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ロンドン市長選と東京都知事選——熾烈なメディア報道とある政治家

  • 小林恭子 (在英ジャーナリスト/メディア・アナリスト)
  • 2014年2月3日

東京都知事選とロンドン市長選はどのように違うのだろう?

イギリスの選挙運動の様子やメディア環境、ある政治家の例をリポートしてみたい。

「ロンドン市長」とは

ロンドン市長は、ロンドン議会の25人の議員と同じく、4年ごとに市民の投票によって選ばれる。

市民が選挙によって直接市長を選べるようになったのは、2000年、大ロンドン庁の発足以来だ。

「大ロンドン」(グレーター・ロンドン)という呼び名はあまり日本ではなじみがないかもしれない。これは、30を超える自治体全部を合わせた、中心部から広がる地域を指している。

一方、金融街シティーを含む中心部にある「ロンドン=シティー・オブ・ロンドン」にも、ロンドン市長(ロード・メイヤー・オブ・ロンドン)がいる。こちらは名誉職的な色彩が強い。「ロンドン市長」といえば、たいがいの場合は「大ロンドン庁のロンドン市長」を意味している。

立候補、選挙運動

東京都知事選の場合、立候補の資格は日本国民で年齢が30歳以上であること。居住地は問われない。

一方、ロンドン市長に立候補する場合、年齢は18歳以上で、英国、欧州連合(EU)、英連邦のいずれかの国籍を持ち、かつ過去12カ月ロンドンで居住あるいは勤務経験がなければならない。ロンドン全域から330人以上の市民の推薦を受ける必要もある。

立候補者は既存の政党の推薦候補となるか、無所属として立候補するかの選択肢がある。これはロンドンも東京都も同じようだ。中央政治の戦いが地方=東京に持ち込まれるという構図も似ている。

立候補者はまた1万ポンド(約170万円)の供託金を払うが、5%以上の得票を得られなかった場合、この金額は手元に戻ってこない。ちなみに、都知事選の場合の供託金は300万円だ。

ロンドン市長選の立候補者は選挙公約(マニフェスト)を作成し、これを市長選挙広報に有料で掲載してもらう。選挙運動費用の限度は42万ポンド(約7100万円)(都知事選の場合、限度額は6050万円)だ。

選挙期間が始まると、候補者はマニフェストを印刷したものなどを片手に、有権者を戸別訪問する。メディアの記者が訪問についてくる場合も多々ある。路上で取材に応じたり、テレビやラジオの番組に出演したりしながら政策を訴える。候補者同士の討論会もよく開催される。

24時間、ニュースは途切れない

イギリスでは24時間、ニュースが途切れることがない。ブロードバンドにつながったテレビを持っている家庭であれば、BBCを含め複数の24時間テレビのチャンネルを無料で視聴できる。ネットでも同時放送している。また、テレビには「見逃し視聴サービス」があって、話題のテレビ討論を放送後に見たい場合、放送から1週間以内であればテレビ、パソコン、タブレット、スマートフォンで何度でも視聴できる。

BBCのニュースサイト、各新聞社のウェブサイトは常時競うようにして選挙戦を報道し、主要候補者による会見あるいは討論会などがあれば、ウェブサイト上に「ライブ・ブログ」というコーナーを特設する。これは、2〜3人のスタッフに担当させ、討論会などの様子を短文でつづってゆくサービスだ。面白いツイートや関連資料(政府文書など)があれば、これも混ぜて発信してゆく。

メディアに勤める記者の多くがツイートのアカウントを持っており、面白い光景に出くわした際にはどんどんツイートする。

イギリスではラジオも人気があり、「元祖24時間メディア」として候補者を呼んでリスナーと掛け合いをさせたり、イベントの生中継などを行う。

テレビ、ラジオ両方のメディアに候補者が生出演した場合、丁々発止の質問が司会者・ジャーナリストらから飛ぶ。候補者は頭の回転が速く、言葉で上手に切り返す能力が必要とされる。

投票は

投票日、投票者は第1候補と第2候補を選択する。第1候補となった人物の得票数が全体の過半数を超えれば、その時点で当選となるが、そうでない場合、第2候補で集めた票も加算して計算される。

当選が確定した場合、次の日からロンドン市長となるが、正式には市長であることを宣言した書簡をロンドン市庁に届け、これが受諾されたときから仕事を開始できる。

リビングストンとロンドン

最後に、ロンドン市長選とメディア報道という観点から、ある政治家の話を書いておきたい。

大都市の行政の長として、どんな人が最適なのだろう? 私だったら、市民の気持ちを代弁し、市民のために政策を実行してくれる人を選びたい。市民と心をシンクロできる人がいい。

