ポリタス

  • 視点

今回は棄権せず、この候補者に入れようと決めた

  • オバタカズユキ (フリーライター)
  • 2014年2月7日

これを書き始めたのは2月5日の暗くなってから。本日いっぱいの原稿提出の締め切りに間に合っても、「ポリタス」に掲載されるのは数日後。都知事選の投票日直前だ。

読者にうだうだと私の考えを述べる時期ではない。このサイトにたどりついた人のほとんどは、政治に対する関心が高く、知識も豊富なはずだ。東京都民で選挙権を持つ場合は、投票先を2〜3候補まで絞ったけれども最終的な判断がつかない、棄権するかどうかも迷っている、という人が多そうだ。

そんな読者の目にとまれば、と、私の判断について簡略に書く。

積極的に棄権していた理由

実は思うところがあって、長年、選挙には行かなかった。前回投票したのは、1995年の都知事選。バブリーな都市開発はもう嫌だ、という拒否感から、世界都市博覧会中止を公約に掲げた故・青島幸男に一票を投じた。そうしたら、同じような感覚の都民が多かったらしく、オール与党の支持を集めて立候補した石原信雄元内閣官房副長官に大きな差をつけて、青島知事が誕生した。

結果、世界都市博覧会は取り止めに。が、それで東京がうまくバブルから着地したかというと、首をひねらざるをえない。話が長くなるので略すが、青島都知事が都市博中止以外にロクな仕事をしていないという報道を聞いては、ああもう選挙に行くのはやめだ、俺はロクな投票の判断ができない、と思った。選挙に関わらなくても政治参加はできる、と言い始め、積極的棄権の立場をとるようになった。

あれから約20年が経つ。あのときまだ若者といえなくもなかった私は、現在49歳である。20年間、積極的棄権を口にしながら、選挙のたびにその動向が気になってしかたがなかった。棄権もいいが、あえて自分に選挙権の行使を課す政治参加もやってみればいいじゃないか、残り人生はカウントダウンなのだし、という気持ちになっていった。

で、この都知事選から、私は原則的に投票所に行き、有効票を投じることに決めた。昨秋より、超遅まきながらツイッターを始め、そこで自分の投票行動についての考えを発信できるようになったことも大きい。政治について肩ひじを張らずに意見交換できる環境が生まれてきたのなら、今更でも、その流れに乗るのはおもしろいと思ったのだ。

論点は福祉と医療の崩壊阻止

今回の都知事選に限らず、私の政治的な関心は、超高齢化社会で我々がいかに生きていくか、という課題にある。ほかの課題に対する関心も当然あるが、超高齢化の問題は、介護を要する高齢者本人だけでなく、介護職従事者、被介護者の子供たち、親が介護で大変な被介護者の孫たち……ときわめて多くの人々に直接かかわる難題だ。

とりわけ、介護職従事者の待遇改善は急務だ。独居老人問題や介護疲れの問題をこれ以上大きくしないためには、介護のプロを増やす必要がある。プロを増やすには、介護職でまともに生活できる給料が得られる仕組みづくりが欠かせない。

介護や福祉、医療の充実を、だなんてゼイタクは言わない。ただ、超高齢化社会で人心が荒まないようにする何らかの政策を本気で生み出そうとしている政治家がいれば支持したい、と考えるのである。

残念ながら、今回の都知事選で、超高齢化社会の問題に対する画期的なアイデアを提案した候補者はいない。主要候補者の誰もが、超高齢化対策に力を入れると言っているが、その程度を言うだけなら誰でもできる。

ならば、より高齢化対策に比重を置いている候補者は誰か。直感的には、宇都宮けんじ候補者だ。やはり私の苦手な共産党と社民党が推薦する人権派弁護士に入れるしかないか。バックは大嫌いでも、候補者本人の人柄は信頼できそうだし、そうするか。

幾度か決めかかったのだが、彼が提起する基本政策を読み返すと、どうしても躓いてしまう。こと超高齢化対策に限ってみても、「都独自の高齢者医療費無料化(65歳以上の窓口負担ゼロ)にむけて、当面、75歳以上の医療費の無料化を検討します」「特別養護老人ホームを拡充して、4万3000人を超える特養待機者を段階的にゼロにします」だなんて文言を掲げている。

ものすごく金がかかりそうなのだが、財源はどうするのか。大規模開発の予算を組み替えて福祉に回せば解決する、という。本当か。開発予算削減で景気が悪くなり、税収が減ればそれどころではない……とかなり不安になる。経済成長なくして福祉・医療の崩壊は避けられず、と私は考える。

それに、細川護煕候補が突然天から降ってきたことで、実際の話、いわゆるリベラル票は割れる。相対的に宇都宮候補の政策が良くても、当選する可能性はゼロだと思う。

あなたがたは老害だ!

