ポリタス

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踊ってはいけない街、東京?——クラブと風営法の問題から考える東京都知事選挙

  • 磯部涼 (音楽ライター)
  • 2014年2月8日

クラブと風営法の問題は都知事選の争点なのか?

『ポリタス』編集長の津田大介氏に、東京都知事選挙における「クラブと風営法の問題」の扱われ方について寄稿するように言われたのはもう10日も前のことなのだけれど、書きあぐねている内に締め切りになってしまい、こうして、出口も見えないままタイプしている。と言うのも、ここ数年、筆者は『踊ってはいけない国、日本——風営法問題と過剰規制される社会』『踊ってはいけない国で、踊り続けるために——風営法問題と社会の変え方』(共に河出書房新社)という2冊の単行本の編著者を務めるなど、様々な形でクラブと風営法の問題に関わってきたものの、同問題が都知事選の争点になるとは考えていないからだ。

その理由としては、第一に、俗に“風営法”と略される<風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律>は、警察庁が所管する行政法であり、それに対して都知事ができることは限られるということが挙げられる。例えば、風営法で言うところのいわゆる“クラブ”は、客にダンスをさせ、飲食を提供する「3号営業」にあたる。接待行為のない3号営業も、1号・2号営業と同様、深夜0時ないしは1時〜日の出までの営業が禁じられているため、一般的にオールナイトが基本とされる同文化の足枷になってしまっている。ただし、同法第13条に基づいて、各都道府県の条例の改正により営業時間の延長は可能で、そこには都知事の介入する余地があるものの、あくまで「習俗的行事その他の特別な事情のある日」と限定されている。実際、三重県のパチンコ店のオールナイト営業は有名だが、大晦日に限っているし、そうした方法によってクラブが常時、オールナイト営業ができるようになるとは考えにくい。

第二に、2012年に関西のクラブが一斉摘発を受けたことから始まったクラブ文化発の風営法改正運動は、当初この問題に関心のある一般大衆を巻き込んだオープンなものを目指していたが、ある段階から、あえてクローズなものに方向転換したということがある。クラブが現行の風営法を遵守するためには、前述したようにオールナイト営業ができないだけではなく、そもそもキャパシティの小さな箱では、客室の床面積が1室につき66平方メートル以上なくてはならないという面積要件を満たせず、営業の許可すら得られないという問題がある。そのため、ほとんどの店舗が脱法的に営業せざるを得ず、事業者の中には摘発を恐れて公の場に出ることを嫌がるひとも多い。初期の運動の中心を担った<Let’s Dance>もクラブ・ファンや弁護士からなる第三者団体だったが、彼らがイベントや街頭で請願署名を集めるという形で広く問題提起をしたのに対して、「余計なことをして問題を煽るな」と反発する事業者もいた。拙編著に対しても同様だ。

一昨年辺りから東京でも風営法違反による摘発が増加しているのが運動のせいなのかは定かではないが、じっと息を潜めているだけではクラブ文化の成長は見込めないばかりか、法改正をしない限り、根本的に問題が解決することはないだろう。かと言って「どんな悪法でも、法は法。改正を訴える前にまずは遵法せよ」という正論を掲げて、小箱に対して、「改正を進めるためにひとまず店を畳んで下さい」とは頼めない。そこで、一部の弁護士は、運動の方法をオープンなものからクローズなものへと切り替えた。ロビーイングを積極的に行うことで、それなりの成果を上げたのだ。脱原発を都知事選の争点にすることについて、「原発政策に対して都知事にできることは限られているから意味がない」といった声や、「いや、全国的に注目される都知事選だからこそメッセージを発することに意味がある」といった声があるわけだが、「クラブと風営法の問題」に関して言うと、そもそもメッセージを発すること自体がリスキーなのだ。ここに大きな違いがある。

踊ってはいけない街、東京?

