を尊重し、辺野古新基地を造らせません」と述べるにとどめ、最後まで「撤回または取り消し」を公約にしなかった。その結果は、翁長氏の得票36万に対して喜納氏7800票沖縄の民意が辺野古移設断固反対、埋め立て絶対阻止であるならば、喜納氏の票が翁長氏の僅か2%という選挙結果は説明しにくいように思われる。

第三は、辺野古移設撤回のそもそもの可能性だ。2009年に政権を奪取した民主党鳩山由紀夫首相は「最低でも県外」と発言して、本人の地位どころか政権を揺るがせる遠因をつくってしまった。一国の首相が実現できなかったことを一県の知事ができるとは思いづらい。翁長氏が埋め立て申請の承認撤回を確約していないのは、その難しさを良く知っているからだ。有権者の中にもそう考えている者は多く、必ずしも辺野古撤回を目的としていなかった層が翁長票の中に相当数含まれていると考えるべきだろう。


撮影:初沢亜利

選挙後も多くの有識者、候補者、市民と会話を続けているが、私が会話した沖縄人たちの多くは、驚くほど基地問題に関してクールだ。「沖縄の問題は基地だけじゃない」、「中部の方々には気の毒だが、都市部で生まれ育った私の中に基地問題は存在しない」、「沖縄の社会問題は、経済発展によって減るどころか増加している」、「本土復帰以来、沖縄がどんどん沖縄ではなくなっていくような気がする」などなど……。彼らの言葉を聞きながら、私は、沖縄のサイレント・マジョリティとは、基本的な社会の方向性、つまり、沖縄が本土並みを目指して進んできた振興計画のあり方と、それが生み出した環境問題格差問題共同体の分裂など、今の社会の現状に疑問を持っている層ではないかと感じた。積極的な翁長票というよりも反仲井真・反自民票の流れが顕在化したのではないか。サイレント・マジョリティの望みは、辺野古反対でも、経済成長でも、一括交付金でもない、もっと素朴な沖縄社会を求めているのではないだろうか。その意味で、今回の知事選での勝利者は存在しないのかもしれない

社会は「豊かに」なったか?

沖縄県政が本土復帰以来追い求めてきた「本土並み」とは、補助金とコンクリートで日本の平均を目指すという意味だった

これまでの沖縄の「発展」のあり方を、虚心坦懐に見直してみよう。沖縄県政が本土復帰以来追い求めてきた「本土並み」とは、補助金とコンクリートで日本の平均を目指すという意味だった。選挙では辺野古の埋め立てに伴う環境破壊が問題になったが、沖縄は復帰以来海岸線を容赦なく埋め立ててきた歴史を持つ。結果として現在の沖縄本島で、嘉手納以南に自然のビーチは事実上残されていない。

宜野湾市では1980年代の西海岸埋め立て事業で、もっとも経済価値のある海岸線をコンクリートの護岸で固め尽くしている。現在の街並は倉庫とラブホテルとパチンコ店とショッピングセンターが連なる様相だ。宜野湾市民が普天間返還後のイメージに重ねあわせたとしても不思議はない。

豊見城市豊崎糸満市西崎・潮崎与那原町東浜もおおよそ同時期の埋め立てだが、美しい海岸線を個性のない街で塗り替えてきた。浦添市では昨年1キロ近くもあるキャンプキンザーの美しい自然の西海岸をコンクリートで埋めてしまったが、その後どのような開発をするべきかの青写真はまだない。沖縄では土木工事に伴う高率の補助金(工事代金の最大95%)を獲得することが目的化し、埋め立てのための埋め立てが止まらない。良い街を造るということは、はじめから埋め立ての目的ではないのだ

