東京を将来的に「縮小」する都市として捉えているか、それとも「発展」する都市として捉えているか。僕が各候補者に聞いてみたいのはこの一点だけだ。
少し前に国立競技場の改修案を巡る議論が盛り上がっていた。あの論争は、都知事を選ぶとはどういうことかを占う上でふさわしい前哨戦だった。ここには、重要な論点が濃縮されていたように思う。
その中で、現在のプランに反対した建築家は、巨大過ぎる建造物の景観の問題とともに、反対する理由として東京の将来の人口縮小の問題を取りあげていた。
確かに2020年をピークに、東京都の人口が減少を始めるという数値予測はある。だが、それはデータの一側面でしかない。この場合の東京の中には農村部も山間部も都市圏郊外も含まれる。そういった地域での人口縮小と都心部の集積は別々に見なくてはいけない。東京の中心は集積を増し、一極集中は進む。本当に都心部だけを捉えた場合、東京の人口は、2020年以後も増え続けるだろう。
そう、東京の将来の人口をどう捉えるかは人によって変わるのだ。
競技場問題においては、都心に5万人(現国立競技場のキャパシティ)以上を動員できるスタジアムは必要か否か?
サッカーだけ見ても、Jリーグの優勝のかかった試合、ナビスコカップの決勝、高校サッカー決勝クラスだと、国立競技場のキャパシティ5万人ではもう足りなくなっている。これら以上に集客する日本代表の試合は、東京で行われることはなくなってしまった。代表の試合会場は、横浜や浦和にその座を奪われてしまった。音楽のコンサートにしたって、いまや1回に5万人以上が集客できるミュージシャンとして名前が浮かぶ存在は両手の指の数を超える。
東京の都心部にこれまで以上の規模のスタジアムが必要であると僕は考えている。ただ、これを認めない人は多いということは、新国立競技場への反応を見てもよくわかる。もちろん、縮小を前提としたポジティブな提案という可能性もあるのかもしれないが。
こうした「成長」か「脱成長」かで二分する論点を、都の未来を考える上での争点そのものとして捉えたい。個別の問題についてひとつひとつ論を交わすことが大事という意見もあるだろうが、始めに言ったとおり、候補者は東京を将来的に「縮小」する都市として捉えているか、それとも「発展」する都市として捉えているか、それだけでいい。
「縮小」か「発展」のどちらで捉えるかということは、即ち「脱成長」か「成長志向」かという選択にも等しい。現代において、「脱成長」か「成長」のどっちをとるかということは、根源的なイデオロギーの違いということになるだろう。昨今は、具体的な政策を判断して投票しようという、「マニフェスト偏重」主義という風潮が強いが、僕はむしろイデオロギーを示してほしい。そこを曖昧にしてほしくない。