都知事選に立候補してもいいかなと、思わないわけじゃない。
しかし、もし立候補したとしたら、いろいろなことを言われるに違いない。過去を掘り起こされ、あることないこと、もし有力候補にでもなれば、大変な言われようになるはずだ。
けれども、それが私が都知事選に立候補しない本当の理由ではない。
別に誰からも出馬を要請されていないのだから、そんなことを説明する必要もないかもしれないが、都知事になって何をするか、それが思い浮かばないことが決定的だ。
立候補したとしたら、政策を掲げ、公約を示さなきゃならない。本当に出馬したら、政策を考え、もっともらしい公約をすることになるだろうが、きっと自分でも嘘っぽいと思うに違いない。
実はそれは、今回立候補を表明している各候補にも言える。皆、都知事になって何をやりたいのか、本当のところが見えてこない。
細川さんや宇都宮さんは、「原発ゼロ」と言うが、それは都知事選の公約なのだろうか。実際に都政を運営する上で、節電でもする以外、原発ゼロに結びつく政策があるようには思えない。
舛添さんだって、この選挙に政治生命の復活を賭けているのかもしれないが、都知事としていったい何をやりたいのだろうか。
田母神さんになると、場所を間違えているようにしか思えない。
全体に、はっきりとした政策のある候補者がいない。選挙のために慌てて公約を考えているようで、伝えられる内容は思いつきにしか見えない。
全員に共通するのは、都知事になって目立ちたいということだろう。私だって、都知事選に出てもいいと思うのは、そんな気持ちがあるからだ。
都知事になって何をやりたいか、はっきりしない人間しか立候補しないのは、都知事という仕事が意外につまらないからではないだろうか。それは、都知事だけのことではなくて、知事全般に言えそうだ。
とくに、都知事選に出るような著名人、有名人にとっては、都知事の仕事はやりがいに乏しい。内閣総理大臣とは違って、外交や経済の分野で活躍するというわけにはいかない。条例は作れても、法律は作れない。
要するに、派手なこと、社会的に注目されるようなことができないのだ。
だから、皆長続きしない。
昔は、知事の多選ということが大いに問題にされたが、最近は、1期目の任期途中に止めてしまう知事も少なくない。それは、タレント知事に共通する傾向だ。
もちろん、都知事としてやらなければならない仕事はたくさんある。これからは、人口の減少が顕著になり、その分、都市への集中がこれまでとは違う形で進むはずだ。それにどう対応するのか。防災対策もあるし、財政の問題もある。
ただ、そうした事柄は着実な努力を必要とする分、地味で目立たない。唯一都知事にとって、ド派手な表舞台は2020年の東京オリンピックだが、少なくとも2期やらないと、オリンピックの時点での知事にはなれない。
東京オリンピックを目当てにするなら、今回は見送って、次を待った方がいい。次の都知事選は4年後ではなく、もっと早い可能性の方が高い。
いったい都知事は何のためにあるのか。
本当に問われなければならないのは、そのことだ。
今の選挙のやり方だと、どうしても人気投票になってしまう。東京の有権者の数があまりに多いからだ。
となると、議院内閣制を東京都も真似て、都議会で都知事を選んだ方が、実際に仕事をしてくれる知事が選ばれるのではないだろうか。一度都議になるというのも、都政の経験を積むことにつながり、意味がある。
都知事選をやるには莫大な費用がかかる。何度もそれに金をかけるくらいなら、知事の公選をやめてしまえばいい。
そうすれば、私も都知事になりたいという煩悩から解放されるはずだ。