ポリタス

  • 視点

究極の無責任男に未来を託すのか

  • 澤田哲生 (東京工業大学・原子炉工学研究所・助教)
  • 2014年2月8日

「若い候補が居ないんじゃないの」

報道ステーションの都知事選報道を見ながら、高校生の息子がつぶやいた。

「確か、家入さんていうのがいる」

「ふーん、でも(都知事に)なれないでしょう。ボクらの20年後30年後をちゃんと考えている人になってほしいよ。ところで、地球温暖化はなんで争点にならないの?」

「都政の範疇ではないので」

「じゃあ、なんで脱原発が争点なの。大体それよりも、日本の将来を考えたら、人口が増えた方がいいんじゃあないの?」

「人口問題はなかなかムズカシイ」

「でも認知症とか要介護の高齢者は、これからどんどん増えていくんじゃあないの。それでも、日本はやっていけるの?」

遠く離れた私の故郷で、母が特養施設に昨年入所した。帰省のたびに息子を連れて様子を見に行っている。少子化が続く限り、高齢者を養う負担が、自分たちの世代に重くのしかかって来るという現実が見えているのだろう。

日本人はどんどん高齢化し、地方はどんどん若者が減り過疎化していく。都市は地方に支えられてはじめてやっていけるのに、その地方への慮りがない。農業やエネルギーはその良い例だ。

私は、福島県の浜通り、新潟県の柏崎市や刈羽村に行くことがよくある。ついこの間、1月上旬に、刈羽村の中学校と首都圏および京阪神の中学校の1年生と2年生の有志生徒20名程が、岐阜県瑞浪市の放射性廃棄物の地層処分の研究施設を見学し、「どうする放射性廃棄物の最終処分!?」をテーマに、エネルギーの産地と消費地の意見交換、そしてディベートを行った。地方と都市との間での情報共有から心のふれあい、さらに対話を始めようという試みだ。

私は今も昔も自然エネルギーを志向している。私の見立てでは、太陽も風も波も地熱も原子力も自然エネルギーである。全部宇宙の営みと地球上の営みの複合システムである。再生可能エネルギーという言説はよくわからない。ちょっと小難しい話で申し訳ないが、熱力学の第2法則に従えば、再生可能なエネルギーなどないはずである。風力発電も太陽光発電も太陽の営みの恩恵だが、太陽はドンドン老化し、50億年後にはその死を迎えるといわれている。太陽自体が再生可能でない。

私は細川さんを直接は知らないが、何人かの知人が彼のことを良く知っている。作陶については、評価の分かれるところもあるようだが、いい人ということでは皆口を揃えた。しかし、それも都知事選に立候補が決まるまでのことだった。細川さんは、立候補を決めた後の記者会見で、「(「殿、ご乱心!」といわれているが)乱心でもしなければ、こんなとこへ出てきませんよ」と言い放っていた。“こんなとこ”とは、私たちが日常を過ごすこの下々の世界を言っているのだろう。だったら尚更、作陶に没入し庵で茶の湯でもやってりゃあいいものを。私は、内心、あちゃあ、こりゃあ痛いなあと思った。第一、こんなとことは、私たち東京都民に失礼ではないのか。

そればかりではない、元祖シングルイシュー政治家に推されての変ちくりんな二頭立て出馬のようになって、やはりシングルイシュー『脱原発!』しか言っていない。

細川さんの脱原発の最大の問題点、つまり欠陥は次の3点だ。

1)代替案がない
2)感謝がない
3)デマに騙されている

代替案——これは、これまで政治家や脱原発論者が、さまざま挑んで来たが、いつもうやむやにされてきた。先の民主党政権は2030年代に原発ゼロを掲げたが、総選挙で壊滅的に議席を失った。同じ選挙で、卒原発を唱えた未来の党も出てきた。卒原発カリキュラム(行程表)を打ち出したが、これも到底実現不可能、つまり中身のないものだった。現実的な代替は、化石燃料火力でしかできない。小泉純一郎さんは、首相がいったん決断すれば、知恵者が出て来るといった。それは恐らく”再生可能”エネルギーでの代替を指しているのだろう。そんな知恵者がいたら教えて欲しい。科学技術的視点で冷静にみれば、ここ数十年で代替できる方途は見つかっていない。

太陽エネルギーの総量の問題ではなく、現実的には適正なコストで“採集”できるエネルギーの量が限られてくること、そして本質的に抱える不安定性である。この不安定性について、様々な研究が過去10年以上なされてきたが、残念ながら、良い答えは見つかっていない。つまり、再生可能エネルギー発電にはかならずバックアップ電源がセットになる。しかも、同じ量の電源である。それは、現実的には火力、しかも石炭か天然ガスになる。つまり、

