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都知事って、面白い?

  • 島田裕巳 (宗教学者/作家/NPO法人葬送の自由をすすめる会会長)
  • 2014年1月25日

都知事選に立候補してもいいかなと、思わないわけじゃない。

しかし、もし立候補したとしたら、いろいろなことを言われるに違いない。過去を掘り起こされ、あることないこと、もし有力候補にでもなれば、大変な言われようになるはずだ。

けれども、それが私が都知事選に立候補しない本当の理由ではない。

別に誰からも出馬を要請されていないのだから、そんなことを説明する必要もないかもしれないが、都知事になって何をするか、それが思い浮かばないことが決定的だ。

立候補したとしたら、政策を掲げ、公約を示さなきゃならない。本当に出馬したら、政策を考え、もっともらしい公約をすることになるだろうが、きっと自分でも嘘っぽいと思うに違いない。

実はそれは、今回立候補を表明している各候補にも言える。皆、都知事になって何をやりたいのか、本当のところが見えてこない。

細川さんや宇都宮さんは、「原発ゼロ」と言うが、それは都知事選の公約なのだろうか。実際に都政を運営する上で、節電でもする以外、原発ゼロに結びつく政策があるようには思えない。

舛添さんだって、この選挙に政治生命の復活を賭けているのかもしれないが、都知事としていったい何をやりたいのだろうか。

田母神さんになると、場所を間違えているようにしか思えない。

全体に、はっきりとした政策のある候補者がいない。選挙のために慌てて公約を考えているようで、伝えられる内容は思いつきにしか見えない。

全員に共通するのは、都知事になって目立ちたいということだろう。私だって、都知事選に出てもいいと思うのは、そんな気持ちがあるからだ。

都知事になって何をやりたいか、はっきりしない人間しか立候補しないのは、都知事という仕事が意外につまらないからではないだろうか。それは、都知事だけのことではなくて、知事全般に言えそうだ。

とくに、都知事選に出るような著名人、有名人にとっては、都知事の仕事はやりがいに乏しい。内閣総理大臣とは違って、外交や経済の分野で活躍するというわけにはいかない。条例は作れても、法律は作れない。

要するに、派手なこと、社会的に注目されるようなことができないのだ。

だから、皆長続きしない。

昔は、知事の多選ということが大いに問題にされたが、最近は、1期目の任期途中に止めてしまう知事も少なくない。それは、タレント知事に共通する傾向だ。

もちろん、都知事としてやらなければならない仕事はたくさんある。これからは、人口の減少が顕著になり、その分、都市への集中がこれまでとは違う形で進むはずだ。それにどう対応するのか。防災対策もあるし、財政の問題もある。

ただ、そうした事柄は着実な努力を必要とする分、地味で目立たない。唯一都知事にとって、ド派手な表舞台は2020年の東京オリンピックだが、少なくとも2期やらないと、オリンピックの時点での知事にはなれない。

東京オリンピックを目当てにするなら、今回は見送って、次を待った方がいい。次の都知事選は4年後ではなく、もっと早い可能性の方が高い。

いったい都知事は何のためにあるのか。

本当に問われなければならないのは、そのことだ。

今の選挙のやり方だと、どうしても人気投票になってしまう。東京の有権者の数があまりに多いからだ。

となると、議院内閣制を東京都も真似て、都議会で都知事を選んだ方が、実際に仕事をしてくれる知事が選ばれるのではないだろうか。一度都議になるというのも、都政の経験を積むことにつながり、意味がある。

都知事選をやるには莫大な費用がかかる。何度もそれに金をかけるくらいなら、知事の公選をやめてしまえばいい。

そうすれば、私も都知事になりたいという煩悩から解放されるはずだ。

著者プロフィール

島田裕巳
しまだ・ひろみ

宗教学者/作家/NPO法人葬送の自由をすすめる会会長

1953年東京生まれ。東京大学大学院人文科学研究課博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。現在は宗教学者、作家、東京女子大学非常勤講師。主な著書に、『葬式は、要らない』、『靖国神社』(幻冬舎新書)、『創価学会』(新潮新書)、『戦後日本の宗教史』(筑摩選書)など多数。

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