ポリタス

  • ハイライト

東京vs東京

  • いとうせいこう (作家・クリエーター)
  • 2014年2月1日

この都知事選は国政に関係がない、と政府与党は言っている。だが、与党推薦候補が勝てばすぐさま反対のことを言い出すだろう。これで原発再稼働は実質的に“国民”の支持を得た、あるいはTPPも、公共事業中心の景気浮揚策もと。

しかし、ここで私が言いたいのはこうしたありきたりな二枚舌についてではない。「地方選挙がより強く国政に影響を与える時代になるべきだ」だと私は考えており、それこそが「中央集権的な政治、経済、エネルギーシステムから分散ネットワーク型へとシフトする社会」によって必然的に導かれる結果だろうと思う。

事実、今、沖縄県の名護市長選の結果が政権の強気を一瞬冷却し、それが都知事選のある種の候補者の勢いにもなっている。こうした事態は確かにこれまで何度もあったのだが、今回の“地方の情勢”は、政府が唱えてきた「地方分権」、それに伴って全国規模での中央集権への疑念が高まってきたせいもあって、これ以上なく重みを増したと感じられるのだ。まして米軍基地問題に直結する地方の動きであればなおさら、である。ひとつの市が、米国と日本に抵抗しているのだから。

エネルギー問題を例にとれば、非核平和都市宣言が各地方自治体から戦後相次いで出されてきたように、今後、非原発都市、非原発町、非原発村宣言が出されていくことはあり得る。小さな行政単位であるからこそ貫けることがあり、むしろそれが地方の活性化につながるのだし、分権型、分散型社会の流れを止めるものはないだろう(……戦争以外には)。

それは政治も同じではないか。国政を変えるのはむしろ地方の動きなのかも知れず、とすれば「東京」は今までの「首都としての東京」でなく、「地方としての東京」、他の地方自治体同様に独自の問題を抱えた“一地方”として、とらえられてよい。

この場所は江戸時代に権力を集中させたが、明治政府側に軍事的敗北を喫し、“王朝”は倒れ、新しい法によって支配された。第二次大戦では空襲にあい、再び敗北を今度は「首都」として味わった。関東大地震を経て多くの物と命を失ってきた都市でもある。東京はいわば敗北と困難、天災と人災を乗り越えてきた歴史を持ち、流入する人材を国内のみならず国外からも受け入れて復興してきた都市なのだ。

「首都としての東京」は国の顔であり、かつての都知事などはむしろ、そちらの東京を重視し、ついには国家よりも国家であろうとした。現在も候補者の中にそうした考えの継承者はいるだろう。だが、時代の流れとしてこれは無理筋ではないか。アップサイズの欲望は、マッチョな時代錯誤だと私は思う。

国家によって支配されてきた東京、抑圧されてきた東京は今こそ「一地方都市」として自分の色を出すべきだ。地方がネットワークで国を変えてゆく時代、都民は国政に大影響を与えるべきである。それがこの都市に住んでいる者の責任とプライドではないか。

東京vs東京。私は東京人として、国家の拙速なビジョンに待ったをかける「東京という一地方都市」の有権者でありたい。

著者プロフィール

いとうせいこう
いとうせいこう

作家・クリエーター

1961年東京都生まれ。作家、クリエイター。早稲田大学法学部卒業後、出版社の編集を経て、音楽や舞台、テレビなどの分野でも活躍。1988年、小説『ノーライフキング』でデビュー。1999年、『ボタニカル・ライフ』で第15回講談社エッセイ賞受賞。他の著書に『ワールズ・エンド・ガーデン』、『存在しない小説』、『ゴドーは待たれながら』(戯曲)、『文芸漫談』(奥泉光との共著、後に文庫化にあたり『小説の聖典』と改題)、『Back 2 Back』(佐々木中との共著)、『想像ラジオ』など。最新刊は『我々の恋愛』。

広告