再生可能エネルギー=石炭火力/天然ガス火力

にならざるを得ない。これが、わたし達が直面させられている現実なのだ。

感謝——福島第一・第二、そして柏崎・刈羽の原子力発電所が、3.11まで首都圏の全電力の3割ほどを担ってきたことを、今や知らない都民はいないだろう。3.11後に、首都圏中心目線でよく言われたことは、『あんであんな遠くの田舎で発電したものを首都圏までもってきていたのだ』である。迷惑だケシカランという心情の市民の声がメディアを通じて発信していた。

柏崎・刈羽でも、浜通りでも、地元の青年達と会って打ち解けていくと、必ずといっていいほど彼らが言うのが、東京の人たちには感謝の気持ちがないのかということだった。自分たちは親の代から、原発推進派と反対派で町を二分するような騒動になった。どちらの側にも、見たことない人々、つまり余所者が都会からやってきて私たちの心をズタズタに引き裂いて、やがて去っていった。自分たちの父母や爺婆は、それでも日本の発展のためと思って耐えて受け入れて来た。事故が起これば真っ先に被害を被り、その余波は果てしなく続く。そのことを一体アンタはどうおもっているのか、と迫られる。事故が起これば一転して、脱原発の大合唱だ。推進を後押ししてきたような都会の学者もロクな対応ができていないじゃあないか。

そうして、彼らの口からついて出てくるのは、脱原発したいのならそれでいい。しかし、我がままだねえ。風がふけばすぐに向きをかえてしまう。しかし、ひと言だけ言いたい。

「脱原発をいうなら、せめてこれまで世話になった感謝の言葉がその前にあっていいだろう!」

この心情が通じないものに都政は預けられない。

デマゴーグ——細川さんは単なる煽動家(デマゴーグ)に堕したのかといわざるを得ない。そのような発言をしている。それは、都知事選告示の前日1月22日のことである。インターネットの『デモクラTV』で次のようなことをいっている。

「ロシアの国防軍が出した極秘資料っていうのが出て来てね。こないだの暮れの12月31日に、(福島第一原発で)爆発があって、その数日前から実は水蒸気が上がっていて、完全にメルトダウンを起こしている」

これはあり得ない。爆発とはどうやら原子炉で核爆発が起きたといっているのだ。原子炉のシビアアクシデントでは、水素爆発や水蒸気爆発は起こりうる。しかし、原発の仕組みからして、核爆発は決して起こらない。

どうやら、細川さんは米国の有名なデマサイトのチャランポランな情報を鵜呑みにしたようだ。そんなものに騙されるとは情けない。情けないではすまされない。究極の無責任だ。こんな男がなぜ都知事選の舞台にいるのか。都民のみならず国民を愚弄する仕業である。

細川=デマゴーグ!

古代ギリシャのデマゴーグが、現代の東京に蘇るとは——これは、笑い話でも、お伽話でも、寝物語でもない。犯罪的な話である。

古代ギリシャにあって、デマゴーグの意味は、煽動家でもあり政治家でもある。都民を愚弄している。

さて、前述の処分地の試験施設の見学した中学生のなかには、“私たちがお世話になった原子力から出てきたごみだから、今度はそのごみは都会で引き取れば良い”と言ったものもいた。そういう公共心の芽生えがある。細川さんはどう思っているのだろう。

せめてこういう若者たちの思い、その芽はつまずに伸ばしていくべきだろう。そこに日本の未来があるのではないか。

著者プロフィール

澤田哲生
さわだ・てつお

東京工業大学・原子炉工学研究所・助教

1957年、兵庫県生まれ。京都大学理学部物理学科卒業後、三菱総合研究所に入社。ドイツ・カールスルーエ研究所客員研究員をへて現在、東京工業大学原子炉工学研究所助教。専門は原子核工学。原子力研究の実務として最初に取り組んだ問題は、高速炉もんじゅの仮想敵炉心崩壊事故時の再臨界の可能性と再臨界の現象分析。その後原子炉物理、原子力安全(高速増殖炉および軽水炉の苛酷事故、核融合システム安全など)、多目的小型高速炉、核不拡散・核セキュリティの研究に従事。最近の関心は、社会システムとしての原子力、原子力の初等・中等教育にある。原子力立地地域の住民や都市の消費者の絆を紡ぐ『つーるdeアトム』を主宰。近著は『誰でもわかる放射能Q&A』(イーストプレス)。『誰も書かなかった福島原発の真実』(ワック)。『御用学者と呼ばれて』(双葉社)。

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