都知事選を前にして、ふと一体どんな人なら世の中が納得するんだろうということを考えてみました。
決定力がある人がいいという声があります。確かになかなか決定できない政治家が多いように見える中、ずばっと決めてくれる知事がいたらきっと痛快に違いありません。一方であまり軽率な行動を取られても困ります。しっかりと深く考えてくれる知事がいいという人もいるでしょう。
オリンピックもあることですし、理想を掲げてくれる人もいいかもしれません。ビジョンを見せてくれるのがリーダーの役割ですし。一方で、原発などの現実問題があります。しっかりと現実を見据えて行動できる人でないと対応は難しいかもしれません。
私は選挙というものは、ベストを選ぶものではなくて、よりましな人を選ぶものだと思っています。入れる人や党がいないという言葉は、生まれてからずっと大人の人が言っているのを聞いてきました。確かにそうなのかもしれません。でも残念ながら今のシステムではリーダーを選ばないと機能しません。つまりどんなに気に食わなくても選ぶしかないし、選ばなくても、必ず誰かは選ばれるわけです。
政治家が日本を悪くしたんだと言う人がいます。確かにそうなのかもしれません。でも、ずっと日本には選挙がありました。選んだのは私達です。そしてその結果を引き受けるのも私達です。仕方なく選んだんだとしても、選ぶことを放棄しても、選択の結果は私達の生活に反映されます。辞任したりと、表面上の責任は政治家が取ったように見えますが、取りきれる訳がありません。責任を取るのは私達の生活です。
阿久悠さんがインタビューでおっしゃっていたことがあります。
「あんな政治家を選んでしまって申し訳ありません——有権者がそう思うときこそ民主主義が成熟する」
さて一体誰がリーダーをやれば私達は満足するのでしょうか。非の打ち所のない理想のリーダーはいつ誕生するのでしょうか。そして、果たしてそんな人が今までにいたのでしょうか。
都知事選はもうすぐそこに迫っています。選ぶことを放棄したとしても、リーダーはそこで決定され、私達が乗った東京という船はそのリーダーが指し示す方向に進んでいきます。そして、その結果を私達や私達の子供が引き受けていく訳です。