この「政局」に関して、ひとつだけ言っておきたい。選挙期間中に、反舛添都政=反安倍政権ということで、細川候補と宇都宮候補の一本化を強弁する著名人らがいた。

「あなたがたは老害だ」と断言しておく。現実性を無視した政治的な言動が、どれだけリベラル勢力に対する失望を生んだか。そのマイナスの自覚のなさに絶望を覚える。選挙結果がどうなろうと、該当者は言い訳も反省もしないでほしい。あなたがたは日本のリベラル勢力を葬るための墓穴を掘ったのであり、これから先はダンゴムシのように丸まって土の中に埋もれていただきたい。

とかなんとか、つまらない選挙になってしまった。よほどの失言や新たなスキャンダルでも発生しない限り、ますぞえ要一候補の当選は揺るがない。ますぞえ候補はどうとでも転べる無難な発言しかしていないので、都知事としてもどうとでも転ぶだろう。まあ、都職員や都議会とムダな喧嘩をしないでうまく転がっていただきたい。安倍首相の暴走に対する歯止め役としては、まったく期待しない。

政策から検討しても、政局の流れを見ても、主要候補で一票を入れたい人はいない。田母神としお候補は気骨があって人もよさそうだが、東京の顔として国際的にヤバすぎる。ワシントン・ポスト紙あたりから「disappointed」を超えて、「despaired」などと評されて、日本が孤島化するみたいな方向性は御免だ。

ネット選挙をひたすら観た

では、誰に投票するか。宇都宮候補はしんどい、と思ったときに気持ちが動いたのは、家入かずま候補だった。とりいそぎ著作を一冊読んで、あとは仕事の合間にひたすら彼のネット選挙運動を観た。

都議との対談や、他候補者との対談などを観て、「聴く力」のある人物だなと思った。巣鴨の地蔵通りをネット中継しながら歩く様子も興味深かった。高齢者に声をかけては、今の生活で困っていることを聞きだし、別れ際に「握手させてもらってもいいですか?」と必ず言っていた。ヒステリックに意味不明な訴えをしはじめた老女がいて、スタッフの一人が話し相手をしていたようだが、家入候補本人は「ぼくは何もできなかった」と(肉声で)つぶやいていた。何度も何度も「できなかった」と口にした。

私からすると、好感度がめちゃくちゃ上昇したのである。もしかしたら、すべてが計算尽くのパフォーマンスだったのかもしれない。でも、だとしたらその自己コントロール能力がすごい。いや、計算もしていただろうが、彼のあの振る舞いは基本的に天然だ。

投票日に、私は家入候補に一票を投じる。そう決めた。例えば、彼のバックにカルトがついている、などと判明したら、投票を棄権する。そんなことがなければ、迷いなく近所の小学校の体育館で彼に入れる。

家入候補に関しては、「どれだけ若者の票を集められるか」が注目のポイントだとされている。49歳の私は、その「若者」の親であってもおかしくない中年の1人だが、「若手に期待」とかそういうありがちな年長者の言い草ではなく、ストレートに家入一真という人物の能力に興味と期待がある。

舛添都政のチェック役、アドバイザー役としての家入一真にも期待したい。というか、家入目線で私も舛添都政を見守っていきたい。

650万分の1の重みの使い方

2012年12月に行われた前回都知事選の有効投票数は、644万2443票だ。その10%超え、つまり供託金没収点のクリアが、家入候補の今回の選挙の目標だと勝手に設定させてもらう。そこまで得票をのばせば、世間の見方が変わる。マスコミも泡沫候補扱いではなく、侮れない政治家として家入一真を注視するようになる。そういう状態になってからの彼を見たい。

結局、長めの原稿になってしまったが、投票先や棄権するかどうかで迷っている人向けに、ちょっと言い添える。都知事選は有権者の人数がとてつもなく多い。前回同様だとしても約650万もの有効投票数があるのだ。我々の1票の重みは、650万分の1。限りなくゼロに近い。

だから、誰に入れようと、棄権をしようと、選挙結果に与える影響はとても小さい。なので、この選挙での投票行為は、選挙権を有する都民としての責任が云々といったカタクルシイものではなく、自分の政治に対する向き合い方を確認する機会の1つぐらいに捉えれば、ちょうどいいのではないかと思う。

著者プロフィール

オバタカズユキ
おばた・かずゆき

フリーライター

1964年東京都生まれ、千葉県育ち、東京都在住。フリーライター。大学卒業後、一瞬の出版社勤務を経て、フリーランスに。著書は1993年に『言論の自由』(双葉社)でデビュー後、『何のために働くか』(幻冬舎文庫)『会社図鑑!』『大学図鑑!』『資格図鑑!』(ダイヤモンド社)他多数。近刊は書下ろしノンフィクション『大手を蹴った若者が集まる知る人ぞ知る会社』(朝日新聞出版)。編集協力に『統合失調症がやってきた』(イースト・プレス)など。

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