ただ、運動がクローズになったのは必然だったとは思うが、そのことで、問題に積極的に関わっているひとと、問題を何となく知っているひととの間で、リテラシーの差が生まれてしまっていることも痛感する。つい先日も、都知事選の候補者である宇都宮健児氏がTwitterで、彼の支持者でクラブ・ファンだというイラストレーターが描いた4コマ・マンガを「私の政策をわかりやすく漫画にしてくださった方が。感謝しつつ共有します。【ダンス規制編】(詳細は「風営法によるダンス規制、都条例によるマンガ・アニメ・ゲームの表現規制に反対」⇒ http://t.co/dHlJfVEk0j」と取り上げたところ、その内容が、“クラブで踊っていると、公序良俗違反で刑事に捕まってしまう”というようなものだったため、誤った情報を流布していると炎上した事件があった( http://togetter.com/li/624456 参照)。ちなみに、風営法はその名前の通り営業を規制する法律で、違法営業の店舗に居たからといって客が逮捕されることはない。宇都宮氏は法律家であり、前述した<Let’s Dance>の一部門<Let’s Dance法律家の会>の呼びかけ人でもあり、批判されても仕方ないだろうが、件のマンガに関しては、筆者自身、クラブと風営法の問題を取り上げてきたメディアの人間として、クラブ・ファンに正しい知識が伝えられていなかった責任を感じた次第である。拙編著の“踊ってはいけない〜”というタイトルも、前書きなどで、繰り返し、「実際には、風営法は踊りを禁止する法律ではない」と断っているものの、同書によるミス・リードと言われても仕方のない面はある。

既に宇都宮氏のツイートは削除されているため、これ以上、揚げ足を取るのも気が引けるものの、件のマンガに見られる“権力に規制される文化”といった構図を安易に使いがちなのは、自分も含めた日本のリベラルのアキレス腱だとも思えるので、自戒の念も込めて、もう少し見解を述べさせてもらおう。先程、「運動がクローズになったのは必然だったとは思うが、そのことで、問題に積極的に関わっているひとと、問題を何となく知っているひととの間で、リテラシーの差が生まれてしまっている」と書いた。これは、正確に言うと、初期のクラブ発の風営法改正運動の中心を担い、オープンな運動を展開していた<Let’s Dance>が発信したメッセージが、風営法とクラブの問題についての一般的な(誤解も含めた)理解の基礎になってしまっていることで前述のような問題が生じているということなのかもしれない。

音楽と社会運動の新しい関係

<Let’s Dance>は、2010年末に大阪・アメリカ村で始まったクラブの一斉摘発を受けて立ち上がった署名運動である。公式ホームページに掲載されている請願事項は以下の3つだ。

  1. 風営法の規制対象から「ダンス」を削除してください。

  2. 行政上の指導は、「国民の基本的人権を不当に侵害しないよう」に努め、「いやしくも職権の乱用や正当に営業している者に無用の負担をかけることのないよう」とする「第101国会付帯決議」(衆院1984年7月5日)や「解釈運用基準」(2008年7月10日)にもとづき適正に運用してください。

  3. 表現の自由、芸術・文化を守り、健全な文化発信の施策を拡充してください

参照元:http://www.letsdance.jp/

これをはじめとして、ホームページには、彼らが不当な捜査に抗議し、風営法による規制の撤廃を求めていることが様々な形で書かれている。しかし、そこで欠けているのが、クラブ側の責任についての記述だ。

2012年の春、大阪で取材をしてわかったのは、近年、アメリカ村の一部のクラブによる騒音に対する苦情が、地元住民から相次いでいたこと。2011年1月には、クラブでの諍いを発端とする暴行致死事件が起こり、それをきっかけに警察がクラブに対して指導を行うようになったこと。そして、改善が見られなかったため、一斉摘発に踏み切ったという事実だ。拙編著『踊ってはいけない国、日本』の中で宮台真司は、クラブ摘発増加の背景には、地域に根ざさない、いわゆる“新住民”がクレージークレーマー化し、問題が起こると相手と話し合いで解決せず、いきなり行政に頼るようになったことがあると指摘したが、この場合の、地域社会と断絶した“新住民”は、むしろクラブ側だろう。確かに一連の摘発の中では過剰と思われる捜査も見られたものの、自分達の責任を隠蔽し、カウンター・カルチャーを気取って“権力に規制される文化”といった対立を煽ったクラブ側にも責任はある。両者がこのような対立構図から抜け出せない限り、問題はこじれる一方だ。