せっかく返還された基地の再開発も同様だ。1987年に返還された200haを超える米軍牧港住宅地区の再開発によって誕生した那覇新都心おもろまちは、基地返還後の経済波及効果のモデルケースとして取り上げられることが多いが、その街並は減歩率が不足して道路面積が十分に確保できず、日中は渋滞で車では出ることも入ることもままならない。目抜き通り、沖縄県の顔とも言うべき県立博物館・美術館の正面に、パチンコ店と量販店と低価格のビジネスホテルが連なる街並を見て無念と感じる県民は少なくない。長年基地返還のために戦って、県民が手に入れようとしていたものはこんな街なのだろうか。


撮影:初沢亜利

今年から開発が始まっている北谷町キャンプ桑江返還跡地北側地区38haは、あっという間に雑然とした街並に変化した。今後南側68haの返還を控えているが、その変化を見届けるのが不安になる。会話をしていたある沖縄人の言葉が心に刺さった。「どれだけ基地が返還されても悲しい街ができるだけ、基地返還が怖い」と。

沖縄の観光産業は今やもっとも低所得で、もっとも臨時職員比率が高く、もっとも労働者の流動性が高い業種の代表格になってしまっている

発展を遂げていると言われている沖縄の観光産業も、来訪客数と観光収入は増加しているが、観光客一人当たりの滞在日数と消費額の低下に歯止めがかからない。沖縄本島の魅力はどんどん褪せて観光事業者の利益率は低下を続ける。沖縄の観光産業は今やもっとも低所得で、もっとも臨時職員比率が高く、もっとも労働者の流動性が高い業種の代表格になってしまっている。従業員が幸せでなければ、思いやりで顧客に接することはできない。観光立県を支える観光産業の現場には夢がなく、疲弊している

成長著しいとされる「IT産業」も、その実体は大半がコールセンターなどのBPO(外出し事業)であり、人件費が安いという理由で沖縄が選ばれている業態の典型だ。本土大手企業が低価格の沖縄子会社に単純作業を投げ、東京本社では付加価値の高い業務を行う分担が出来上がっている。沖縄の従業員は、将来上がる見込みのない低賃金で働き続けるだけでなく、発展性のない単純作業をくり返すことが求められているため、十分な学習機会が得られず、やる気を失い、人材が育たず、マネージャーはいつまでたっても本土からの派遣で賄われる

沖縄は豊かになったか?答えは、あなたがどの階級に属するかによってまったく異なる。復帰以来40年を経過した沖縄振興計画は、土木事業を中心に経済の「量」的拡大を見事に達成したものの、「質」を置き去りにして環境を毀損し、美しい街を奪い、観光資源を消費し、拡大する一方の格差社会の中で県民の大半は低賃金に喘いでいる。沖縄振興のなにかが間違っていたのだろうか?

基地経済「5%」の謎

今後ますますアジア経済圏が成長する中で、人件費の安さではなく、人材とイノベーションと産業の付加価値によって社会を支えなければならないのだが、沖縄はこの流れに逆行することで自らの付加価値を低下させている。それにも関わらず沖縄経済が日本の地方都市の中でも絶好調であるように見えるのは、基地関連の莫大な補助金が存在するからだ。

沖縄の基地経済を語る上で、沖縄の「基地関連収入」は県民総所得の「5%」程度まで縮小し、現在の沖縄経済はほとんど米軍基地に依存していないという議論が存在する。沖縄県庁、学識者、マスコミなどが一貫してこれを支持し、先の知事選では仲井真、翁長両氏がくり返し引用するなど、沖縄ではこの論旨がほとんど無批判に受け入れられている。

「沖縄は基地経済に依存していない」と主張できれば基地反対の声が強くなりやすいため、この数字は政治的に利用されてきた。しかしながら、この「基地関連収入」は沖縄経済の補助金依存度を計る指標としてはミスリーディングで、ほとんど事実ではないとすら言える。「5%」の根拠となる「基地関連収入」は一般に、

(1)軍用地料

(2)軍雇用者所得

(3)軍人・軍属消費支出(米軍などへの財・サービス)

の合計額と定義されているが、沖縄に米軍基地が集中していることの「見返り」として提供されてきた有形無形の補助金、税制優遇、観光プロモーションなどの一切はこの中にカウントされていない

