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都知事選 東京から日本が変えられる?

  • 浅井久仁臣 (キャタリスト)
  • 2014年2月3日

脱原発は都政と無関係?

今回の都知事選には多くの立候補者がいるが、私が注目したのは細川護煕、舛添要一の両候補だ。

ここで前置きしておくが、一般に「細川」対「舛添」と言っても、実態は、「細川・小泉連合」対「安倍」と言った方が的を射ているだろう。

さらにそれを言い換えれば、脱原発を軸とした細川・小泉連合の「自然との共生」とアベノミクスに代表される安倍首相の「成長戦略」とのたたかいとなる。

細川連合の旗揚げ直後、政権サイドや自民党から「脱原発は都政と無関係」との声が一斉に上がった。それはつまり、政権が細川陣営を相当意識していることの現われと考えられる。

最初は、“物珍しさ”から細川候補に好意的なアプローチをしたマス・メディアだが、いつの間に“毒饅頭”を食わされたか自民党筋の声を多く取り上げるようになり、論調にふらつきが出てきた。そして、中にはそれに同調する意見も散見されるようになった。

果たして、政権サイドが言うように、本当に脱原発は都政と無関係なのか。

私の答えは、NOである。それも確信を持ってNOと言える。

それは、原発事故が、都民の生活はもちろん、生命そのものを脅かすものだからだ。都民の安全を図る事が政治の最優先事項であることを疑うものはいない。

3年前、福島県のみならず、関東においても原発事故は深刻な状況をもたらした。関東以西の方には福島原発事故直後の東京の状況を想像し難いだろうが、あの時、次々に起きる未曾有の出来事に誰もが肝を冷やし、「もしかして日本の終焉か」とまで考えた人も少なくなかったのだ。

当時私は東京近郊に暮らしていたから記憶に鮮明だが、毎日目に耳にする絶望的な出来事と情報に、近郊のみならず、首都圏全体の人達の顔から精気が失せていた。茫然自失と言っても過言ではなかった。3月15日には放射性物質が首都圏に大量に降ったが、住民はその情報すら心にとめられず、マスクもせずに外出、放射能に身を晒した。汚染された水道水を飲んだ。子供にも飲ませてしまった。

「計画停電(東京は一部地域だけだった)」なる愚策がもたらした暗闇と寒さの中で、人々は不安に駆られ、行く末を案じていた。町から消えた食料品や飲料水を求めて、何軒も店をハシゴすることに怒りすら感じる余裕も失っていた。

在日外国人の多くが国外避難する姿を見て不安に駆られた友人、知人は私のもとを訪れ、子や孫を遠隔地に避難させるべきかと相談してきた。

ところが人間の弱さか、それとも日本人の民族性なのか。人々は時間の経過と共に原発事故がもたらした現実から、目をそらし始めた。

それは政・官・業・報が一体となって進める「臭いものに蓋」路線が強く影響したと思われる。長期間不安を持続するよりも、“明るい未来”を夢見る方が楽なのは分からぬでもない。だが、私達大人は子供を守る責務がある。見て見ぬふりなど論外ではないか。

確かに、東京都には原発はないが、“あの時”を思い起こせば、脱原発が防災、福祉、経済、教育等々広い分野において都民の日常生活に深く関わる根源的な問題であることが分かる。

都政を変えても国政に影響はない???

都知事一人が変わっても安倍政権にとっては大きな痛手ではないし、国政への影響は少ないとする論調も目立つ。

これも不見識、不勉強と断じざるを得ない。

かつて飛鳥田一雄氏と美濃部亮吉氏という一代を画した革新首長がいた。飛鳥田氏は1963年に横浜市長になり、全国各地に誕生する革新首長をまとめて、革新首長会なるものを率いた。同氏はその勢いをかって1967年、大学教員だった美濃部氏を都知事選に担ぎ出した。当時野党第一党だった社会党と共産党が共闘、“美濃部旋風”を巻き起こして戦前の予想を裏切り勝利した。その後、社共共闘は全国に広がり、全国の半分の人口が革新自治体にあると言われた。

美濃部氏は「都営ギャンブル廃止」や後に「バラマキ福祉」と自民党から批判された「弱者に厚い福祉」を実行、4年後の1971年には、「ストップ・ザ・佐藤」をスローガンに掲げて、時の宰相、佐藤栄作(安倍氏の大叔父)氏に戦いを挑み、史上最高の得票(当時)で自民党推薦候補に圧勝した。

これを見ても分かるように、都知事は、財政規模からも政治的影響力からも、また「直接選挙で選ばれる」点からも国政に大きな影響を与えられる立場にある。

そして考慮に入れるべきは、細川氏がかつて熊本県知事を8年間務めたことだ。国政のみならず地方行政にも通じた候補者は同氏のみ。当時3期目も期待されるほどの人気知事だったと熊本で聞いた。その実績から他の政策については他の候補に劣るとは考えにくい。

細川氏が当選すれば、この後目白押しの首長選挙に与える影響は計り知れない。今我々が考えねばならないのは、とんでもない方向に走り出した安倍政権を止める方策だ。そこに一番近道で、可能性が高いのは、細川氏が知事になって風を吹かすことである。同氏の出馬に大慌てした政権サイドを見ればそれが最も効果的であることは、一目瞭然のような気がするが皆さんはどう思われる?