その後、一部の弁護士やクラブ業界関係者は、反省を踏まえて、地域や警察、議員と積極的に対話し、事業者には窓口となる事業者団体の設立と自主規制案の制作を促し、規制撤廃のような極端なものではなく、規制緩和のような現実的な法改正を提案する、地道な運動の方法を模索していく。例えば、2013年春、東京のDJやラッパーが中心となって立ち上げた<クラブとクラブカルチャーを守る会>は、週末の賑わいが終わった日曜の朝、クラブが密集する渋谷・円山町を清掃するなど、世間がクラブ文化に抱くイメージから真反対の、至って素朴な活動を続けている。しかし、その甲斐もあって、超党派の国会議員からなる<ダンス文化推進議員連盟>が、彼らを含むクラブ業界関係者にヒアリングを行い、2013年11月には、風営法改正に向けた中間提言を取りまとめた( http://clubccc.org/post/73808240307/2013-11-27 )。

ちなみに、宇都宮氏を擁護しておくと、彼は、今回の都知事選にあたって作成された<風営法に関する公開質問状>の「ナイトクラブの深夜1時以降の営業を認めても良いと考えますが、いかがでしょうか?」という質問に、「繁華街がよりよい地域となるよう住民のみなさんや事業者、ユーザーとが対話と協働を進められるのがよいと考えます」と答えており、<クラブとクラブカルチャーを守る会>とも問題意識を共有していると思われる( http://hiroking.com/blog/2014/02/03/erection2014/ )。これまで、音楽と社会運動が結びつくと、その表現の性格上、どうも浮世離れしたものになりがちだったが、クラブ発の風営法改正運動からは、音楽と社会運動が手を取り合い、地に足を着けた新しい関係の萌芽が感じられる。

都知事選が終わっても運動は続く

最後に、昨年来のクラブ発の風営法改正運動が、安倍政権と親和的であることは指摘しておかなければならない。運動自体は、むしろ、以前よりも無党派的になっているものの、2012年12月に安倍政権が始まり、積極的な成長戦略を打ち出したこと、また、2013年9月に、第32回夏期オリンピックの開催都市が東京に決定したことで、世界都市に相応しいナイト・ライフのためのコンテンツとしてクラブが改めて注目され、風営法改正が現実味を帯び出したのは確かだ。実際、規制改革会議や国家戦略特区の議題にも上っており、そういった意味では、あえて、クラブと風営法の問題を都知事選の争点として考えるならば、風営法改正を後押ししてくれるのは、安倍政権が支援する舛添要一氏と言えるのかもしれない。とは言え、そのように、成長戦略の中にクラブ文化が組み込まれると、競争に伴って、小箱よりも大箱が、渋い音楽のかかる箱よりも派手な音楽のかかる箱が増えていくことになるだろうし、現実にそうなりつつあるようにも見える。果たして、それでいいのか。文化の多様性を守るにはどうすればいいのか。この都知事選をきっかけに、いま一度、クラブと風営法の問題についての議論をオープンにするべきなのかもしれない。

著者プロフィール

磯部涼
いそべ・りょう

音楽ライター

音楽ライター。78年生まれ。著作に『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』(04年/太田出版)、『音楽が終わって、人生が始まる』(11年/アスペクト)等がある。クラブと風営法の問題を扱った『踊ってはいけない国、日本』(12年/河出書房新社)とその続編『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(13年/同)の編著者を担当。

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