あくまで沖縄「振興」予算であって、「基地」関連経済ではないという解釈

顕著な例では、辺野古移設への事実上のバーターとして沖縄に提供される一括交付金など、年間3000億円を超える沖縄関連予算あくまで沖縄「振興」予算であって、「基地」関連経済ではないという解釈だ。よって先の計算からはまるまる除外されている

沖縄自立経済の代表格とされる観光産業においても、那覇空港を発着する国内便の着陸料、空港施設利用料、燃料税が1997年から大幅に減額され、この年から沖縄への観光客数は急カーブを描くように上昇して15年間で倍増したこの税制優遇措置が観光客の増加に寄与したことは明らかだが、この効果も先の計算には入っていない

ビールや泡盛など、沖縄で生産・販売される酒類には酒税の減免措置があり、軽減分は復帰から2009年までの累計で約1060億円であるこの優遇措置によって支えられている酒造産業が地域に及ぼす経済効果、雇用で支えられる生活、教育、消費支出なども計算外だ。その他、沖縄経済の隅々に浸透している補助金経済のほとんどは、この「5%」にカウントされていない。このように考えた場合の基地依存型経済の規模は「5%」どころか、県民総所得の相当規模を占めると考えるべきだろう。正確な統計は存在しないが、私の感覚では少なく見積もっても県民総所得の25%、恐らくは50%前後が順当な水準ではないか。そうだとすると沖縄県庁が主張する「5%」の10倍である。


撮影:初沢亜利

県内格差の構造

大量の補助金がこれほど狭い地域に投下されているにも関わらず、沖縄では最低賃金で働く労働者数、非正規社員数、平均所得、平均家計収入、完全失業率いずれも全国最低水準である。いったいぜんたいこれだけの補助金はどこに消えているのだろう? 回答のひとつが県内格差である。沖縄の平均所得は日本で最低水準だが、年収1000万円以上の対人口比は全国第9位だ。沖縄は一般に言われているような単純な「貧乏県」ではなく、日本最大の「超・格差県」なのだ。沖縄と本土の格差はよく議論に上るが、沖縄問題の本質はこの県内格差にこそある。沖縄県内において、補助金の「川上」に位置する保守層が補助金経済の多くを享受する構造が存在する。県内格差を生み出し、維持しているメカニズムは沖縄の内部にあるのだ。

例えば先月、沖縄県内の有名泡盛メーカーが役員4名に4年間で20億円近くの報酬を支払い、沖縄国税事務所から申告漏れを指摘されていたという報道があった。この泡盛メーカーは戦後間もなく創業した老舗で、従業員40人弱の中堅企業である。先にも述べたように、沖縄で製造・販売される泡盛は、沖縄振興特別措置法によって酒税が35%減免されているために安価で求めやすい。この減免措置によって沖縄の酒造メーカーは大いに潤っているのだが、内実はそれだけの補助金が激しい格差を生み出す原動力になってしまっている。沖縄全体の振興が目的であるはずの補助金や税制優遇措置が、一部の保守層に傾斜的に配分されている典型的な事例だ

酒税軽減の特別措置は過去8回延長されているが、その延長運動はオリオンビールと県酒造組合連合会で組織する県酒類製造業連絡協議会が中心となり、日本政府に対しては沖縄県知事が交渉を行ってきた。酒税軽減措置は、本土復帰の激変緩和策および沖縄振興政策の一環ではあるものの、現実的には沖縄側が基地反対を唱えることで更新が続けられてきた面があることは否めない。例えば先に示した「基地依存度5%」という数字が県民の基地反対の声を高め、政府に対して酒税などの特別措置を継続する圧力となり、沖縄の保守層が既得権を維持することにつながる。「5%」が政治的に利用されてきたとはそういう意味だ

