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  • 視点

都知事選はエンターテイメント

  • 小幡績 (慶應義塾大学ビジネススクール准教授)
  • 2014年1月31日

都知事選は、いつもお遊びだ。毎回、立候補者の顔ぶれを見ると、冗談か、テレビのどっきりの企画かと思ってしまう。

今回も、いまだに、本当に立候補したのか、マジだったのか、と驚いてしまうような候補が散見される。

だから、政治は駄目なんだ。政治家にはろくなのがいない。政治にはもう何も期待しない。そういう声が聞こえそうだ。

これは、誰の責任だろうか。もちろん、都民の責任だ。都民が、ろくな投票行動を行ってこなかったから、このような結果になっているのだ。

過去の都知事についてどうこうは言わないが、前任の猪瀬知事の辞任間際の迷走振りを見て、誰がこんな知事を選んだのかと思った都民も多かっただろう。しかし、彼は史上最高の得票数で当選したのだ。そう、我々、都民があえて彼の名前を入れて当選させ、そして、我々が、その彼にあきれ返っているのである。

国政選挙も似たようなものだ。国政選挙に置いては、東京都だけでなく、都市部では毎回票が大きく振れる。いわゆる無党派層という奴だが、彼らは単なる気まぐれだ。

小泉郵政解散に興奮して投票し、民主党の政権交代に興奮して投票し、その民主党に失望して、維新の会に興奮して投票している。古くは、日本新党ブームも同様だ。同じ投票者が、まったく政治理念も政策も異なる、そのときのブーム、もっとも動きのありそうなものに投票する。

彼らにとっては、選挙はエンターテイメントなのだ。特にこれはエリートサラリーマンに見られる傾向だ。なぜなら、彼らは個人としても優秀だし、勤め先も優良企業だ。政策など頼りにしている意識はないし、日本が傾いても、グローバルに活路を見出しているから、会社も個人も、あまり関係ない。だから、政治に対して、切迫感がなく、エンターテイメントとして投票するのだ。

彼らが批判する、利権の塊、地元に橋を、カネを持ってくる政治家に投票する汚い有権者の方が、ある意味、合理的な投票行動をしている。真に、地元に利益をもたらす政治家を選んでいるのである。それが、地元優先で、日本全体を考えていないだけのことだ。エンターテイメントは、自分の楽しみだけで、1ミリも日本のためになっていない。いや、それこそが政治を駄目にしているのだ。

そんな有権者相手に、信念を持った政治家がリスクをとって立候補するのは合理的でない。名誉欲や権力欲のある人間以外には割に合わない。

今回も、うんざりするような選挙戦とその報道が続きそうな気配だが、この候補者たちは、我々の鏡であり、我々の政治認識が集約されたものなのである。

著者プロフィール

小幡績
おばた・せき

慶應義塾大学ビジネススクール准教授

1992年東京大学経済学部卒業後、大蔵省(現財務省)に入省。1999年退職。一橋大学経済研究所専任講師を経て2003年から現職。ハーバード大学経済学博士。専門は行動ファイナンスとコーポレートガバナンス。『リフレはヤバい』『ハイブリッド・バブル』など著書多数。最新刊は『成長戦略のまやかし』。

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