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【総選挙2014】「資本の論理」の呪縛のなかで

  • 浜本隆志 (関西大学文学部教授)
  • 2014年12月14日


Photo by ROBERT HUFFSTUTTERCC BY 2.0

1. 「資本の論理」という獰猛なメカニズム

有権者のアンケートでは、選挙の投票において最も重視するのは景気対策だということを常に耳にする。これは景気が良くなれば、そのおこぼれで生活が潤うことを期待するからである。たしかに好景気はだれしも望むところであり、多くの人びとは、そう説明されると自明の理としてこれを受け止める。こうして景気を浮上させるために、日銀を巻き込んだ円安誘導、株高志向が当然視される。

この景気浮揚政策によって、庶民も潤うというのは幻想にすぎない

たしかにその施策は大企業の経営者にとって、あるいは富裕層にとって「渡りに船」である。多くの人びとはあたかも大企業の経営者か、その意を受けた政府の代弁者であるかのように、それと一体化して期待する社会状況が生まれている。本来、この景気浮揚政策によって、庶民も潤うというのは幻想にすぎない。事実、同じアンケートでは庶民の生活は、その副作用で、ほとんどよくなったという実感がないと答えている。いうまでもなく、現代社会は根底において富裕層と庶民のあいだに、大きな乖離現象が起きているからだ。

「資本の論理」は利潤の追求と、企業の増殖を目指す。大企業はアベノミクスによって恩恵をこうむっても、内部留保に向けたり、その利益を担保にし、さらなる「資本の論理」の展開を試みたりする。本来、「資本の論理」には、それを社会に還元し、慈善事業に寄付するという発想も、弱者に施すということもない。したがってそれは格差とアンバランスを増大させるばかりである。

われわれは薄い殻の上に乗っかり、殻が壊れると奈落へ落ちる危険性と隣り合わせで暮らしている

「資本の論理」は、もともとアメリカ型資本主義のポリシーであった。アメリカモデルは現代文明の原動力であり、グローバル化して、いうまでもなく日本もそれに追従してきた。欲望を刺激し、大量生産・大量消費の連鎖を促す構造は、一見、豊かな生活を生みだし、人びとはそれを享受してきた。ところが日常生活で必須の電気、ガス、交通機関が停まっただけでもパニック状態をひき起こす。現代社会では自然災害や事故が発生すれば極端にもろい構造であることを、すでにいろいろな場面で見せつけられてきた。われわれは薄い殻の上に乗っかり、殻が壊れると奈落へ落ちる危険性と隣り合わせで暮らしている。

現代文明の基礎を創った近代アメリカは、「資本論理」という獰猛なメカニズムを生みだし、大企業による買収、金融資本主義による「投機マネー」などによって、金の力でなりふりかまわず強者の論理を押し通してきた。ブラック企業による長時間労働や、派遣型社員を利用した経営合理化、フクシマの原発事故すらも「資本の論理」が引き起こした帰結でないのだろうか。

まだアメリカ資本主義の揺籃期に、すなわち開拓時代に、アメリカ人はポトラッチというネイティヴ・アメリカンの奇妙な習俗に遭遇した。その発想は開拓民のキリスト教とも異なり、一獲千金を目指すものにとっては理解不能なものであった。現代と対比するために、この習俗を少し見ておこう。

2. ポトラッチの習俗

フランスの文化人類学者モース『贈与論』の中で、北西太平洋岸のネイティブ・アメリカンの習俗を通じて潤沢な贈答儀礼が、部族の平和存続に不可欠であったことを述べている。贈与は神を通じて与えられたものであるので、魂のこもったモノに対して、それに見合うモノを返礼するのが神の意志に沿うものであるからだ。富裕者は富を分配すれば尊敬され名誉が増大する。またポトラッチによって、自己犠牲を払ってでも贈与することによって、部族内や他の部族と友好関係を結び、特別な場合を除いて戦争などを回避できた。

ネイティヴ・アメリカンは所有の不均衡さが、非対称の世界を作り、社会は大きな矛盾を背負うので、持てる者は大盤振る舞いして、みんなに分配して共生していたのである。というのは、モノには魂があって、そこには悪霊も同時に内包しており、それをため込み、所有しておれば不幸が増殖して、本人にわざわいをもたらすと解釈されるからである。だから、ときには過剰な廃棄という現象も起きた。

