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【総選挙2014】最高裁国民審査は「わからなかったら×(バツ)」で

  • 江川紹子 (ジャーナリスト)
  • 2014年12月8日


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14日に行われる総選挙の際、私たちは衆院議員を選ぶのとは別に、「もう1つの参政権」を行使することになる。最高裁判所裁判官の国民審査だ。

ただ、衆院議員候補者や政党に関する情報は、マスメディアにも街にも溢れているのに、この国民審査に関しては、国民に提供される情報が本当に少ない。投票所で、小選挙区と比例代表の2つの投票を済ませた後に、国民審査の投票用紙を渡されて、「どうしよう……」「よくわからない」と戸惑った人もいるのではないか。

そんな人に対して、投票所の職員が「わからなかったら、そのまま(投票箱に)入れておいて下さい」と促すケースが、今なおあるようだ。前回の総選挙でも、そういうトンデモ体験をツイッターで私に教えてくれた人が複数いた。

国民審査の投票用紙には、対象となる裁判官の名前が列挙してあり、その上に四角いブランクが並んでいる。やめてもらった方がいいと思う裁判官の上には×を記し、そうでない人は空欄のままにしておくのが決まり。何も書かずに「そのまま」投票すれば、全裁判官について「辞めずに続けてもらってよい」と判断したことになってしまう。公務員がそんな風に有権者の判断を誘導するなんて、あってはならないことだろう。

国民審査には制度的欠陥がある

よくわからないので、判断できない——そういう有権者は、国民審査に関しては投票せずに棄権をすることもできる。その場合は、投票用紙を受け取らない、もしくはいったん受け取った投票用紙を返せばよい。

ただ、せっかく投票に行ったのに、国民審査だけ棄権してしまうというのは、いかにももったいない。

では、わかる裁判官についてだけ判断をしよう。そう思っても、それはできない。一枚の用紙に複数の裁判官が並んでいるため、「A裁判官は辞めさせたいが、他の裁判官についてはよくわからない」という場合、A裁判官についての判断だけして、後は棄権する、という個別的棄権ができない。これは、大きな制度的欠陥だ。

「B裁判官には続けて欲しいが、他の裁判官については判断できない」という場合にも、B裁判官以外の判断を棄権することはできない。現行制度では、「辞めさせたい」裁判官も「よくわからない」裁判官も、無印にするしかなく、同じ扱いになってしまう。これでは、有権者の考えが結果に反映されているとは言えない。

信任したい裁判官には○、やめてもらいたい裁判官には×、判断できない人については無印とする信任投票にすれば、有権者の考えがもっと結果に反映されるだろう


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欠陥と言えば、最高裁裁判官の国民審査は、衆議院選挙と違って期日前投票が投票日の7日前までできないとか、海外に住む人たちの在外投票ができない、という問題もある。白紙の投票用紙に有権者が選びたい人の氏名を書くのと違い、あらかじめ対象裁判官の名前を印刷した投票用紙を用意するのに時間がかかる、ということらしいが、現代の印刷技術や通信・輸送手段は、この制度ができた昭和22年とは違う。対象裁判官はあらかじめわかっているのだし、解散から公示まで10日以上あるわけで、その間に準備ができないわけがないだろう。仮に、どうしても無理だというなら、期日前投票と在外投票のみ、白紙に有権者がやめさせたい裁判官の名前を書く方式にすればよい。現に、目が不自由な人たちの点字投票では、記名式で行われている。

なにより、多くの有権者が「よくわからない」状態のまま、投票に臨まなければならないというのは、この審査のやり方に問題があると言わざるを得ない。

最高裁裁判官の国民審査は、日本で国民が司法に対して直接意見表明ができる、唯一の機会

最高裁裁判官の国民審査は、日本で国民が司法に対して直接意見表明ができる、唯一の機会といってもいい。なのに、その重要な判断をする有権者の手元に事前に届くのは、『最高裁判所国民審査広報』と、それに基づいたわずかな報道のみだ。

前回は、朝日新聞が対象裁判官へのアンケートを実施したのが目を引いたが、1人ひとりにインタビューをして国民審査に臨む個々の考えをわかりやすく伝えるような記事は、私は見たことがない。総務省選挙課は「『わからない』という人が(投票所に)来ることは前提にしていない。審査公報をしっかり読んで来ていただくことになっている」と言うが、公報に書かれている「最高裁において関与した主要な裁判」を読んで、内容を理解し、評価できるのは、法律の専門家くらいだろう。

やめさせたい裁判官に×をつけるだけで、よいと思う裁判官に○をつけたりしてはいけない、という国民審査のルールすら、充分に浸透しているとは言い難いのが現状だ。

国民の司法参加」が謳われ、国民が裁判員制度で裁判にも駆り出される時代だというのに、このままでいいのだろうか。

知らない人に白紙委任状は出せない

そういう今の国民審査のあり方に対して、「ノー」を言う意味でも、私は、「わからなかったら×をつける」ことを提案したい。

そもそも、私たちは日頃、「よくわからない」人に白紙委任状を出したりはしない

そもそも、私たちは日頃、「よくわからない」人に白紙委任状を出したりはしないではないか。知らない人に、お金を預けたりもしない。なのに、最高裁裁判官という私たちの人権や国の法制度に大きな権限を持つ人たちについての大事な判断をする時に、「わからなかったら、お上にお任せしておく(=何もつけずに投票)」というのは、いかがなものだろうか。人権や法制度についての最終判断を、「よくわからない」人に託してしまって大丈夫か? この裁判官については「よくわからない」と思ったら、私は×をつける。

もちろん、「この人は信任したい」「この裁判官を辞めさせる必要はない」と思える人がいれば、その人については空欄のままにしておけばよい(くれぐれも、○をつけたりしないように。×以外の印をつけると無効になってしまう)。

私自身も、前回の国民投票では対象裁判官全員に×をつけたが、今回は、5裁判官のうち2人は信任の気持ちを込めて無印にしようと思っている。その2人については、先日の「一票の格差」訴訟判決での意見を読み、審査広報の「裁判官としての心構え」に、憲法の尊重や人権擁護の決意がしっかり明記してあるのを知って、ぜひ、今後とも裁判官を続けて欲しい、と思った


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量は少ないとはいえ、まったく情報がない、というわけではない。過去のインタビュー記事を掘り起こして紹介しているポリタスの記事など、優れた情報源もある。他の裁判官についても、投票日までの間に、もう一度、それぞれの判決や公報の記載など、できる限りの資料を読み直してみようと思う。

それでもわからなければ×。よいと思う裁判官のみ無印——最高裁の国民審査は、これでいくことにしたい。

著者プロフィール

江川紹子
えがわ・しょうこ

ジャーナリスト

東京都杉並区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランス。著書に『勇気ってなんだろう』(岩波ジュニア新書)、『救世主の野望・オウム真理教を追って』(教育史料出版会)など。

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