異様な都知事選
今回の選挙戦には最初から違和感があった。「原発」と「国家戦略特区」が二つの重要争点となる中、「原発なら細川氏に一本化」「雇用なら宇都宮氏を支持すべき」という二分法に社会運動は引き裂かれていった。
私の元にも、「原発と雇用・貧困問題のどちらが大事なのか」。こうした問いかけが連日寄せられた。二つの課題を二分法にし、選択を迫る論法である。
だが、私は討論によって雇用問題について話し合うことができれば、どの候補にもアプローチを行う。それが「現場の論理」だ。決して「原発か雇用か」の論法に乗る必要などない。
このような立場からすると、「細川氏の方が舛添氏よりもましなのだから、雇用問題は捨てて、勝てそうな細川氏に一本化すべきである」という主張は全く受け入れられない。
それは、細川氏が気に入らないとかいうレベルのことではなく、あらゆる政治勢力に「現場の問題」を投げかけ続けることこそが、NPOの代表を担う私の職責だからだ。
まして彼は討論にも、団体の公開質問にも応じようとしない。政策が分らず、討論も行わないなら、むしろ疑問をぶつけ、批判し続けることで選挙に影響を与えようと考えるのが、本筋であろう。
実は、私は「ブラック企業対策プロジェクト」の共同代表として、都知事候補たちに政策討論会と公開質問状への回答を申し込んでいる( http://bktp.org/ )。
しかし、舛添氏も、細川氏も、公開質問状すらも、検討する時間がないという。討論会が開催できたのは宇都宮候補だけだった。
昨年の参議院選挙の前後には、私はブラック企業問題について、公明党の国会議員団に講演をし、前厚生労働事務次官にもレクチャーした。民主党の前幹事長ともテレビ討論をした。その後、自民党の関係議員とも何度かインタビューなどをする機会を得ている。そして、各党全てへのアプローチと討論が、国のブラック企業対策にもつながっていった。
これに比べ、今回の都知事選の「討論しない」という異様さは際立っているし、「どちらかを選べ」という論法も稚拙である。
現場の人間であれば、最初から「この候補でなければだめ」などという論法にのらず、あらゆる政治勢力に働きかけるのは、当然のことなのだ。
都民が知らない「特区構想」
そもそも、原発問題の陰に隠れて、国家戦略特区の危うさについてはほとんど議論されていない。舛添氏も細川氏も特区の導入は表明している。その内容は、福祉分野の民間参入促進や、自然エネルギーに関するものだ。
だから、多くの支持者は「細川氏(舛添氏)は、雇用改革については論じていない。「ブラック企業特区」というのは言いがかりだ」などと主張している。
だが、この認識は甘い。
2014年1月30日に行われた「国家戦略特区諮問会議」の資料によれば、「区域計画は、国家戦略特区担当大臣、地方公共団体の長及び民間事業者が、相互に密接な連携の下に協議した上で、三者の合意により作成」となっている。
国家戦略特区制度が適用されると、その内容は国や財界が入って決めることになるのだ。安倍政権は特区の内容を今後も改変し、解雇自由化などの検討を進めようとしている。そして、国や財界は解雇自由化や残業無料化を主張している。だから、特区政策と雇用改革は不可分なのだ。
つまり、ひとたび国家戦略特区を受け入れるということは、雇用制度、金融制度、福祉制度、医療制度など、あらゆる分野の制度改革を、国・財界・自治体が連帯して行うということ。そして、どの分野がどれだけ改革されるかは、都だけでは決められず、国や財界の委員にも左右されることになるのである。
私の眼には、特区適用後に「国が主張していることは、私の責任ではありません」などと言い逃れする都知事の姿が浮かんで見える。
特区適用後は、都の意図を超えて政府からあらゆる分野について、注文がでることになるだろう。それは、従来の都政の範囲を大きく超えたものとなる。特区政策が、国家政策の特別区での試行のためのものであれば、これは当然のことだ。
だからこそ、政策についての詳細な討論、議論が、今回ほど求められている選挙はないのである。
批判と討論こそ、民主主義
ところが、実際には「本命」とされる舛添・細川両氏が「討論回避」戦術をとり、政策の詳細があまりわからない。それにもかかわらず、一部の「知識人」が人柄を頼りに支持表明をしたことも、大きな衝撃であった。
政策に疑問がある中で、政治家が討論を拒否する。この状況で、支持表明をするのでは、「人気投票」を増長していると言われても仕方がない。人気投票で当選した猪瀬知事が、その後、傲慢な都政をふるっていたことを思い出すべきだ。
私は、安易に「一本化」などと言わずに、政策の議論を尽くすことで、仮に細川氏や舛添氏が当選したとしても、雇用政策の内容を縛ることができると思う。
討論が行われれば、国家戦略特区に反対する宇都宮候補がこの論点を出すだろうから、有権者者彼らの真意を正せるし、彼らも都民の視線にさらされる中で、安易な改革はしにくくなる。
また、NPO団体などが質問を繰り返せば、これにこたえないこと自体が一つの政治的なメッセージとなる。
逆に、宇都宮氏に疑問を抱える有権者も、規制緩和の必要を問いかけられる中で、同候補がどのように対応するのかで、見極めることができるだろう。
政策的論点を徹底することが、民主的に政治家に要望を出す最良の方法なのである。私はこの原点に返るべきだといいたい。
そして、誰よりも現場の人間は、最後まで自分たちの論点を、妥協なく、すべての候補に問いかけ続けるべきだと思うし、有権者はそのやり取りに注目してほしいと思う。