自分にとって、かつてロンドンにはそんな人がいた。私はその人が「ロンドン市民」(Londoner)という言葉を使うとき、外国人としてロンドンに暮らす自分がその中に入っていることをしっかりと感じ取ることができた。夏季五輪のロンドン招致を実現させた時のロンドン市長ケン・リビングストン(敬称略)がその人物だ。

リビングストンは初めて市民の直接の投票によって選ばれたロンドン市長だった。2004年の市長選も再選。しかし、2008年、ボリス・ジョンソン候補(現在の市長)に敗れた。選挙中、リビングストン陣営に大きなダメージを与えたのがメディア報道だったといわれている。

リビングストンは、階級意識が残るイギリスで、ロンドンの労働者階級(大変大雑把な説明になるが、主として低賃金、ブルーカラーの仕事に就く家庭に生まれ育った人々)の家庭出身だった。市長時代は毎日電車に乗って登庁し、いわゆる庶民派といわれた。1987年から2001年までは下院議員にもなった

2005年7月6日、ロンドンは2012年の夏季五輪をロンドンに招致することに成功した。イギリス中が歓喜に沸いた。翌日7日、ロンドンでは52人の犠牲者を出したテロが発生した。五輪招致が発表されたシンガポールにいたリビングストン市長(当時)は、向けられたカメラに向かい、こう言った。「攻撃をかけた人たちに一言だけ言いたい。あなたがたが攻撃したのは世界のリーダーたち、政治家たちではない。普通のロンドンに住む、市民たちだ」。ロンドンにやってくる様々な人種の名称を挙げているうちに、涙目になった。

2008年の市長選

2008年、リビングストンは3度目の市長選にむかった。

本命対抗馬は保守党議員で上流階級出身のボリス・ジョンソン。金髪のぼさぼさ頭でジョークを良く飛ばす。政治雑誌の編集長でもあり、テレビにもよく出演していた。2010年に首相となるデービッド・キャメロン保守党党首と名門私学で同級生だった。名門・金持ち・上流階級というイメージだ。

当初、市長としての実績(市内の交通渋滞を改善するための混雑税の導入、60歳以上の市民にラッシュ時以降のバス・電車が無料になる「フリーダムパス」の発行など)があるリビングストンが楽勝と見られていた。ジョンソンは「単なるお調子者」とされ、政治家として彼をまともに受け取る人はほとんどいなかった。しかし、次第にジョンソンは支持を広げ、リビングストンとの支持率が拮抗するようになった。

ネガティブキャンペーン

投票日直前まで反リビングストン攻撃を続けたのが、当時ロンドンの唯一の有料夕刊紙(現在は無料)「ロンドン・イブニング・スタンダード」だった。スダンダード紙は当時、市内約500カ所に専用スタンドを置いていた。ロンドンの通りや駅構内などに置かれたスタンドには新聞がその1面が見えるように並べられており、新聞を買わなくても、リビングストン批判の大きな見出しが通勤客の目に入った。

同時に、民放テレビのチャンネル4がリビングストンに批判的な番組を放映。市長が市議会と対決状態にあること、実態がないかのような組織に補助金が出ていること、市長の相談役の一人が補助金を「誤用」しているなどの疑惑を報じた。

リビングストンは選挙に負けた。翌日、左派系高級紙ガーディアンは「スタンドード紙のおかけで(ジョンソンは)勝てた」という見出しの記事を出した。

2012年5月、リビングストンは再度ジョンソンに挑戦したが、勝つことができなかった。リビングストンは政治家業から足を洗うと発表した。

メディア報道だけでリビングストンが負けたという人は、リビングストン支持者の間でさえいないだろう。しかし、連日のネガティブ報道が潮目を変えたと私は思っている。

以前から経営に行き詰まっていたスタンダード紙は、2009年、ロシアの元KGB職員アレクサンダー・レベデフに買収された。編集長が変わり、紙面が刷新された。当初の販促キャンペーンの1つは、「いままでネガティブなことばかり書いていて、ごめんなさい」などの文句が入ったポスターを使用する「謝罪広告」だった。「ネガティブ過ぎた」という部分をやっぱり自覚していたのだなあと思ったものだ。

著者プロフィール

小林恭子
こばやし・ぎんこ

在英ジャーナリスト/メディア・アナリスト

在英ジャーナリスト&メディア・アナリスト。英国や欧州のメディアの動き、インターネットの未来について執筆。読売オンライン・デジタルで「欧州メディアウオッチ」連載(毎週火曜)。電子メール:ginkokoba@googlemail.com

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