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  • 視点

とりあえずの安心・安全を求める気持ちを、もう一度見直そう〜(続)圧倒的な危機感について〜

  • 舩橋淳 (映画作家)
  • 2014年2月6日

昨日アップした拙文「今は平時でなく、戦時になりつつある〜圧倒的な危機感という視点〜」。リツイート、シェアあわせて2500人以上の方が賛同してくれています。ありがとうございます。

しかし、です。

今朝、東京新聞をみてびっくりしました。「都知事選世論調査 脱原発票割れる 舛添・細川・宇都宮氏に」という記事です。

しばらく考えて、なるほどと思いました。舛添氏の原発政策「原発依存は減らす。再稼働は慎重判断」が、実は多くの層をカバーしているのではないでしょうか。

「原発は国政の問題だし、再稼働すれば電気は送られてくるかもしれないけど、原発は東京都内にはない。だから都政が関与する筋合いはあまりないのでは。」

という「なんとなく」の空気です。

それが、

「まぁ急がなくとも少しずつ原発依存を減らせば良い。急にゼロにすれば、経済やいろんなところに支障が出る」

という安心・安全マインドを生み、

「原発よりも大事な福祉、医療、景気対策という都民の生活に直結した問題をしっかりやってくれる人の方がいい。原発、原発と叫んでいるのは、なんかコワい。行き過ぎじゃないか」

「舛添氏に入れておいて問題はないだろう」

となる。

これが、問題なのです!!!

私たちの心の中にある、安定を求める欲求が、”悪”を生むときがある。ヒロシマ、ナガサキの悲劇を経験した日本人は

「二度と核を悪用させてはならない。そのために平和利用をしよう!」

として、1950〜60年代に原発をアメリカから輸入しました。原子力は未来のエネルギーだ、という巨大キャンペーンに私たちは乗っかってしまった。世界平和のために、そして資源のない日本の将来の安定のために、原子力はうってつけだ、と思ったのです。

善意の束が、”悪”を生んでしまったのです。

そして、今回、福島の事故がありました。今後数万年も管理しなければいけない核のゴミも出ました。自然や食物や飲料が放射性物質で汚染され、今もストップできていません。いまだ最終処分場も決められていません。今から生まれてくる子供達に巨大な負の財産を残すことになってしまった。

政権が原発再稼働をしようとするのは、電力会社の経営問題からであり、利権を維持しようとする企業の集まり(原子力ムラ)が政治と行政に働きかけているからです。

福島の事故で我々は思い知ったわけです。安全・安心を求める気持ちが、悪に繋がってしまうということを。

いま安倍政権は、ゆっくりゆっくりと戦争のできる国へと向かっています。戦争は、緊張状態が高まったとき、ほんの些細な、ローカルな武力衝突から起きます。

安倍政権は、韓国と中国との対立を煽り、国境問題や歴史認識で挑発し、同時に軍備、徴兵制の充実に注力しています。

舛添氏を信任するということは、安倍政権を信任するということです。現状維持を認めれば、この政権は核(原発)を動かし、静かに静かに戦争に向かってゆきます。

安全・安心を求める気持ちをもう一度見直し、本当に舛添氏でいいのか、吟味してください。そして、その危機感を友人や家族と共有してください。

もう一度言います。

とりあえずの安定を求める気持ちが、「悪」となることがあるのです。

変革を起こしましょう。

著者プロフィール

舩橋淳
ふなはし・あつし

映画作家

1974年大阪生まれ.映画作家.東京大学教養学部卒業後,ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアルアーツで映画製作を学ぶ.処女作の16ミリ作品『echoes』(2001)がアノネー国際映画祭で審査員特別賞・観客賞を受賞.第二作『Big River』(2006)はベルリン国際映画祭.釜山国際映画祭等でプレミア上映された.東日本大震災直後より,福島県双葉町とその住民の避難生活に密着取材したドキュメンタリー『フタバから遠く離れて』(2012)は世界40ヶ国で上映され,2012年キネマ旬報文化映画ベストテン第7位.同スピンオフ作品「放射能 Radioactive」は、仏Signes de Nuit国際映画祭でエドワード・スノーデン賞を受賞。近作は、震災の被害を受けた茨城県日立市で撮影した劇映画『桜並木の満開の下に』(2013)、小津安二郎監督のドキュメンタリー「小津安二郎・没後50年 隠された視線」(2013年NHKで放映)など。現在、新作「フタバから遠く離れて 第二部」が劇場公開中。

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