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  • Photo by naosuke ii (CC BY 2.0)

日本の「18歳選挙権」は高校改革からやり直せ

  • finalvent (ブロガー)
  • 2016年7月9日

クリントンの娘さんは18歳から政治活動を始めた

今回の第24回参議院議員通常選挙には、与野党が掲げる各種の争点がある。が、そうした枠組みから少し離れると、もう1つ重大な話題がある。「18歳選挙権」の実現である。都民については都知事選でも同じだ。これから日本で始まる「18歳選挙権」について、現在18歳と19歳の人たち、また、すでに20歳以上の成人はどのように考えたらよいだろうか。

そう問いかけられると、ありきたりの答えがすぐに頭に浮かんでしまう。

①正しい政治意識を持て
②せめて棄権はするな

など。しかし、ブロガーとしては、少し違った話をしてみたい。

切り出しは、チェルシーさんだ。これから初の女性米国大統領になる(はずの)ヒラリー・ローダム・クリントンの一人娘である。1980年生まれ、現在36歳。結婚したのは30歳。お相手のメツビンスキー君(ユダヤ人)は2歳年上。二人とも晩婚とも言えないがそう若くもない。


Photo by Globovisión (CC BY 2.0)

だが、なれそめの時期は、1996年に遡る。

チェルシー嬢、18歳。日本でいうと、ちょうど今回の参院選で投票できる年齢だ。

なれそめの場所は、「ルネッサンス・ウィークエンド」という政治問題討議会。二人は、こてこての民主党員の若者としてこの会に参加した。親が民主党の大政治家だからというのはあるとしても、若い二人は、明々白々として民主党という政党員であることを掲げた

繰り返すが、チェルシーは18歳だった。


Photo by Corporal Joe Battista

欧米社会において学生が政党員を構成するのは比較的メジャーなこと

日本の若者諸君はまったく想像もつかないだろうが、欧米社会において学生が政党員を構成するのは比較的メジャーなことである。事実、欧米では各政党による大学生と政治を結びつけるための政党学生局のような団体が、主要な大学にサークルの形で存在する。

一つ断っておくが、米国の若者の投票率だって日本のことを笑えないほど低い。しかし、政治に対する興味を持つきっかけを、現場レベルで提供する仕組みが整っている。選挙前になると、高校生が高校生に投票を呼びかけるビラを配るなどという光景も普通に見られる。選挙とは、国民全員で参画するものという教育を彼らは徹底して受けているのだ。

選挙とは、国民全員で参画するものという教育を彼らは徹底して受けている

18歳の諸君へ——できることならきちんと政党に所属して、政治活動してみろよ——と私は言いたい。

20歳以上の成人諸君へ——18歳の若者をきちんと政党に捲き込めよ——と私は言いたい。 かのチェルシー嬢のなれそめは、見方によっては、政党的な合コンと言えなくもない。そもそも男女の出会いが少ないと言われる日本だからこそ、政党合コンが推進されてもいいだろう。

おかざりの民主主義をかぶせるだけかぶせて、この国に政治教育を根付かせなかった奴の罪は重い。


Photo by naosuke ii (CC BY 2.0)

日本の高校の政治活動届出ってダメだろ

「なにも米国の真似をする必要はない」という意見もあるかもしれない。曖昧模糊大好きの日本人としては、政党の青年部なんかに所属するのは、だっせーと思うものだ。それでも各政党は明白に、18歳・19歳の市民が、自政党を支持できるように、彼らに伝わる明白なメッセージを出してほしい。民主主義国家は政党政治の議会を根幹としているからだ。政党の自覚も問われる。新政党でもいい。

「与党が悪だから、この悪を打倒するために団結しよう」みたいな、政党名を隠した「正義」や「平和」を掲げた政治活動をするのはやめたほうがいい

別の言い方をしよう。「与党が悪だから、この悪を打倒するために団結しよう」みたいな、政党名を隠した「正義」や「平和」を掲げた政治活動をするのはやめたほうがいい。18歳・19歳の市民は、政党記名を隠した政治運動のうさんくささを嗅ぎ取ってほしい

では、その第一歩はどこからか? 高校である。高校内で政党活動をさせろ、とまでは言えない。言ってもいい気もするが、政治活動は高校の主要目的でもない。だが、高校で「18歳選挙権」への教育はすべきだろう。どうしたらよいだろうか。


Photo by naosuke ii (CC BY 2.0)

実は日本はそれ以前の情けない状態だ。現状、多数の高校では「18歳選挙権」への教育どころか、高校生が課外で政治活動するのにも届出を推奨している。

これに関連する「お達し」は文科省の《「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について(通知)」に関するQ&A(生徒指導関係)》に、ごちゃごちゃと書かれている。重要なのは、届出についての以下である。

Q9.放課後、休日等に学校の構外で行われる政治的活動等について、届出制とすることはできますか。

A.放課後、休日等に学校の構外で行われる、高等学校等の生徒による政治的活動等は、家庭の理解の下、当該生徒が判断し行うものですが、このような活動も、高等学校の教育目的の達成等の観点から必要かつ合理的な範囲内で制約を受けるものと解されます。

したがって、高校生の政治的活動等に係る指導の在り方については、このような観点からの必要かつ合理的な範囲内の制約となるよう、各学校等において適切に判断することが必要であり、例えば、届出をした者の個人的な政治的信条の是非を問うようなものにならないようにすることなどの適切な配慮が必要になります。

読めばわかるように、ダメな文章である。質問である「届出制とすることはできますか」に対して明示的な答えがない。ところが、「例えば、届出をした者」という文言がぬっと現れるところを見ると、文脈上、届出制を前提としていることがわかる。つまり、「個人的な政治的信条の是非を問うようなものにならないようにするなどの適切な配慮」のもとで事実上、届出が推奨されているのである。

