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なぜ、都知事選で生活に関連した政策が提示されないのか?

  • 西田亮介 (立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授)
  • 2014年1月27日

1月23日に、猪瀬直樹前知事の辞職に伴う東京都知事選が告示され、16人の候補が立候補を表明した。17日間選挙戦が行われ、2月9日に投票が行われる。首都の知事を選ぶということで関心が集まっている。

しかしながら、宇都宮候補を除くと、主たる候補から都政についての具体的な政策は提示されず、その宇都宮候補でさえ具体的な実現のプロセスを示してはいない。

その結果、東京都という小国と同程度の経済規模をもつ地方自治体の長が、政策論争なしで、知名度と予想される票数を背景にした駆け引き、原発の是非によって選ばれようとしている。

しかし、その是非の合理的な判断に高度な専門知が求められ、それでも判断が別れる原発問題は、生活者が選択の判断を行うのに適した主題とは言い難い。そもそも東京都に原発が立地していないこと、再稼働に関する権限は立地自治体にあるので、再稼働についても、また原発を無くすことについても、現在の東京都は決定できない。そのため、原発推進にせよ、脱原発にせよ、実現可能性に大いに疑問が残る原発関連の主題が「争点」になっている。

もちろん、東京都は、相対的に大規模な人口を抱え、また国民の関心も高い首都でもあるから、原発問題を主張する候補がいること自体はおかしくはないし、そしていうまでもなく、基本的に候補者が何を主張しようが自由である。

とはいえ、東京都は生活に密着した地方自治体でもあり、多くの課題を抱えている。待機児童やインフラ老朽化も、リスクの性質が原発問題とは異なるものの、重要な主題であることは間違いない。また前都知事が不祥事を背景に辞職したわけだから、どのようにして都政の透明化を実現していくかという点なども気になるところだ。したがって、原発が争点になることではなく、これら生活に関連した主題の政策が提示されず、また候補者間の議論が行われないことこそが問題で、多くの有権者にとって選択のハードルを高める一因となっている。

実際、今回の選挙戦では、政策論争が徹底的に忌避されている。過去の選挙で慣例となっていた、東京青年会議所の公開討論会や日本記者クラブの共同記者会見も、有力候補者が政策が定まらないことを理由に欠席を表明したことで、他の候補者らも次々と不参加を表明し、開催されないことになった。

最後に立候補を表明した、圧倒的な最年少の起業家候補もまた具体的な政策がないままで、皮肉にも高齢世代の候補者たちと同じ課題を反復してしまっている。

これらは、候補者たちが、都知事選において、都民、そして国民に対して、具体的な政策や工程表を提示、主張せずとも問題がないと考えていることの端的な現れであり、都民としては屈辱的な事態といえる。

彼らは知名度と、イメージだけで、選挙戦を勝ち抜けると確信しているのだ。おそらくは政策討論会を忌避した候補者のなかから、未来の都知事が決まるのだろうが、彼が、政策論争を忌避したままで都知事の座に着いたことは長く記憶しておくべきだ。

しかし、そもそもなぜ、都知事選で候補者から生活に関連した政策が積極的に提示されないのだろうか? なぜ、候補者たちは、それで問題ない、つまり選挙戦を勝ち抜けると考えるのだろうか。

これは一重に過去の日本の選挙が「マニフェスト選挙」など一部の例外を除くと、政策論争以外の要素で決定してきたからにほかならない。そして発行部数や視聴者数などで、世界的にも類を見ない影響力を持つ日本のメディアもまたそのような状況を看過してきたからでもある。むろん、さらにその背後には、そのような状況を座視してきた有権者の存在もある。

メディア研究の考え方のなかには、「マスメディアの議題設定機能」という考え方がある。簡単にいえば、マスメディアの論点の提示が、選挙戦の争点を形成していくという考え方だ。日本では、この機能が機能不全を起こしており、政治や、選挙の候補者に対する監視機能が毀損していると考えられる。

確かに日本のマスコミは、対象と信頼関係を構築し、事実を丹念に調査し、ストーリーを紡ぐ力に長けている。しかしながら、積極的に価値観と、オピニオンを提示することはあまり行われない。これは総力戦体制と第2次世界大戦後の占領政策を生きながらえて、現在のかたちに落ち着いた日本のマスメディアの歴史に起因する。

業界団体である「日本新聞協会」の「新聞倫理綱領」における「正確と公正」の項目等の、「中立公正」を重視する業界ルールも影響していると考えられる(さらにメディア各社は、同様の憲章を有している)。

現在の日本のネットメディアは、総務省が発行する『情報通信白書』等の調査を参照しても、総体としては、まだ人々の信頼を十分に獲得するには至っていない。

だが、これからの新旧メディアは、調査報道の水準を挙げるとともに、社会の監視機能としてのオピニオン提示を行い、選挙における議題設定に積極的に関与すべきではないか。

「日本新聞協会」の「新聞倫理綱領」は先に挙げた「正確と公正」に並んで、「独立と寛容」「自由と責任」といった項目も提示している。

日本のメディアは、積極的に権力を監視、批評する「第四の権力」として、これらを実現できているのだろうか。もちろん、メディアが政治のメッセージを代弁するだけでは意味がないから、メディアの政治からの独立が重要な前提条件となることはいうまでもない。

ネット選挙が解禁されてから都知事選まで1年も経っていないが、すでに候補者のニコニコ動画での演説会への参加は急速に定着した。公開討論会や共同記者会見は無視できる存在と見なされたこととあわせて、社会規範が急速に変容しつつある。その状況を直視し、メディアのあり方を再考すべきだ。

直近の都知事選は、政策の見えない、目隠しされた状態での選択を行わざるをえないが、現状の選挙戦とそのルールを定めた公職選挙法の早急な見直しと、政策論争を通じた政治の質の改善が望まれる。

著者プロフィール

西田亮介
にしだ・りょうすけ

立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授

専門は情報社会論と公共政策。社会起業家の企業家精神醸成過程や政策としての「新しい公共」、情報と政治、地域産業振興、日本のサーフカルチャーの変遷等を研究。 1983年京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。博士(政策・メディア)。同助教(有期・研究奨励II)、(独)中小機構リサーチャー等を経て現職。著書に『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)、『ネット選挙とデジタル・デモクラシー』(NHK出版)ほか。

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