ポリタス

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むしろ憲法を都知事選に問う

  • 伊東乾 (作曲家・指揮者/東京大学東日本大震災復興支援哲学会議事務局長)
  • 2014年1月28日

1月24日の夜7時半、たまたまNHK総合放送を目にして強い違和感を持った。NHKの番組表ホームページからカットペーストしてみる。

07:30 特報首都圏「首都 決戦〜2014都知事選 候補に問う〜」

猪瀬前知事の辞職にともない来月9日に投票が行われる東京都知事選挙。立候補者はどんな政策を考え、なにを訴えていくのでしょうか。解説を交えて詳しくお伝えします。

周知のように都知事選には16人が立候補している。この番組では冒頭と末尾に届け出順として16人の名前の一覧を映したが「立候補者はどんな政策を考え、何を訴えてゆくか」については、なぜか特定の「6候補(宇都宮、中松、田母神、舛添、細川、家入)」だけにインタビューして、30分の番組を構成していた。

30分テレビ番組の「現実」を考えるなら、16人を平等に扱っていては冗長で「わかりやすい番組」ができないのはわかる。民放の選挙特番なら取捨選択は普通のことだ。だが公示直後の公職選挙で、NHKが、どうして残りの10候補(ひめじ、鈴木、中川、赤坂、内藤、金子、五十嵐、酒向、松山、根上)と扱いの違う番組をオンエアできるのか? 政見放送も流してしているNHKがゴールデンアワーでこんな恣意的な番組を送出できるのか? ことによると制作プロダクションへの外注で発生した事かもしれない。そうであればデスクのチェック機能が働いていない。もし万が一恣意的であるなら、許されないことだ。

いずれのケースでも、公職選挙法の原則から考えれば、NHKの特集番組で一部候補の抜き出しには強い疑問を感じざるを得ない。ややタチの悪いことに冒頭と末尾に全員の名を出して免罪符とする逃げ口上まで見え、確信犯が疑われる。

確かに、NHK番組が切り捨てた10名の中には「泡沫候補」と呼ばれる人がいるかもしれない。だが、そうした軽重の判断、もっと言えば「差別」を「公共放送」は決してつけてはならない。それが公職選挙の大前提だ。「公共放送」は原理原則、そして国の定める法に忠実でなければならない。

私が一番恐怖したのは、そうした番組作りと同時に、そうした軽重の判断、実質的な候補者差別に有権者が慣れてしまうことだ。あるいは、多くの人は意識すらせず「NHKで言ってたよ」式に流してしまうかもしれない。だが、民主主義というものは、仮に議決が多数決で左右されても、最後の一人まで少数個人を尊重するのが大原則だ。それが踏みにじられた番組だったのは間違いない。

目を疑ったNHK新会長の「きわめて異例」な発言

この翌25日、NHKの籾井勝人新会長の就任会見があった。その報道を目にし、前日の番組も念頭にあり、これはいけないと強く感じた。実際、籾井新会長の会見は、ほとんど失言というべき「きわめて異例」な発言が相次いでいた。

いわく、従軍慰安婦は「戦争をしているどこの国にもあった」尖閣諸島・竹島など領土問題について国際放送で「明確に日本の立場を主張するのは当然。政府が右ということを左というわけにはいかない」など。放送事業者に「政治的公平性」を義務付ける放送法に露骨に抵触する、失言のオンパレードで、かつ「会長就任記者会見ですよ」と指摘されると「全部撤回します」と述べたという。本当なら、放送の画面に出る基本的な資格を欠いている。ましてやNHKの放送内容、経営にどう責任が取れる器か?

また、こうした発言の一つ一つに目くじらを立てるというより「この人はこういうキャラクター」と、多くの視聴者が慣れてしまうことを、先ほどのケース同様大きく恐れた。石原慎太郎を筆頭に、差別発言が常態化している者をそれとして見慣れてしまう悪癖が現代日本社会にはある。NHK会長がその種のものになってしまっては救いようがない。

メディアとは「見慣れてしまってはいけないもの」である。常に新しい用心をもって状況を読み解き直してゆくこと。それを「メディア・リテラシー」=識字率と呼ぶのは、この観点なく受身でメディアに慣れてしまうことが、文字を読む能力を欠くのにも等しいからだ。

都知事選の争点を「原発」と見ない

今回の都知事選で、私は、まだどの候補に投票するかを決めていない。特定の候補と親しいとか利害関係があるといった背景もなく、冷静に見ているのが裏表ないところだ。

その上で、敢えてほかでは目にしない観点を記したい。今回の都知事選を「原発」で考えるべきではない、と私は思う。

もちろん都政の具体的な課題で考えるのが原則だが、それらと比べ物にならぬほど危険と個人的に思っているのは、実は都政課題ではない。憲法の取り扱いと思っている。

もっといえば、いま準備されている自民党草案に類する「憲法改変」に雪崩れ込むような事は、どうしても避けねばならないと考える。外交上米国を始め各国がもっとも警戒している、日本を危ぶむ事態がここにある。「靖国」その他の問題は部分的な症状に過ぎない。

