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私は都知事になりたくない

  • 紫原明子 (エッセイスト)
  • 2016年7月30日

我が家の家訓は“芸能人と政治家にはなるな”というものだった。

実家の教えが活かされているのかどうなのか、都知事選にめぼしい候補者がいないからといって自分が立候補しようとはやっぱり思わない。間違っても都知事になんてなりたくない。なろうと思ってなれるものでもないから杞憂も杞憂なのだが、そういった前提は一旦置いて話を進めたい。

やりたくない理由はたくさんあるが、そのうちの一つは、とてもじゃないけど公人にはなれないと思うからだ。あるとき、地方の市議会議員をやっている友人が、土曜の夜10時過ぎに、私的な食事会に参加していた様子を、同席した人によってFacebookにタグ付きで投稿されていた。念のため言うと、内容は決して過剰にはっちゃけているわけでもない、ただ親しい仲間内とのカジュアルなひととき、という印象を与える程度のものだった。けれどもその投稿には即座に有権者と思しき人から「遊んでないで市のために働いてくれ」という辛辣な内容のコメントが寄せられていた。重ねて言うがこのとき土曜の夜10時過ぎ。公人には、勤務時間や休日、プライベートといった概念がないのかと衝撃を受けた。

また記憶に新しいところでは、政治家ではないけれども、先日とある裁判官の男性が高裁から注意を受けたそうだ。理由は、ツイッターに自らの半裸の画像や、自らが縄で縛られた画像をアップしていたため。どうも公人は趣味や関心も公人らしいものでなければならないのだ。

もし私が都知事になって公人になったら、AV監督らと共に趣味と興味で主催しているオンラインサロン「誰にも言えない恋とセックスの話をしよう」も、誰にも言えない恋とセックスの話などするな! と注意を受けて解散させられる可能性がある。著書『家族無計画』も、「家族を無計画につくるな!」と怒られることだってあるかもしれない。それはちょっと困ってしまう。公人に向けられる目は厳しいのだ。

これに加えて、週刊文春が怖い、ということも挙げられる。

私自身のこれまでのことを振り返って、不倫をされた経験はあってもしたことはないし、誰かのお金を不正に使ったということもない。私の認識では今のところ、叩いても決して大した埃は出ないだろうと思うのだが、ただ、自分でも全く知らないうちに、何か誤ったことをしていなかったかと言われれば、こればかりはわからない。また都知事になってから、何者かにトラップ的なハニーを仕掛けられでもした際に、絶対にスルーできると断言できない。もし都知事になってしまえば、四六時中スキャンダルを探されることからは逃れられないだろう。スキャンダルが出れば、都民どころか、関係ない都外の人からもコテンパンに叩きのめされてしまう。

確かなところは不明だが、聞けば芸能人のCMの契約料は一般的に1本、数千万円という話である。一方、芸能人と同レベルの知名度とそれに伴うリスクを背負い、加えて実務も行う都知事という職で、都知事の推定年収は2222万円。これは物書きと業務委託で細々と得ている私の年収からは比べものにならない高収入だが、それでもリスクや責任の大きさと照らし合わせれば、全く割に合わないように感じる。

すでに政界にどっぷり浸っていて、それまでのキャリアの延長に都知事という職がある、というような人が都知事選に立候補するというのなら腑に落ちるが、そうではなく、全くの異業種から新たに都知事になろうと立候補する人は一体何を考えているんだろう。私のような凡人には見えない密かな旨味があるのか、あるいは余程の物好きだろうな、とかねてより思っていたところ、前回の都知事選にはなんと身内が立候補してしまった

直前には猪瀬直樹さんが痛々しいまでの集中砲火を浴びていたし、選挙に出るにあたっては公職選挙法という厳しい法律があり、よく知らずにうかつなことをすれば逮捕されかねないという。どう見ても都知事なんて、政治家なんて罰ゲームじゃないかと、なんとか思いとどまるように説得を試みたものの、結局身内は都知事になるべく出馬した。どうしてそんな火の中に飛び込むようなことをするのか、私には全く理解できなかったが、本人は純粋に使命感に燃えていた。考えてみれば、もともと私には全く理解できない、損得や保身といった概念と無縁の考え方の持ち主で、だからこそ残し得たのだろうビジネス面での功績なども確かにあり、なるほど、こういう人が物好き枠から出馬するんだなあと、身近なところで気づかされた部分もあった。