安倍vs細川・小泉連合を歴史にたとえると……。

両陣営の体質とその志向を時代に置き換えてみると分かり易いのではないか。安倍氏の「明治」に対して細川氏は「江戸」に置き換えることができる。

欧米に追いつき追い越せと国を挙げてなりふり構わず経済を成長、覇権主義へと発展させたのが明治時代。明治の施策の特徴は「成長戦略」そのもの。目的遂行のためなら、他国への侵略や戦争も辞さずとした。そして実際に朝鮮半島を植民地にして中国やロシアと一戦を交えた。

一方、江戸は「平和」がテーマとされた時代。安土桃山時代に秀吉は10万人以上の大軍を二度にわたって朝鮮半島に派兵させた。そして残虐行為の限りを尽くした。

秀吉の急死に伴って権力を握った家康は、それまでの方針を一転させて朝鮮と和議を結び、朝鮮通信使を再開させた。そうして、それまで史上最悪であった日朝関係を一転させ、最高の友好関係へと変えた。だから不人気の秀吉と違い、家康は今でも韓国で最も人気のある戦国武将と聞く。

明治は「鉄」と「石炭」に依存。製鉄所と炭鉱は成長のシンボルとなった。大量消費が善とされた時代である。諸外国との交易も盛んで、法律や議会制度など、国の根幹となるシステムを欧米諸国から模倣して新たな国造りをした。国の発展のために国民は一丸となって尽くすことを強いられた。

江戸時代は「士農工商」という階級社会であり、それ自体は差別構造であったが、家康の平和志向の国造りは社会全体に浸透して、たとえ貧しくとも人情味溢れる生活が営まれた。人々は芸能文化を楽しみ、自然との共生を享受した。そこから生まれた伝統芸能や文化、心のありようは、現代日本に深く根ざしている。

私達が知る歴史では、どちらかと言えば、「明治が善(優)」、「江戸は悪(劣)」との視座が貫かれているが、それは今も続く歴史教育の“流れ”に大きく影響されている。沈滞して閉塞状態であった江戸末期、若者達が腐敗した幕府を倒して明治維新の旗の下、近代化というロマンを実践したという筋書きは、大正、昭和、平成と語り継がれてきた。そしてそれは、今も多くの人をひきつける。

明治を造ったと言っても過言ではないのが、長州だ。今で言う山口県の人たちである。長州が安倍晋三氏の生まれ故郷であることは言うまでもない。安倍氏の言動には自分の出自が常に見え隠れしている。明治時代を生きていると錯覚しているのではないかと思うこともしばしばだ。

一方の細川護煕氏の出自と言えば熊本の名が思い浮かぶが、意外に知られていないのが、愛知県岡崎市との深い縁。鎌倉時代、三河国額田郡細川庄(現岡崎市細川町)において細川家が興されている。細川家は、岡崎から始まっているのだ。細川氏は首相就任後に始祖の墓に報告している。

岡崎と言えば、「江戸のふるさと」。岡崎出身の家康が連れて行った家臣と職人、商人たちが、江戸という政治の中心都市の形態を整えたことで知られる(細川家は、関が原の戦い等の論功行賞で豊前中津藩39万9,000石の大大名となった)。岡崎人の多くが座右の銘とするのが質実剛健。質実剛健とは、「うわべに捉われることなく、本質を大事にして強くたくましい様子」を言うが、その精神を細川氏が受け継ぎ、東京を、そして日本を変えていって欲しい。

最後に

本稿を読まれて、読者の少なくない方が、私の姿勢がジャーナリストにしては「不偏不党」の姿勢から大きく逸脱すると思われるだろう。しかし、私がここまで強く政治姿勢を明らかにするのは、前述したような、これまでに経験したことのない社会、国際情勢への危機感を持つからである。ここまで肩入れするからには、当然のことだが重い責任を感じている。細川氏が当選すれば、厳しくも温かい目で見守り、苦言も呈していくつもりだ。

ただ、心配なのは、投票日が冬季オリンピック・パラリンピックと重なることだ。どうか都民の皆さん、テレビ観戦も悪くはないが、忘れずに投票所に足を運んでいただきたい。

最後に、私が細川候補支持を決めた「自然との共生」についての言葉を紹介しておきたい。

「世界でもおそらく初めての歴史的実験になるかも知れませんが、世界が生き延びていくためには豊かな国が生活のスタイルを共存型へ変えていくしかありません。成長がすべてを変えていくという傲慢な資本主義から幸せは生まれないということを我々はもっと謙虚に学ぶべきだと思います」

著者プロフィール

浅井久仁臣
あさい・くにおみ

キャタリスト

元AP通信記者。元TBS契約戦争特派員。現在は、故郷愛知県岡崎市の奥座敷で猪や鹿と農作物を共有しながら執筆活動、スカイプで「ジジイが教える時事英語」英会話授業、「出稼ぎ」と称した講演活動、ワークショップ授業を全国で行っている。昨年末、66歳にして男子を授かる。ちなみに「キャタリスト」とは、「異なる価値観、立場の人たちの間に入り、懸け橋になる存在」という意味。

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