かれらはアメリカ西部開拓時代に、「白人」と遭遇した時にも、贈与によって友好関係を築こうとした。しかしアメリカ開拓民は、かれらからプレゼントを貰っても返礼をしなかった。とくに開拓者たちは、ネイティヴ・アメリカンの最高の財産であるトリの羽根の飾りをもらっても、無造作に放置し、お返しなどしなかった。それどころか、かれらはネイティヴ・アメリカンの土地を勝手に所有し、自分の財産とした。世界観の違いが対立の原因となったけれども、武力に優った開拓民は、ネイティヴ・アメリカンを虐殺したり、排除したりして、西部開拓を推進した。

かつてアメリカの歴史は西部開拓を正義の戦いと主張した。まさしく西部劇はその視点からの映画であった。そしてアメリカ、カナダ政府はポトラッチの本質を理解せず、行き過ぎ過剰な面を問題にして習俗を禁止した。それはかれらのキリスト教的世界観と相容れなかっただけでなく、「資本の論理」にも反することであったからだ。近年、禁止令は廃止され、ポトラッチをはじめ、プレゼントの慣習が平和な共生社会を築くために、重要であることが再評価されるようになった。


ネイティブ・アメリカンの首長のポトラッチ用建物、富裕者はここでみんなをもてなした

3. 時代のターニングポイント

ポトラッチの贈与は現在では、夢物語であり、ほとんど理解できない発想であると考える人が多い。もはや持てる者が優位に立つ、「資本の論理」のなかでは、それはなんの現実的なアンバランスの解決方法にもならないという向きもある。それにもかかわらず、ポトラッチは先人の知恵であり、その精神は現代社会において教訓的である。ネイティブ・アメリカンは何千年も、その伝統を受け継ぎ、平和に暮らしてきた。かつては現実のものであったポトラッチは、時代遅れの習俗ではなく、やはり現代をあぶりだす意味において、重要な問題提起をしているのではないか。

現代では、「資本の論理」や競争社会に対抗するものとして、「共生」というパラダイムが想定できる。共生は「資本の論理」の対極の概念で、競争社会のモラル欠落を戒める機能を発揮する。自然との共生、地域社会の共生、外国人との共生など、共生の切り口は多様であるが、共生の問題や、現在なお進行している格差拡大のメカニズムについても、ネットを用いた双方向性メディアによって、意見交換して解決の道を見いだすこともできる時代になってきた

ただ今、いまここでお題目を並べて、各論を展開する紙面の余裕がないが、具体的方策はひとつある。「資本の論理」の増殖化に対して、現在、対抗できるのは選挙によって政治のパラダイムを変える意思表示をすることだ。具体的にいえば、アベノミクスといわれているのが争点ではなく、時代のターニングポイントにいるという歴史認識から、投票をすることである。

後に歴史家は、2014年の選挙結果が、日本の政治のターニングポイントであったと分析するであろう

後に歴史家は、2014年の選挙結果が、日本の政治のターニングポイントであったと分析するであろう。それは「資本の論理」の推進だけでなく、並行して個人の思想信条まで政治が関与し、言論に干渉してくる時代へのターニングポイントという意味である。後者はナショナリズムという世論を媒介にして、間接的にその雰囲気を醸成して実施される。それはすでに歴史が前例を示してきた。過去のヨーロッパの検閲の歴史をみると、法的に言論を規制する場合もあったが、むしろ出版メディア側が自己規制して「自粛すること」が多かったからである。いまその序章が始まっている。

右肩上がりの経済成長期の勢いは、もはや望めない時代である。少子高齢化を迎え、時代は出口なしの、閉塞状況に陥る可能性が高い。そのなかで、それをカムフラージュするための代替として、日本のアイデンティティの核として、為政者はナショナリズムを醸成するはずである。またオリンピックという大イベントは、格好のナショナリズムの世論作りに寄与することになる。国益に反するという批判がまかり通り、自由にものがいえなくなる時代がくるのではないかと危惧される。「資本の論理」の呪縛から解き放たれ、冷徹に現実を見る目が必要である。自由にものがいえる社会は、与えられるのではなく創りだすものにほかならないからである。


Photo by t-mizoCC BY 2.0

著者プロフィール

浜本隆志
はまもと・たかし

関西大学文学部教授

1944年、香川県生まれ。現在、関西大学文学部教授、博士(文学)、ヨーロッパ文化論、比較文化論専攻。著書に『ドイツ・ジャコバン派』(平凡社)、『鍵穴から見たヨーロッパ』(中公新書)、『ねむり姫の謎』、『魔女とカルトのドイツ史』(以上、講談社現代新書)、『謎解き アクセサリーが消えた日本史』(光文社新書)、『モノが語るドイツ精神』、『拷問と処刑の西洋史』(以上、新潮選書)、『「窓」の思想史』(筑摩選書)、『紋章が語るヨーロッパ史』、『指輪の文化史』(以上、白水Uブックス)、『海賊党の思想』(白水社)など。

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