経済的にも精神的にも真の自立から遠のき、基地経済への依存をさらに深めるという皮肉な連鎖

基地反対の精神はまったく正しいことだし、米軍基地が沖縄に集中している現状はどのような論理によっても正当化できるものではないが、一方で、沖縄で基地反対の声が強くなるほど、政府は躍起になって補助金を増額し、その多くが県内の保守層に集中して、格差がさらに拡大し、経済的にも精神的にも真の自立から遠のき、基地経済への依存をさらに深めるという皮肉な連鎖が続いている。

そう考えると、「5%」という数字は、沖縄の自立の象徴というよりもむしろ、本土への経済的依存を促すマジックワードとして機能している。同様に、辺野古移設問題のように基地反対の声が高まるほど、補助金が増額され、結果として保守層が富み、格差が拡大するが、これは基地の固定化を目指す日本政府の意図とも一致する。


撮影:初沢亜利

悪意なき独占

とても酷い言い方に聞こえると思うのだが、沖縄の保守層は(必ずしもそれを意図としなくても、結果的に)多額の補助金を不均等に分配する役割を果たすことで、沖縄内部に激しい格差を生み出す原動力になってしまっている。沖縄の労働者は全国でもっとも低い賃金で働いているが、彼らは保守層が経営する事業に安価な労働力を提供することで、結果として保守層の既得権を支えている。保守層の立場では、自分たちが富を蓄え、県内格差が拡大するほど安い労働力が手に入り、自分たちの経営がさらに安定するという皮肉な図式だ

——私は、沖縄の社会構造と米軍基地が復帰以来40年間を経過してもいまだに維持されている理由を正確に理解したいと望んでいるのであって、特定の誰かを批難したいわけではない。実際のところ、保守層が従業員や地域に資本を還元しようと思っても、独特の人間関係のバランスで成り立っている沖縄社会において、それほど事は単純ではないのだ。

例えば、先日私の友人の医師が開業することになった。経営に関して相談を受けたので、私は、何よりも従業員の働きやすさを優先するようにとアドバイスした。可能であれば正社員だけで運営し、業界水準以上の給与を支払い、労働時間や福利厚生を手厚くすることを勧め、彼らの声に注意深く、頻繁に耳を傾け、従業員の自主性と成長を重んじることが、莫大な生産性を生み出すことを説明した。社会はこれから大きく変化する。今はきれいごとに聞こえるかもしれないが、人を何よりも大切にする経営が遠からず報われるようになる。その方向に経営の舵を切るのは、重要な経営戦略である、と。

私のアドバイスに納得した友人医師が手厚い待遇で従業員を募集したところ、同業者から様々な妨害を受けた、と私に語ってくれた。沖縄では革新者に対してやんわりと、曖昧な言葉で、ときには無言で、目には見えない暴力的な圧力がかかることが珍しくない。「おまえのところだけ従業員に高い給料を払っていいカッコすれば周りが迷惑する。沖縄社会のバランスを乱すものは悪である」といった声だ。

恐らくこのようなことも理由のひとつだと思うのだが、沖縄は企業経営者の大半が2代目、3代目であり、成功した創業者が非常に少ない地域だ。それが悪平等であったとしても、競争の芽を潰し、新しいものの誕生を妨げる社会風土が根強く存在する。ひとりで事を起こすことは難しく、親しい間柄、特に血縁内の「承諾」なしで強行すれば、重要な人間関係を壊すことになる。緊密な血縁者から十分な協力が得られなければ、小さな沖縄のマーケットで事業は成り立たない

沖縄の保守層が自分たちの身内の利害を何よりも優先させることは当然の行動原理であり、逆に、そのように振る舞わなければ、彼ら自身も居場所をなくすことになる

血縁社会沖縄では、自分の身内に忠誠を誓うのは重大なルールである。多くの人は仕事よりも、友人関係よりも、親戚同士の関係を優先し、本土で暮らしている沖縄人が沖縄に戻ってくる理由はたいてい家庭の事情だ。血縁を大事にしているということももちろんあるが、それ以上に、このルールを破れば沖縄社会で居場所を失ってしまう。沖縄には模合(もあい)という頼母子講が根強く存在するが、30年間毎月続いているような模合も珍しくない。親密さの現れということ以上に、続けなければやはり人間関係に重大な亀裂が入る可能性がある。沖縄人が常に身内を優先することで、外部から見れば筋が通らない振る舞いをしたとしても、他に仕様がないのだ。同様に、沖縄の保守層が自分たちの身内の利害を何よりも優先させることは当然の行動原理であり、逆に、そのように振る舞わなければ、彼ら自身も居場所をなくすことになる。