狂った憲法を擁すれば国は滅びかねない。私は、各候補が原発うんぬん以上に、憲法をどう考えているか、注意して見ている。端的に言うなら、1月24日にオンエアされたNHKの「特報首都圏」は、公職選挙法と同時に、憲法が保障している筈の大原則を軽んじる番組だった。そうしたものが大手を振り、大衆がそれに気づかない事態に強い違和感を持った。原発政策は一定以上の融通が利くものだ。だが、憲法は、一度変わってしまうと融通を利かせてはいけないルールとして国を縛る。

日本を、一人を大切にしない戦前のような政治に戻してはいけない。ところが、あろうことか、この番組は公示期間中に、独自に「マイナー」と判断した候補者の政権を「省略」していた。放送時間の制約、分かりやすい番組作り……あらゆる言い訳は、公職選挙法の原則の前では本来むなしい。また大本を正せば憲法の基本、基本的人権の尊重に行き当たる。

一方でNHKのホームページは言う。「公共放送とは営利を目的とせず、国家の統制からも自立して、公共の福祉のために行う放送」であると。そして「NHKは政府から独立して受信料によって運営され、公共の福祉と文化の向上に寄与することを目的に設立された公共放送事業体であり、今後とも公共放送としての責任と自覚を持ってその役割を果たしてゆく」と。

税金でまかなわれる「国営放送」ではなく、政府のヒモつきから離れて「公共の福祉と文化の向上に寄与」する筈の「公共放送」が、現実にはどういうことになっているのか? 「政府が右といえば右」といった発言の細部から垣間見える国営放送まがいの認識、日本国憲法が保障する民主主義と基本的人権への軽視を私は恐れる。これがNHKではなく「東京都」であったら、NHK会長ではなく東京都知事であったら、一体どうなのか?

こうしたことを加速させる都知事選結果にするべきではない、と強く思う。

一面的な情報を相対化するネットの知

さて、ここまでNHKの話が多くなったが、こうした流れ、一面的で細部を軽視するような傾向に棹を挿す「セカンド・オピニオン」として、ネットの自由な言論・不特定多数に向けての情報発信があると私は考える。

地上派テレビもデジタル化したが、2010年代の「デジタル・デバイド」大衆の分断があるとすれば、受け身の視聴者を前提とする一元化したテレビメディアと、それに複数の方向から合理的な疑義を呈するパーソナル・デジタル・メディアとの間の「デバイド」つまり分離、分断が大きいと思う。

そして、この原稿を目にする人は、このデバイドの後者、複数の視点からモノを見、考えることができる人が多いことを願う。

現実は常に変化している。それにしっかりと目を見開き、平面的な情報の受身に甘んずることなく、自分で情報を取りに行き、確かめ、確信をもって投票すること。それがどれほど徹底できるかが、今回の都知事選の本当の意味での勝敗ではないか?

あたまを使って投票を:一面的な情宣で流れるな!

例えば、不用意にやくざと記念写真を撮るような候補が当選することがあれば、そうしたファクトをあげつらわれて、すぐに引責辞任でまた再選挙になるだろう。選挙費用の膨大な無駄を思う。

一回の選挙結果に汲々とするのは立候補した側に任せておけばよい。仮に大手メディアが流さない情報があっても、ネットは複数の観点から、有権者に熟考できる情報を提供することができる。

5年10年の継続性の中で、都政を、あるいは国政を、どのように過たないか、そうした「公衆の成長」が、本来一番いま日本に必要で、かつ欠けていることだと思う。今回の都知事選も、ネットを始め複線的な情報メディアが生かされ、有権者がきちんと考える選挙が一歩進めば、価値ある経験になるはずだ。逆に、浮動票が右往左往する衆愚選挙が悪化するなら、もっと別のことが危ぶまれる。

有権者が、自分が手にしている権利を本当に生かせる、あたまと心を使った投票が少しでも高まることが、日本を少しずつ、でも確実に、まともな国・社会にしてゆく。今回の都知事選もまったくその例外ではないはずだ。

著者プロフィール

伊東乾
いとう・けん

作曲家・指揮者/東京大学東日本大震災復興支援哲学会議事務局長

作曲家=指揮者。1965年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後進の指導に当たる。若くして音楽家として高い評価を受けるが、並行して演奏中の脳血流測定などを駆使する音楽の科学的基礎研究を創始、それらに基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進している。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトなどが、大きな反響を呼んでいる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)、『知識・構造化ミッション』(日経BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。

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