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「原発」以外も大事と言うけれど

  • 吉田徹 (北海道大学法学研究科教授)
  • 2014年1月29日

今回の都知事選には、戸惑いが多い。それがいきなりだったというタイミングの問題はあるにせよ、戸惑いの最大の理由は「細川・小泉」という、過去の最高内閣支持率の記録保持者2名の「最強タッグ」が、「脱原発」というシングル・イシュー(単一争点)を掲げていることにあるようにみえる。

結論から言えば、こうした展開は、個人としても政治学者としても「有り」だと思っている。その訳を説明してみよう。

知事選は「大統領選」

まず、都知事選という首長選挙の特性を知っておくことが必要だ。

日本の自治体が「二元代表制」と呼ばれるように、知事や市長と議会議員はそれぞれ個別に選ばれる。先のエントリ(「都知事」とは何か→ http://politas.jp/articles/8 )で説明されているように、これは議院内閣制のもとでの選挙とは性格をかなり異にする。中でも首長を選ぶ選挙は、語弊を恐れずに言えば、大統領選挙に近い選挙が展開される。権限は違えども、日本の知事はトップダウンの大統領に近い職務スタイルに近づいていっている。

このことは、以下の2つのトレンドを生み出す。

1.「人」が大事

ひとつは、知事選では「人」の要素がどうしても大きくなる、ということ。ある有権者が投票する時、基準にするのは「政策」「業績」「所属」「人」の4つの要素のいずれか、もしくはそのミックスである。

「政策」は投票先の掲げる政策が自らの政策志向に近いかどうか。「業績」はそれまでに統治者が残した成果を評価するかどうか。「所属」はどの政党を支持してきたのか。そして「人」は、その人に好感を持っているかどうか、応援したいと思うかどうか、である。

後で述べるが、こうした基準のうち、「政策」に基づく投票をすれば、それで政治が良くなる(曖昧な表現ならば、共同体の構成員の効用が増すことと定義しておく)という論拠は特段成り立たないということも覚えておこう。

さて、首長の直接選出の場合、以上の4つの基準のうち、どうしても「人」が占めるファクターは大きくなる。今回の選挙でいえば知事が公約することのできる「政策」は限られているし(政策は議会選挙でこそ問われる)、新人候補ばかりなので「業績」は問えない。「所属」は、多くの自治体選挙のように無所属での立候補が前提になっているから、ストレートには反映されない。

アメリカの大統領や知事選を考えてみよう。候補者が共和党なのか民主党なのか、その候補者がどんな政策を掲げるのかが重要ではないわけではないが、その候補者が大統領として相応しいのかどうか、リーダーシップを発揮できる人物なのかどうかにも大きな焦点が当たる。だから、多くの国の大統領選では候補者の経歴や家族のことまでもが話題になる。「大統領型」の職務である日本の知事でも同じである。つまり、都知事選に立候補した人物が知事に相応しい人物なのかどうか、ということが評価基準になるのは決しておかしいことではない。

2.「争点」にも色々ある

こうした流れの中、選挙では「脱原発」だけが争点になるべきではない、という論調は少なくない。それは都知事の権能の範囲でもなければ、自治体選挙で問われるべき政策でもないし、そもそも単一争点で軽々しく投票先を決めるべきではない、というのが論拠になっている。確かに、教育政策なども例えば自治体の権限が深く関わる政策領域であって、国政的な課題のひとつにもなっているから、論戦がもっと進んでも良い争点だろう。

しかし、なぜ「脱原発」が「争点」として浮上しているのか、ということを考えなければ、この主張の正しさは相対化される。

「脱原発」が争点として突出した理由のひとつは、今回の都知事選では「合意型争点」が焼け太りしていることにある。言い換えれば、争われるべき点がさほどないのである。オリンピックも、防災も、福祉も、待機児童問題も、どの候補者であろうが重視しなければならない政策であることには変わりない。力点の置き方やニュアンスは違っていても、こうした政策を無視する主要候補者はいない。細川候補も、オリンピック反対から賛成へと立場を変えている。候補者の立場や政策の大きく食い違う「争われる点」のボリュームは限られている。

