ポリタス

  • 論点
  • Photo by 中西求

「訴える選挙」ではなく「聞く選挙」――都民はそれを支持しうるだろうか

  • 高橋健太郎 (文筆家/音楽制作者)
  • 2016年7月28日

今回の都知事選は増田寛也鳥越俊太郎小池百合子の三候補の争いになることがすでに見えている。その点では、舛添要一宇都宮健児細川護熙の三候補の争いとなった2014年の都知事選と似た様相にも見えるが、よく考えてみると、ギョッとすることに気がつく。2014年には僕は宇都宮健児を支持して、選挙運動のお手伝いなどもしたが、今にして思えば、それはずっと気楽な選挙だった。悪くても舛添さんだったからだ。舛添候補は立憲主義遵守の立場だったし、脱原発依存の立場でもあった。その意味では、2014年の都知事選は広い意味で、「リベラルの中での三択」と言っても良かった。

対して、今回、都民が迫られている三択ははるかに極端なものだ。小池百合子は自民党内でもゴリゴリの右派として知られ、日本会議国会議員懇談会の副会長で、在特会幸福実現党との関係もあるとされる。そして何よりも、立憲主義や基本的人権の否定に向かう自民党の憲法草案の推進者だ。

立憲主義や基本的人権に対する考え方は、あらゆる政策の根幹をなす

増田寛也はその自民党の推す候補である上に、選挙の直前まで東京電力の取締役だった。当然ながら、原発再稼働推進の立場である。改憲や脱原発は国政の問題であり、都政の課題ではないという人もいるかもしれないが、人口1300万人の首都、東京がどのような知事を選ぶかは日本の国政の行方を大きく左右する。ましてや、立憲主義や基本的人権に対する考え方は、あらゆる政策の根幹をなすに違いないから、消去法で考えると選択肢は一つしかなくなる。鳥越俊太郎を推すしかない

だが、迷走を続けた野党統一候補選定の最後の最後にその名が上がってきた鳥越俊太郎は、リベラルが唯一の選択肢として期待を託すには、いささか頼りない候補者だった。当初は準備不足で政策がない。選挙運動も初めてで街宣でのマイクの使い方からして、おぼつかない。街宣の本数も1日2、3本に限られている。公示日の前々日に宇都宮健児から手渡された政策ノートと、野党各党の方針と、候補自身の考えを擦り合わせて、政策をまとめるのに時間を要したのかもしれないが、ともあれ、選挙戦に慣れた小池陣営や増田陣営が初日から数カ所以上を街宣して回るのと見較べて、動きが鈍い印象は否めなかった。

しかし、選挙戦が進むにつれて、鳥越俊太郎がどういう選挙を闘おうとしているかが見えてきた。一言で言えば、それは「訴える選挙」ではなく、「聞く選挙」である。保育園に、介護老人福祉施設に、多摩ニュータウンの団地に、新国立競技場の建設現場に。連日、鳥越候補はどこかに出掛けていき、拾い上げた声を政策の中に取り入れていく。

それは当初からデザインされていた選挙手法というよりは、幾つかの条件が重なって、結果的にそうなったもののようだ。準備期間が足らず、政策が固まっていなかった。ジャーナリズムの世界で生きてきた鳥越俊太郎は、政治家として「訴える」ことよりも取材者として「聞く」ことの方が得意だった。そのハンディキャップを転化したのが「聞く選挙」だったということだろう。それは宇都宮健児から譲り受けた「困ったを希望に変える東京へ」というスローガンとも合致するものだった。かくして、「困った」を聞いて回った鳥越俊太郎の政策は、選挙戦の半ばには他候補と比較しても踏み込んだ内容を持つものに到達していた。

例えば、保育・待機児童問題についても、単に「待機児童の解消」を公約にするにとどまらず、「保育士の給与・処遇を改善」を強く訴え、子育てに関する政策に予算を優先的に配分するとしている。舛添辞任に繫がった政治と金の問題も多くの候補が言及はするところだが、「政治資金規正法の見直しを東京都から国に働きかける」というところまで踏み込んでいるのは鳥越候補だけだ。

政策面で立ち遅れていると言われた鳥越俊太郎だったが、福祉を中心にした政策を最も具体的に示している

あるいは、がん対策も当初の「がん検診率100%を目標とする」というものから、がん闘病を終えた人々からのヒアリングを経て、「がんとの共生社会」に向け、社会復帰を支援する条例を制定するという方向に著しく進化している。その他にも、「受動喫煙防止に向けた条例制定」 、「住宅・マンションの耐震化助成」など、具体的な政策が公式ウェブサイトの公約ページに並ぶようになっている。政策面で立ち遅れていると言われた鳥越俊太郎だったが、投票まで1週間を残す7月24日の時点で、福祉を中心にした政策を最も具体的に示しているのは鳥越候補である、と言っていい。

しかし、そんな鳥越俊太郎の「聞く選挙」は当然ながら、抱えるマイナスも大きいものだろう。街宣の回数は小池候補や増田候補の数分の1にとどまり、「訴える選挙」が足らなくなる。まとめあげた政策を十分に訴えることができないまま、選挙戦が終わってしまう可能性はある。それ以前に、自治体首長に強いリーダーシップを求める人々には、「聞く」という受動的な態度がそもそも頼りなく見えるものかもしれない。

困った時に本当に頼りになるのは、話を聞いてくれる政治家ではないだろうか

選挙戦の序盤に比べれば進歩が見られるとはいえ、話はあまり上手くないし、力強さにも欠ける。極端な三択を強いられることになった都民が唯一、福祉型の都政に向かう可能性を託せるのは、そんな頼りない鳥越候補だけという状況だ。しかし、困った時に本当に頼りになるのは、パターナリズムを押し付ける強い政治家よりも、話を聞いてくれる政治家ではないだろうか。そういう都知事を選ぶ、あるいは選ばざるを得ない機会がやってきたのが、今回の選挙ではないかと感じている。僕自身は、現在東京で仕事する神奈川県人であり、投票権を持たないのだが、都内に住む家族や友人にはそんなことを話している。

著者プロフィール

高橋健太郎
たかはし・けんたろう

文筆家/音楽制作者

文筆家/音楽制作者。OTOTOYプロデューサー。音楽雑誌「エリス」編集長。NPO APAST理事。評論集に『ポップミュージックのゆくえ〜音楽の未来に蘇るもの』。

広告