ポリタス

  • 論点
  • Photo by NASA Goddard Space Flight Center (CC BY 2.0)

政治をめぐる「暴力」と「希望」の話

  • 三浦瑠麗 (国際政治学者)
  • 2016年7月1日

今度の参議院選挙は、18歳選挙権が施行される初の国政選挙ということで注目されています。新たに選挙権を得て、政治に参加しようとする18歳の誰かを想定して、何を伝えたいかと問われれば、当たり前すぎるけど、「政治ってとても大事」ということかなと思います。政治を語る言葉は、親切でないことが多いけれど、それが身近であるかどうか、難しいかどうかにかかわらず政治はとてもとても重要なのです、と。ということで、具体的な選挙の論点をちょっと離れて、政治に対する気構えみたいなことを書いてみたいと思います。

政治というのは、とても暴力的な存在であるというところからはじめましょう

政治というのは、とても暴力的な存在であるというところからはじめましょう。戦後の日本社会で生きていると、ついついこういうことは忘れがちだけど、そうなのです。国際政治学者として、毎日、間接的ではあるけれど戦争や暴力に触れていると、日本という国のぬるま湯が歯がゆくもあり、ありがたくもあり、という気持ちになります。それでも、その本質においては、世界に存在する生々しい暴力も、日本という国における一見わかりにくい権力も、暴力性ということでは一緒です。

身近なところでは、国家には徴税権という権力があります。我々が当たり前のように取られている税金は、あなたのお金を国家が強制的に奪っているのです。日本の2015年度の国民負担率は、将来世代に借金をしている分も含めると50%を超えています。今でさえ、日本国民が稼いだお金の半分は国家に奪われるのです。ちょっと噛みしめてみると、すさまじいことですよね。18歳で、選挙権を得たばかりの世代の負担は、今後も確実に上がっていきます


Photo by yamayadori (CC BY 2.0)

この度の参議院選挙の直前には、消費増税の延期が決められました。増税はいつだって不人気な政策ですから、自民党から共産党まで、現時点での増税には反対ということですべての政党の意見が一致しています。ちょっと気持ち悪いくらいです。もちろん、今回先延ばしにした増税が必要なくなるわけではありません。数年後には、もっと強烈な増税として返ってきます。しかも、消費税で大騒ぎしている過去数年の間に、健康保険などの社会保険料はどんどん上がっています国民からすれば、「税金」と言われようが、「保険料」と言われようが、負担という意味では全く一緒です。こちらの負担は、お役人が勝手に上げて良いことになっており、今後も確実に上がっていきます


Photo by heiwa4126 (CC BY 2.0)

政治の暴力性は、徴税だけでなく、刑事司法の場面にも、安全保障の場面にも存在します。こちらは、国民を拘束し、罰し、動員する文字通りの暴力です。難しいのは、国家が同時に国民を守る存在でもあるということです。政治が暴力的であるのは、国家が暴力を独占することによって、多数者の横暴から少数者を守るためでもあります。気に入らない人や集団があるからと言って、町の親分に頼んで暴力をふるってもらうような社会では困るのです。

政治に関心を持つということは、生々しい現実と向き合うこと

政治に関心を持つということは、国家が国民に対して暴力的でないか、また、多数者の横暴から国民を適切に守っているかという生々しい現実と向き合うことです。ただ、それだけではちょっと暗いですよね。政治というのは、同時に希望でもあります。どんな社会を作っていきたいか、より良い世界を作っていくためにはどんな仕組みが必要かという視点です。

長い歴史の中で、日本国民の生活が改善したのは、実は比較的最近のことです。それまで、国民の多数は満足に教育を受けることはできず若いころから悲惨な環境で働かなければいけませんでした。職場で事故にあっても保障などされず、病気やケガで働けなくなれば、あっという間に食べることさえできなくなりました。どの地方の、どの家庭に生まれるかで人生のほとんどが決まっていました。