これに対して「原発」は、まさに「争点」と呼ぶのに相応しい。3.11以降時、民主党・自民党問わず、時の政権は原発にどう対峙するのか、立場をさほど明確にしないまま、エネルギー政策を進めてきた。それは、原発を維持するのか、止めるのかということが論争分断的な「争点」であり続けたからだ。

しかし、人々の賛成・反対を強く引き起こすような争点は、統治者の得になるとは必ずしも限らない。なるべく多くの「合意的争点」で支持を集めておくのが得策だからだ。2012年の総選挙では、脱原発は有権者の動員につながらなかったことも明らかになった(そして、おそらく教育政策もこの種の争点に分類される)。

だからこそ、ここに手つかずの「ニッチ市場」が残されたのである。

誰しもが当事者

こうして「合意的争点」では不利になる「挑戦者」にとって、「原発」という争点は積極的に拾いにいって強調するに値する争点となる。具体的にいえば細川・小泉、宇都宮健児といった最初から劣勢に立たされた候補にとって、原発は問うに相応しい争点として機能する。反対に舛添要一にとっては「合意的争点」で自らが優位であることを強調することが得になる。しかし、その結果として「脱原発」という争点が、個々の候補者を分ける解かりやすいメルクマールとして、突出していくことになるのである。

過去にはPKO派遣といった直接的に関係ない争点で知事選が盛り上がったこともある。個人的なことを言えば、放射能汚染を前にしては地域や国に関係なく、全員が「当事者」になってしまうことを考えれば、東京都知事選で原発が争点となること自体は、何にもおかしいことではないと思う。沖縄の名護市長選が国民全員に関係するように、都知事選も国民全員に関係する。

原発が争点となってしまっているのは、これまでの政権、そして「合意的争点」ばかりを重視してきた有権者の態度の結果なのである。

政治の本質を忘れずに

新聞記者と議論していると、いかに2005年の郵政解散選挙が「トラウマ」になっているかに気付かされる。小泉人気にやられて自分たちは「劇場型政治」に加担してしまった、と反省している人がいかに多いことか。

その反省は大事なことかもしれない。だとすれば、メディアに必要なのは、「原発以外の争点も大事」と優等生的な物言いをするのではなく、それでは有権者にとって何がどのように大事なのか、争点をまさに「争うにふさわしい点」へと昇華してみせることだ。それは取りも直さず、人々に問いかけ、考えさせ、分断させ、賛成か反対かを迫る「政治」という行為を実践することである。

おそらく今回の都知事選の投票率は低いかもしれない。それには色々な理由があるが「原発以外の争点も大事」と言い続けて、結局何が大事なのかを提示することも、問いかけることもできなかった既存のマスメディアにも責任があることになる。

人は提示された政策だけでもって一票を投じるのではない。例えていえば、レストランのメニューをみて何が食べたいのかを決めるのではなく、自分たちで何を食べたいのか店に伝えること、できればシェフと一緒に新しいメニューを作り上げていくのが望ましい。それだけコミットしてくれる固定客を作るには、店の側にも強烈な個性がなければならない。

「原発は嫌だ」「あの人を応援したい」——そんな原初的な感情を大事にしなければ、人は骨の折れる政治という行為に参加しようとしないだろう。だから、まずは自分の心に素直に耳を傾けて、なぜ自分の一票をあの候補に入れたいのかを問うてみよう。それを肯定することができれば、都知事選への「戸惑い」など胡散霧消するに違いない。

著者プロフィール

吉田徹
よしだ・とおる

北海道大学法学研究科教授

1975年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。東京大学総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。専攻は比較政治・ヨーロッパ政治。著書に『「野党」論』(ちくま新書)、『感情の政治学』(講談社メチエ)、『ポピュリズムを考える』(NHKブックス)など。

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