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1 世論形成をする「依存効果」の罠
朝日新聞の慰安婦問題と福島第一原発に関する誤報は、世間の厳しい批判にさらされた。なぜ朝日新聞がそのような誤報を行ったのか、同紙の従来からの"左寄り"の姿勢が、事実を見えなくさせていたという指摘が多い。このような特定の思想が事実誤認を生んだり、また時には事実のねつ造にまで至ることがある。そして新聞やテレビなどの影響力はあまりも強いために、このような事実誤認やねつ造は、世論形成に対して深刻なマイナスの影響をもたらしてしまうことがある。このようなメディアによってその読者の好き嫌い、または意見が影響されてしまうことを、「依存効果」と経済学者のジョン・K・ガルブレイスはかつて名付けた。
この依存効果は、新聞の社説、一面を中心にした匿名記事、ちょっとしたコラムや広告でさえも観察することができる。ガルブレイスによれば、経済学が通常前提にしている消費者主権は、このようなメディアが日々生み出している依存効果によって著しく阻害されている。ここでいう消費者主権とは、消費者の満足を最大化することが、その生産者・提供者の目的になる、という意味である。依存効果ではこの因果関係が逆転する。情報や財・サービスの送り手の方の満足が、消費者の好みをコントロールするのだ。
冒頭の朝日新聞の慰安婦報道で例示すれば、戦時下で日本政府が強制的に慰安婦をさせたという、いわゆる「吉田証言」を多くの人が真実としてうけとったとしよう。新聞の読者の多くが、「吉田証言」に沿った形でその他の慰安婦問題についての記事も読んでしまうことになりかねない。これは一種の言論操作といえる。依存効果においては提供されるニュースが真実であるか偽物であるかは問題ではない。あくまでもニュースの供給者の都合が優先しているだけだ。
2 マスコミで「ウソ」が価値をもつとき
「ウソ」にはニュースとしての価格はつかないはずなのだが、新聞社は独占力によってこの「ウソ」のニュースにプラスの価格をつけることができる
経済学では需要と供給が一致するところで取引される価格と数量が決まる。このとき前述したように、消費者の満足は最大化されている。ところが依存効果が発生するケースは、一種の企業の独占力がものをいっているので、企業がニュースという財の価格をコントロールすることができると考えていい。通常は「ウソ」にはニュースとしての価格はつかないはずなのだが、新聞社は独占力によってこの「ウソ」のニュースにプラスの価格をつけることができる。このとき消費者の満足はもちろん最大化されていない。
例えば、「ウソ」には事実をあえて伝えない、という行為も含まれるだろう。例えば、今回の選挙の争点には、軽減税率の問題がある。新聞の多くの報道は、これを低所得者対策として紹介している。他方で、軽減税率の適用を新聞各社こそが強く望んでいることは選挙中にはほとんど積極的に報道されない。ましてやそのような新聞社の姿勢に疑問を呈する論者の発言が掲載されることはない。
ちなみに軽減税率はむしろ富裕層の方に恩恵が大きく、低所得者層にはほとんど利益が発生しないことが一般には指摘されている(森信茂樹「軽減税率は究極のポピュリズム」)。高橋洋一氏によれば、「欧州など消費税の先進国では、軽減税率をやめて給付税額控除で対応する動きがある」(『アベノミクスの逆襲』(PHP研究所))だという。しかしこの種の「真実」が新聞で主張されることはない。なぜか。それは新聞自体が、軽減税率を望んでいるからである。このようにあえて伝えないことも新聞の「依存効果」の一例になる。ちなみに新聞の軽減税率批判を掲載した高橋洋一氏の記事は、朝日新聞の関連メディアから掲載を拒否されている。
3 ニュースの消費者も「ウソ」を好む、特に選挙中はウソのパラダイス
経済学者のマイケル・ジェンセンは、今度は消費者サイドから「なぜメディアはウソのニュースを提供するのか」を説明している。結論をいえば、「ウソ」のニュースを消費者自身が好むから、その好みに合わせてメディアが提供しているだけだ、という理論である。
物事の真実よりもニュースの消費者たちは単に面白さでそのニュースを購入する
ここでいうニュースは、政治、経済、芸能などの中味を問わない多様なメディアが提供する広告宣伝以外のサービス総体を指す。ジェンセンは、ニュースの消費は、「情報」の獲得よりも、娯楽の消費でしかないと喝破する。つまり物事の真実よりも、ニュースの消費者たちは単に面白さでそのニュースを購入するのである。このときガルブレイスの依存効果とは異なり、個々の消費者たちの満足は最大化されている。