敢えて先の泡盛メーカーの経営者の立場を代弁するならば、仮に従業員に十分な報酬を与えると「あそこはやたら羽振りが良い」と噂になって、経営上さまざまな不都合が生じる可能性がある。経営者のご都合のようにも見えるが、周囲とのバランスが崩れれば経営そのものが成り立たないというジレンマが存在する。かくして沖縄の賃金は全国最低水準で相場が形成される。ただでさえ事業収益の確保を最優先する経営者が、相場以上の給与を積極的に支払うインセンティブは生まれない。沖縄の企業で働く従業員の給与が一向に上がらないのは、事業的な理由も然ることながら、そもそも報酬を積極的に上げようと考えている、あるいは、上げることができると考えている経営者がほとんど存在しないことが原因だろう。

復帰以来40年以上沖縄県政が様々な政策を試みているにもかかわらず沖縄県民の所得がいつまでも上がらないのは、このような社会構造を見落としているか、あるいは看過しているためではないか。いずれにしても、誰かが積極的な悪意を持ってこのような構造を引き起こしている訳ではない。「地獄への道は善意で敷き詰められている」というが、誰もが自分が守るべきもののために、目の前の利害を積み重ねた結果なのだ。


撮影:初沢亜利

現状維持の社会

沖縄の保守層は、補助金経済が継続し、県内格差の勝ち組として独占的な地位を獲得している現状に痛痒を感じないため、現状維持を図ろうとするインセンティブがどうしても生じる。変化が少ないほど好都合で、新たな取り組みに消極的であり、外部からの参入を嫌う。企業内部でも英断派は出世しづらく、敵を作らない決断の少ない穏やかな人物が経営を引き継いでゆく。保守層にとっては現状を守ることが重要だから、おもろまちも、宜野湾西海岸も、北谷町桑江も、泡瀬干潟も、浦添西海岸も、過去のやり方で問題にならない。むしろ、異なる発想で開発を試みたり、より良いものを生み出そうと奔走したりすると、周囲から無言の圧力が加わって社会から浮き上がってしまうどれだけ基地が返還されても、いつも通りの雑然とした街になっていくのはこのような理由による。繰り返しになるが、沖縄の保守層も血縁組織の内部に生きている。一人が「このやり方はおかしい」と感じたとしても、緊密な人間関係の輪を乱すリスクをとって単独行動を起こすことは極めて難しい。

沖縄経済はイノベーションを生み出す力を失ってしまった

結果として、沖縄経済はイノベーションを生み出す力を失ってしまった。創業社長またはそれに匹敵する新規事業分野を開拓し、本土市場でも競争力を持ち、補助金に頼らず、オンリーワン企業として活躍していける沖縄企業はほとんど存在しない。生産性を生み出すことができなければ補助金に頼るほかはなく、創造的な仕事がなければ人材は育たず、大半の県民が低所得で生活し、生活の質が低下し、依存の構図が深まり、教育が劣化し、社会問題の数々が広がり、県内格差が深まる。

このような沖縄の社会問題が生み出された原因は、沖縄の政治が過去40年間にわたって、人材の「質」を高めるよりも、補助金による「量」的な経済成長を何よりも優先してきたからである。経済成長優先、補助金中心の沖縄振興計画は、保守層の基盤を安定させる一方で、基地の固定化を望む日本政府の意図に適っている。そのような明確な意図はないかもしれないのだが、保守層にとっての基地問題とは、解決を目的とするものではなく、社会の現状維持のための手段になってしまっている。