ところでこの都知事という職が、政界にどっぷり浸かった人か、何か別の思惑がある人か、余程の物好きか、そういった人にしか魅力的に映らないものである点について、本当にこれでいいのだろうかと最近よく考えてしまう。

何しろ都政というのは本来、都民である私たちがふとしたときに感じる生活の中での困難を改善してくれる力を持った機関で、都知事というのはその長だろう。優秀で人柄のいい人にこそ手腕を発揮してほしいと思うし、優秀で人柄のいい人こそが「私がやりましょう」と名乗りを上げやすいものであってほしい。そのためには、一体どうしたらいいのだろう。

リスクやタスクが給料に見合わないからといって、安易に都知事の給料をもっと上げろ、というのは現実的に難しい。また、真実を白日のもとに晒すメディアの働きによって、私たちが信じるに足る情報を選り分けれているという事実も確実にあるので、決してスキャンダルを探すなと言うわけにもいかない。また、都知事というのは言うまでもなく強大な権力なので、都民やメディアがシビアな目で注視していなければ、どんな立派な人だってつい過ちをおかしかねない。

ただ、私たちが、都知事や都政に対して、果たして本当にシビアな目を向けているかというと、実はちょっと疑わしいような気もする。少なくとも自分のことを考えてみれば、「ばれてもばれなくても、どうせみんな私腹を肥やしているんでしょ」といった不信感をベースに、もはやろくに目を向けてもいないかもしれない。誰が都知事になったってどうせ良くも悪くも変化など起きないだろうと、むやみに期待しない代わりに、関心すら持っていないかもしれない。

そんな中でも唯一、ときに瑣末な、ときに下世話なスキャンダルが明るみに出たときだけ、珍しく都知事と都政の動向に関心を持ち、それまで何を見てきたわけでもないのに「ほら、やっぱり政治家はこうだった」とより一層の政治不信を強めるかもしれない。

つまるところ、シビアな目を向けているという体裁で、エンターテインメントとして楽しんでいるのだ。そして、エンタメを消費するようにしか都政を見ることができないから、後先考えないその場の感情で世論が形成されてしまう。

明日の都知事選では、ついに新しい都知事が決まる。

エンターテインメント的に言えばこれは新しいエピソードのプロローグ。候補者の誰が選ばれたところで変わり映えしないとして、それならそれで政治に大して関心がない私でも、これからどんなドラマを見せてくれるのだろうと、少しは期待を抱くだろう。一方、冷静に考えてみれば、新しい都知事だっていつまたどんなネタを掘り出されるとも限らないわけで、三たびスキャンダル、三たび辞任、そして繰り返される選挙、ということにならないとも限らない。そうなれば私たちは期待した分がっかりして、さらにはそんながっかりすら、エンタメとして楽しむのだろう。本来選挙は生活に直結すること。無責任に手放しで楽しんではいられないことから手を離し、安易にエンタメにしてしまった代償は、結局は私たちの身に降りかかってくる。毎回お決まりの台本を繰り返すばかりの、陳腐なエンタメの主役を張りたい一流の役者などいるはずもないのだ。

しかし大切なことは未来志向だ。今度こそ冷静さと思慮深さを持って、大事なときには賢い判断ができるようにならなければと思うし、また、それを折に触れて世論などで示していくことで、私たちは優秀な都知事を頂くに価しますよ、ということを、まだ見ぬ未来の優秀な都知事候補に向けて、長期的にアピールしていかなければいけないな、と思う次第である。

著者プロフィール

紫原明子
しはら・あきこ

エッセイスト

エッセイスト。1982年福岡県生。13歳と10歳の子を持つシングルマザー。個人ブログ『手の中で膨らむ』が話題となり執筆活動を本格化。著書に『家族無計画』(朝日出版社)。WEB媒体では『りこんのこども』(cakes)、『世界は一人の女を受け止められる』(SOLO)をはじめとしAM、ProjectDress、HRナビ等連載、寄稿多数。2016年3月鷺森アグリ主宰abooksプロジェクト’dintje’執筆協力。オンラインサロン「誰にも言えない恋とセックスの話をしよう」(Synapse)を開設。

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