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【総選挙2014】財政再建と景気回復のため解散権を放棄した英国のキャメロン首相

  • 木村正人 (在ロンドン国際ジャーナリスト)
  • 2014年12月12日


© iStock.com

岐路に立つ英国の議会制民主主義

友人の英国人女性と夕食をともにした時、「日本ではブラック・ウィドー(クロゴケグモ)の話が総選挙より大きなニュースになっているんじゃないの」と言われて、最初は何のことかわからなかった。クロゴケグモは強い毒性を持ち、体長1~1.5センチほどのメスは黒い光沢を放つ。

ウィドーは英語で「未亡人」のこと。青酸化合物で夫を殺害したとして殺人容疑で逮捕された未亡人が最初の夫と死別した後、10人以上の男性と交際(3人と再婚)、うち6人が死亡し、計8億円以上の遺産を相続していた事件の話だった。「ブラック・ウィドー」とは「黒い未亡人」、つまり毒婦の掛詞だ。

子供からも厄介がられる独居老人が資産をたんまりため込んでいる日本では起きてもおかしくない事件だが、英国人女性は「好きでもない男性とカネ目当てに結婚して、次から次へと殺害するなんて英国ではとても考えられない」と悲しそうな表情を浮かべた。

英国人の目から見て、その「ブラック・ウィドー」事件より、もっと理解不能なのが今回の解散・総選挙である。日本の議院内閣制のお手本になってきた英国では2010年の総選挙でどの政党も単独過半数に届かない「ハング・パーラメント(宙ぶらりんの議会)」となり、保守党と自由民主党が戦時連立内閣以来初めてとなる連立政権を組んだ。

肌合いが完全には一致しない連立で政権が不安定となり、財政再建と景気回復を同時に成し遂げるという難事業の妨げとなるのを事前に回避するため、キャメロン首相解散権を放棄した。英国政治史上初めてのことだ。増税と歳出削減による財政再建は国民には不人気な政策である。しかし、子供世代にツケを回すわけにはいかない。キャメロン首相は政権誕生時に解散権を放棄することで、任期いっぱいの5年間、財政再建と景気回復に全身全霊を捧げると有権者に誓約してみせたのだ。

意地悪なメディアにはたたかれ続け、首相の右腕であるオズボーン財務相は孤独だった。鉄の意志で英国の財政と経済を立て直したサッチャー首相の葬儀の際、財務相はサッチャーに自分の苦衷を重ね、涙を流したほどだ。NHS(国営医療制度)など一部を除いて各省庁の予算はギリギリまで削られた。財政は締めて、金融は大胆に緩めるという英中央銀行・イングランド銀行との二人三脚は奏功し、今年の経済成長見通しは国内総生産(GDP)比で3.5%、来年も3%と上を向いている。消費者物価指数は1.3%(10月)と落ち着き、2011年に270万人にまで膨らんだ失業者は196万人に減少している。

英国の民主主義はそれでも厳しい試練に立たされている。スコットランド地方のスコットランド民族党(SNP)や、欧州連合(EU)からの離脱と移民規制強化を唱える英国独立党(UKIP)が台頭し、英国伝統の二大政党制は瀕死の状態だ。来年5月の総選挙で、政権担当能力に疑問符がつく地域政党や小政党に多くの票が投じられたら、英国の未来に赤信号が灯るグローバル経済で先進国と新興・途上国の格差は縮まったものの、国内格差は逆に広がり、国内システムの根幹をなす民主主義への信頼は世界的に揺らいでいる

だからこそ、有権者の安心感を高める地に足の着いた政治が求められる。筆者はロンドンで暮らすようになって7年半になる。同じ議院内閣制とはいえ、日本の民主主義は英国のそれとは似て非なるものだ。英国の政府債務がGDPの200%を超えたことは過去に2度ある。ナポレオン戦争と第二次世界大戦で戦費が膨れ上がった時だ。ナポレオン戦争後は産業革命と植民地支配による経済成長で、第二次世界大戦後は通貨の切り下げハイインフレによって政府債務を縮小した。英国人の質素・倹約ぶりは徹底している。これが国際的な信用につながっている。

有権者は危険なジェットコースターに乗せられているのと同じだが、異常に慣れっこになって、もう何も感じなくなっている

一方、日本はサプライズの連続だ。首相が突然、近隣諸国の反発も顧みずに靖国神社を参拝したり、何のためかわからない内閣改造からわずか3カ月で解散・総選挙に踏み切ったり。衝撃的な日銀の「黒田バズーカ2」(質的・量的緩和の第2弾)。歳入増のあてもないのに歳出を増やし続け、事実上、日銀が引き受ける形になっている。放漫財政そのものだ。一体、政治家は何のために、誰のために政治をやっているのだろう。有権者は危険なジェットコースターに乗せられているのと同じだが、異常に慣れっこになって、もう何も感じなくなっている。

安倍晋三首相は「アベノミクス解散」で民意を問いたいという。しかし、民主党を筆頭に野党の体たらくで、与党勝利は投票前からわかりきっている。しかも、投票率が下がれば下がるほど、与党の地滑り的勝利が確実になるという仕掛けだ。これを民主主義の終わりと言わずして何と表現すれば良いのか。

安倍首相の経済政策アベノミクスで日本経済が成長を取り戻すことができなければ、このギャンブルは破綻する。国際金融都市ロンドンのヘッジファンドは賭けの勝率は10%とみる勝率がゼロとわかったとたん、アベノミクスは国家的な詐欺となる。アベノミクスの終わりがいつ、どんな形で訪れるかは誰にも予想できないが、日本経済は長くて暗いトンネルに入ってしまうだろう。政権の延命がすべてに優先する日本の政治は、家計や企業の金融資産をチューチューと吸い続けるブラック・ウィドーに似ていると言えなくもない。

著者プロフィール

木村正人
きむら・まさと

在ロンドン国際ジャーナリスト

元産経新聞ロンドン支局長。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。

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