こういうおバカな規制は即刻やめるべきだ。

繰り返す。「18歳選挙権」の実現で何が求められるかといえば、こうした高校生への規制をやめろ、である。

18歳選挙権ドイツから学んでみたい

では、高校における「18歳選挙権」への教育はどうあるべきか。18歳の選挙権と高校の関係で参考になるのは、ドイツだ。

ドイツでは1972年に、選挙権年齢が18歳に引き下げられてから初めての選挙を迎えた。そして、当然、学校と学生の政治活動がその時代のドイツでも問題になり、大きな議論を興すようになる。教師や指揮者が議論を重ねて、結果、学生と政治活動についての指針として、1976年、3項目からなる「ボイテルスバッハ・コンセンサス(Der Beutelsbacher Konsens)」ができた。全体をまとめたのは、当時高校の教師だったシビル・ラインハード(Sibylle Reinhardt)博士(教育学)である。これが日本にも参考になる。そもそも諸外国でも参考にしている。

ドイツで使われている中等学年5~6年生(通常11~12歳)用の「政治・経済」教科書。巻末で世論調査の仕組みや社会調査グラフの読み方などが解説され、「代表性」の持つ意味などがやさしい言葉で解説されている。この出版社の教科書だけでなく、ドイツの政治に関する教科書は比較的早い章で「子供のテレビ消費」の問題から入り、メディアの問題を取り上げており、幼いころからメディア・リテラシーを高める力を養うようになっている。そこが日本の教科書と異なる大きな特徴だ。

ボイテルスバッハ・コンセンサスについては、NHKの「視点・論点」で近藤孝弘・早稲田大学教授による詳しい解説があるので参照してほしい。ただ私としては、表現は硬くなるが参考までに原典にそった形で仮に訳してみたい(英語を基本に仏語と独語を参考にした)。できたら、文科省でも日教組でもいいから、日本人向けのわかりやすい定訳を作るとよいだろうし、その過程でボイテルスバッハ・コンセンサスの理解が深まることを期待したい。

1 学生に威圧をかけることの禁止

好ましい意見を授けるためだとしても、「独立した判断の形成」を妨げることになるので、いかなる方法であれ、心の準備のない生徒や無知の生徒をとえらようとすることは許されない。政治教育と洗脳教育の間には明瞭な分割線がある。民主主義社会での教師の役割は、洗脳教育とは相容れないし、生徒に独立した責任感を持たせるという一般的な教育目標とも相容れない。

2 異論の多い課題は異論が多いままにしておけ

知的にまた政治的に異論の多い事柄については、教育の場でも異論が多いままにしておくべきである。この要請は先の一点目に密接に関わっている。というのは、もし異なる視点が見失われたり、意見が抑制されたり、代替案が議論されないなら、洗脳教育に歩み出していることになる。

私たちは、教師が現実的に矯正の役割を演じていないか問わなければならない。こうした視点や代替案を推進すべきか否かも問わなければならない。それらは(政治教育プログラムの他の参加者を含め)生徒の社会的かつ政治的な原点にとっては違和感があるものかもしれない。だが、この第2原則を確認することで、教師の個人的な立場や、彼らが表明する知的かつ理論的な見解、さらに政治意見が、比較的興味を惹かないものになるとわかる。すでに示した例を繰り返すなら、彼らの民主主義理解は問題にならないし、彼らに反する意見もまた重要性をもたない。

3 学生の個人的な利害を考えさせよ

学生は政治状況を分析できる立場に置かれるべきであり、自分に影響する個人的な利害のありかたを調べられるようにすべきである。同時に、彼らの個人的な利害から自分を認識する政治的な立場について影響を持つ手段を探せるようにすべきである。この目的には現実的な手腕が強調されなければならないし、これによって上述の二つの原理が帰結される。関連する非難はしばしば定型化する。だから教師は、自身の信念を変えようとしてはならない。ここで述べられた次項は最善の合意ではなく、最低限の合意である。

訳が間違っているかもしれないが、概ねのところを簡素に、ネット風に三行でまとめるとこうなるだろう。

・生徒への威圧があってはならない(Überwältigungsverbot)
・異論を放置せよ(Kontroversität)
・生徒個人の利害に向き合え(Schülerorientierung)

日本の現状に即して考えるなら、

① 政治活動の届け出など、生徒への威圧そのものだろう。これは即刻、止めさせるべきだ。

② 「ヘイトスピーチ」や「歴史修正主義」などは論外だが、安保法改正が「戦争法」なのかという点には異論があるので、各教師が思うまま各種の異論をそのまま生徒に語ればよい。

③ 18歳・19歳の若者の生活上の利害を考慮すべきだ。バイト代を上げてくれでもいいし、授業料を下げてくれでもいいし、市役所で合コンパーティーをやってくれでもいい。政治なんて高尚なもんじゃない。身の丈に合った卑近な要求をがんがんぶつけていけばいい。

日本の「18歳選挙権」はこうした、民主主義の根幹的な議論がなされることなく、諸外国の「18歳選挙権」風潮に流されるように実現した。しかし、今からでも遅くない。日本版「ボイテルスバッハ・コンセンサス」を確立し、高校を改革すべきだ。

著者プロフィール

finalvent
ふぁいなるべんと

ブロガー

ブロガー。2003年から『極東ブログ』を運営。著書『考える生き方』(ダイヤモンド社)。1994年から2002年まで、4人の子どもの親として沖縄で暮らした。

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