女の子は、自由に自分の将来を決めることもできませんでした。結婚相手を決めることも、平等に財産を譲り受けることも、職業人として暮らしていくことも、とても難しいことでした。そう遠くない過去において、家族が貧しくなれば借金のカタに娘を売っていた時代があったわけです。


Photo by A.Davey (CC BY 2.0)

それを変えたのも政治です。その意味で、間違いなく政治は希望です。政治を通じて、労働者の権利が保障され、職場の安全と待遇の改善が進められました。男女の平等を担保するために、民法が改正され、義務教育の内容が変わり、男女雇用均等法ができました。先駆者の問題意識が教育と文化を通じて国民に浸透し、差別的な言動を繰り返す輩も、だんだんと肩身の狭い思いをするようになっていったのです。

残念ながら、今でも日本は「女子に三角関数は必要ない」と言ってのける知事がいて、地方議会で女性議員に対して「自分が早く結婚したらいいじゃないか」「産めないのか」というヤジが飛ぶような社会です。ただ、そういった事例がよく報道されるようになったのは、最近まではそれが問題にすらならなかったからです。その歩みが遅すぎるのはそうだけれど、日本社会が世代を超えて、少しずつ良い方向に向かっているということも重要な点です。

あきらめることは容易いけれど、その瞬間に国民は力を失い、将来世代が享受するはずだった希望は潰える

政治なんて、利権にまみれ、中高年のおじさん達によって担われ、政治家ファミリーの二世・三世がすることだとあきらめることは容易いけれど、その瞬間に国民は力を失い、将来世代が享受するはずだった希望は潰えるのです。

政治には対立がつきものです。「和をもって尊し」とする日本文化には、政治を一段低いものとして見るところがあります。政治の重要性について考えるときに、暴力と希望という言葉で語ったのは偶然ではありません。本来は、政治における暴力に警笛を鳴らすのが保守であり、既存の体制やルールを越えて希望を語るのがリベラルです。 保守は革命や変化を嫌い、その暴力性を嫌悪します。リベラルは経済的に自立し自由を愛する勢力から始まりました。その自由主義と進歩主義の組み合わせが理想主義的なリベラルの伝統を形作ります。よく考えてみれば、保守とリベラルの双方の観点が重要であることがわかると思います。保守ばかりが幅を利かせる社会では、人々は既得権を守ることに汲々とし、社会は進歩をやめてしまいます。リベラルは理想へ向けた闘争のなかでしばしば現実を見失いがちで、妥協を嫌い、混沌や暴力を呼び込むことさえあります。

自立した国民があり、プロ意識の高いメディアがあり、法の支配の精神を宿した官僚機構が存在する

国民が豊かに誇りを持って暮らすためには、民主主義を機能させるためのいくつかの条件があります。

自立した国民があり、プロ意識の高いメディアがあり、法の支配の精神を宿した官僚機構が存在することです。その条件が整ってはじめて政治家は大衆を恐れるのです。

初めて選挙権を行使する皆さんが有権者の列に加わっていただくことを心から歓迎します。政治的意思表示を行い、国の将来と自らの将来の舵取りを行えることは、とても幸福なことです。

その幸運を噛みしめて、一票を投じてみてください。


Photo by Bradley Eldridge (CC BY 2.0)

著者プロフィール

三浦瑠麗
みうら・るり

国際政治学者

国際政治、比較政治の理論を研究。民主主義国においてはプロの軍人が嫌がる不要な戦争を、政治家や市民などのシビリアンが推進するパターンが多く、軍の好戦性や市民の平和性を仮定する通説は必ずしも正しくないということを論証した『シビリアンの戦争―デモクラシーが攻撃的になるとき』岩波書店((2012 年))が主著。政治経済社会を論じるブログ「山猫日記」((http://lullymiura.hatenadiary.jp/))を執筆。ブログに加筆しまとめた『日本に絶望している人のための政治入門』文春新書((2015 年))がある。東京大学政策ビジョン研究センター講師。フジテレビのインターネット放送「『ホウドウキョク」』((http://www.houdoukyoku.jp/))の大型ニュース解説番組「あしたのコンパス」木曜アンカー。

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