ポリタス

  • 視点

民意を見誤った細川・小泉連合

  • 須田慎一郎 (経済ジャーナリスト)
  • 2014年2月7日

今回、津田さんから非常に難解なお題を頂戴した。そのお題とは、「都知事選をこう見る」だ。

その結果だけを考えるならば、マスコミ各社の世論調査から判断して、自民・公明両党都連推薦の舛添要一候補が、勝利を収めることはまず間違いないだろう。今回の都知事選においては、まさに“台風の目”となった観のある「細川・小泉連合」については、思ったほどの勢いはないようだ。

そしてこうした状況を反映してか、はっきり言って都知事選は全く盛り上がりに欠けているというのが実情だろう。

そうした意味で言えば、全くツマラナイ都知事選になってしまった。その都知事選に関して、果たして何をどのように見たらいいのだろうか。それゆえに、「非常に難解なお題」と表現させていただいたのだ。

しかし、いつまでもそうも言っていられないので、なぜ「ツマラナイ都知事選」になってしまったのかを考えていきたい。

そもそも自民党が舛添氏の支援に動いたこと、そしてその舛添氏が自民党の支援を受け入れたこと自体、有権者を大きく愚弄した行為と言える。ここで改めて指摘するまでもなく舛添氏は、「自民党の歴史的役割は終わった」として自民党を出て行った人物だ。それこそ小泉進次郎代議士に言われるまでもなく、自民党が舛添氏を支援することについては何ら大義はない。まさに「大人の事情」というやつだろう。

一方で舛添氏も舛添氏だ。あそこまで言っておきながら、なぜおめおめと自民党の支援を受け入れたのだろうか。

かつて舛添氏には、良くも悪くも「改革者」としてのイメージがあった。その人間性には色々と問題はあるにせよ、そうしたマイナスポイントを「改革者」としてのイメージが間違いなくリカバリーしていたと言えよう。

しかし、仮に舛添氏が当選しても、かつての「改革者」としての姿を追い求めることは絶対に不可能だろう。なぜなら都議会与党の自民、公明両党の全面支援を受け入れた上での当選となれば、自公のくびきから逃れることは絶対にできないからだ。そうした意味で都知事となった舛添氏に、都政に何らかの「変化」を期待することはとうてい無理というものだろう。

おそらく舛添氏に投票する有権者は、薄々あるいは明確にそうしたことに気が付いているに違いない。にもかかわらずなぜ、あえて舛添氏に投票するのであろうか。

これまでの世論調査の結果から見えてくる世の中のムードとしては、有権者は特設の変化を求めているわけではない、ということではないか。

もしかすると、世のムード(空気と置き換えるべきか)が、見通しの効かない「変化」や「変革」を求めるよりも、ある程度の見通しの効く「安定」を指向し始めているのではないだろうか。

そして、そうした「空気」が生じたのも、アベノミクスがとにもかくにも一定の成果を収めているという経済情勢が大きく影響したと言えよう。

今、企業経営者や自営業者、あるいは給与所得者や家庭の主婦に至るまで、最大の関心事は、アベノミクスの恩恵が果たして自分達のところまで及んでくるのかどうか、そして及んでくるとすれば、それは何時なのか、という点なのだ。

悲しいかな“脱原発”でも“原発即ゼロ”でもない。つまり「変革」は求めていないのだ。

そして、そうした空気感こそが、大衆の心を掴むことにかけては人後におちない橋下大阪市長が表現したところの「ふわっとした民意」なのだ。つまりこの「ふわっとした民意」——言葉を変えると、移ろいやすく掴みどころの無い大衆の意識を掴みきれるかどうかに、都知事選の勝敗はかかっているのではないだろうか。しかし結局、細川・小泉連合は、そうした民意を掴み損ねてしまったようだ。

どうやら“郵政選挙”の再現とはならなかったと言えよう。

著者プロフィール

須田慎一郎
すだ・しんいちろう

経済ジャーナリスト

経済ジャーナリスト。1961年、東京生まれ。日本大学経済学部卒。経済紙の記者を経て、フリー・ジャーナリストに。「夕刊フジ」「週刊ポスト」「週刊新潮」などで執筆活動を続けるかたわら、テレビ朝日「ワイドスクランブル」、「ビートたけしのTVタックル」、読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」、テレビ大阪「たかじん NO マネー」、ニッポン放送「あさラジ」他、テレビ、ラジオの報道番組等で活躍中。 また、平成19年から24年まで、内閣府、多重債務者対策本部有識者会議委員を務める。政界、官界、財界での豊富な人脈を基に、数々のスクープを連発している。

広告