ジェンセンはこのような消費者のニュースに対する好みを4つの側面から論じている。「あいまいさへの不寛容」「悪魔理論」「反市場バイアス」「危機への偏愛」である。
「あいまいさへの不寛容」とは、ニュースがもたらす「疑問」「問題」よりも、単純明快な「解答」を消費者は求める傾向を指す。証拠と矛盾していても、また複雑な問題であっても、単純明快な「答え」が好まれる。ニュースの消費者の多くは、科学的な方法を学ぶことにメリットを見出していない。そのためニュースの消費は、いきおい、感情的なもの、ロマンティシズム、宗教的・政治的な発言が好まれてしまう。
「悪魔理論」は、これは単純明快な二元論を好む傾向を意味している。善(天使)vs悪(悪魔)の二項対立的なものが好まれる。極端なものと極端なものを組み合わせて論じることがいまの日本の新聞やテレビでも人気だ。例えば、デフレが継続している経済から、金融緩和を行うとインフレではなく、極端な高いインフレにいきなり跳ね上がるとか。あるいは現時点では国債金利は0.5%にしかすぎないのに、わずか0.1%上がっただけでも「国債暴落」と騒ぐようなメディアの姿勢である。最近みかけた例では、「景気回復で雇用が増えてもみんな非正規雇用ばかり(だから問題だ)」というものもある。だが、実際には正社員の有効求人倍率は統計をとって最高の水準に至っているし、採用数も増加傾向だ。また非正規雇用の増加を「問題視」するのはあまりにも一面的であり、失業状態からの回復を図るうえでは重要な改善指標である。
だが、極端な状況=悪魔が好まれる。なぜならその方が「面白い」娯楽になるからで、それ以外の理由はない。 政府はしばしば最も好まれる悪魔の役割を担っている。いまの選挙中でも興味深いサンプルが尽きることはない。
「円安倒産」の増加を指摘した報道をテレビで最近みかけた。だがそれは「ウソ」に近い。なぜならアベノミクスが実行されてから企業の倒産件数は激減し、他方で「円安倒産」とされるものはその中のごくわずかな割合しかしめないからだ。これと似たような事例は、選挙期間中には、新聞やテレビだけではなく、ネットでも日々量産されている。
いわく「アベノミクスで富裕層の金融資産が激増した」(実際には資産が一番低い階層も増加し、その絶対額の増加は最も大きい)、「安倍政権になって外国に異常なほど円借款などばらまきをしている」(実際には日本への過去の円借款の返済を勘案すると突出しているわけではない)などなどである。
もちろん安倍政権の経済政策が無謬ではないが、さすがにこの種の「ウソ」報道のラッシュにはかなり辟易しているのは事実だ。
4 どう「ウソ」の世界に対処するか
さて、3番目の「反市場的バイアス」とは、市場で決まった価値を嫌う感情である。例えば規制緩和や自由貿易への否定的感情がどの国も強い。日本では構造改革を唱えた小泉政権への否定的感情や、またTPPなどの貿易自由化交渉への拒否反応は強く、それを唱えるメディアが好まれる傾向にある。ジェンセンは、家族のあり方が、反市場バイアスを生み出す理由ではないか、と注目している。家族の構成員の間の無償の交換(家事の分担など)が、金銭的報酬をもとめないことが、市場(金銭的報酬をもとめる交換行為が中心)への反感を生み出しているというのだ。これは興味深い指摘である。
メディアが煽る「危機」は、娯楽として消費者にうけがいい。それゆえに報道の側も「危機」を提供するバイアスがあると指摘する。また政治家や官僚たちもそのような「危機」を生み出す強いインセンティヴがある。「危機」を煽りながら自らの貢献を強調して、それで政治的な利益を得ようというわけである。 これは「危機への偏愛」にほかならない。
例えば、「リフレでバブルが発生し、やがて崩壊して経済がかえって苦しくなる」「消費税増税をやめると国際的信用がなくなる」という顕在化していない「危機」を政治家や官僚たちが生産するインセンティブが今日でも見られる。
もちろん個々の消費者は以上のような真実よりも偏った情報を好むかもしれない。しかしそれは社会全体のとってのニュース消費を適切なものにしなくなるだろう。
できるだけ多様な意見を表出するメディアが登場すること、そしてニュースの消費者自身の常に自分の意見がバイアスを伴っている可能性を意識する姿勢、それが特に選挙期間中のように真偽定かならぬ、さまざまな政治的思惑が交差する世界では有用な態度ではないだろうか。