一方で、革新と呼ばれている人たちの基本的な世界観は、沖縄の社会問題のほとんどは本土との対立構造に起因するという認識に基づいているために、沖縄の内部に現状維持を望む強い動機が存在すると言う真実にたどり着かない。対本土あるいは反基地に対する感情が高まるほど、日本政府からは「火消し」としての補助金増額がなされて基地依存の基本構造が強化されると同時に、本土vs沖縄という分りやすい対立構造の中に本当の問題が隠されてしまうため、結果として保守層を利して現状維持に力を貸してしまっている。

真に革新するべきは、沖縄内部の格差であり、個人の創造性を殺してしまう社会圧力であり、人を育てきれない風土であり、有能な人材を活かすことができない組織のあり方である。


撮影:初沢亜利

動機の高さで選ぶリーダー

先の知事選では、サイレント・マジョリティが動いた。彼らが本当に突きつけたNOは、現状維持を目的としてきたこれまでのリーダーシップに対してだったのではないか

あと数年もすれば団塊の世代が70代に突入し、就労人口の減少と相まって日本の労働環境は劇的に変化する。介護問題、年金問題、医療問題など大問題の数々があらゆる産業を直撃するとき、県内格差が進みすぎた沖縄でこれまでの社会構造を維持することは難しいだろう。そのときに何よりも必要とされるのが、新たなリーダー像である。

沖縄は社会全体のために奉仕するリーダーを輩出しにくい社会だ。社会の全体最適を優先すると自分の血縁組織からは「裏切り」に映るため、どうしても身内を優先せざるを得ない。その結果が今の沖縄の姿である。

自分にとって大切な人のために働くことは容易なことである。可哀想だと思う人に優しくすること、自分を評価してくれる人のために尽くすこと、気心の知れた人に思いやりを示すことも別段難しいことではない。しかしながら、自分と利害が対立する人を助けること、自分の主義主張と異なる人のために働くことこそが、リーダーのリーダーたる所以なのだ

沖縄から基地がすべてなくなっても、それだけで私たちの社会は決して豊かにならない。補助金をどれだけ獲得しても、天に届くまで経済成長を成し遂げでも、である。社会のために心を尽くす人材、高い動機に突き動かされて生きるリーダーをこの沖縄社会で発掘し、育てることができるかどうかに未来がかかっている。


撮影:初沢亜利

著者プロフィール

樋口耕太郎
ひぐち・こうたろう

トリニティ株式会社代表取締役社長/沖縄大学人文学部准教授

1965年生まれ、岩手県盛岡市出身。1989年筑波大学比較文化学類卒、野村証券入社。1993年米国野村証券。1997年ニューヨーク大学経営学修士課程修了。約8年間のウォール街での勤務後、共同経営した金融ベンチャー(JASDAQ上場)を業界最大手(当時)に導くなど、 日本と米国の金融・商業不動産事業で大成功を収める。14年前に沖縄でリゾートホテルを取得・再生したことをきっかけに価値観を大きく転換。次世代の社会と経済を、人間中心・愛の経営で再生する経営受託会社トリニティ設立、代表取締役社長(現任)。以来、人と事業と地域の再生がライフワーク。南西航空の復活を目指して12年になる。 2012年沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科准教授(現任)。南西航空の再生をテーマにした「沖縄航空論」、人と社会の幸せを考える「幸福論」など担当。2018年人間中心の福祉と経営を学ぶ『命の学校』を沖縄県社会福祉事業団と共同で開校し学長に就任(現任)。 沖縄社会・経済・教育・福祉・貧困を統合的に分析した論考「沖縄から貧困がなくならない本当の理由」(沖縄タイムス電子版「樋口耕太郎のオキナワ・ニューメディア」で連載中)は、県内外で100万人以上に読まれる「隠れたミリオンセラー」である。沖縄経済同友会常任幹事(2009年度~現任)。沖縄に移住して14年。

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