ポリタス

  • 視点
  • Photo by Hans Braxmeier

日本の「選択」はどうして「困難」なのか?

  • 冷泉彰彦 (作家・ジャーナリスト)
  • 2016年7月2日

選挙のたびに、日本の「議会制民主主義」には「選択が難しい構造」があると思います。それは、外交・軍事政策の対立軸が、経済・財政政策の対立軸よりも前面に出てしまうという問題です。

特に今回の参院選では、民進、共産、社民、生活の4野党が部分的な選挙協力をしていることで、この問題が「見える形」になっています。ですが、これは今に始まったことではありません。

もちろん、外交・軍事という問題は重要です。ですが、前世紀の状況とは違って、個々の有権者にとって経済・財政政策の重要性は非常に高まっているわけです。


Photo by kevincure (CC BY 2.0)

現在の雇用に満足している人は少ないですし、引退世代は年金の先行きに不安を持ち、子育て世代は眼前の保育や教育費の問題だけでなく自分たちの子どもが大人になった時の日本の産業や財政を心配する、その切迫感は大きなものがあります。

慢性的な「デフレ構造」の原因を特定して対策をすることは、日本の政治そして行政にとって最優先課題

格差ということでは、世代間の格差、正規・非正規の格差、男女間格差、地域格差など、年を追うごとに問題は深刻化しています。それ以前に慢性的な「デフレ構造」の原因を特定して対策をすることは、日本の政治そして行政にとって最優先課題であることは間違いありません。

こうした問題は、確かに選挙戦の論点にはなっています。ですが、与野党の対立の主要な軸にはなっていません。アベノミクスへの評価も論点にされていますが、円安株高政策への印象論や結果論が論じられるばかりで、公共投資の効果検証や、生産性向上のための痛みを伴う構造改革について真剣に議論する土壌はありません。

結局は9条を意識した憲法論議と安保法制の問題が、選挙協力の「看板」になり、また野党による与党批判の「目玉」になっているわけです。野党側の批判精神の原点も、そしてそれに反発する与党支持者の情念の原点も、そこにあるのは明らかです。


Photo by midorisyu (CC BY 2.0)

では、どうして外交・軍事の方が主要な「対立軸」になるのでしょうか? 冷戦時代のカルチャーを引きずっているからなのでしょうか? 国権と軍事力に安全の根拠を求めるグループと、国権とあらゆる軍事的なもの自体に安全への脅威を感じるグループの対立の中で、相手を叩き、自身を正当化することが、自分探しのゲームとして最も満足度が高いからなのでしょうか?

そうではないと思います。

日本の現在の社会状況の中では、経済・財政問題について一人ひとりが真剣な「選択の当事者」になることに「3つの大きな障害」があるからだと思います。

1つ目は、どんなに辛さや不安を抱えていても、雇用や生活水準の問題は、全て個人の個別の問題に収束してしまう、そのような構造や心理が強く存在するということです。


Photo by Sylvain L. (CC BY 2.0)

例えば、多くの勤労者は終身雇用契約を得て企業もしくは官公庁という組織に属しています。ということは、自身の将来にわたる生活水準の安定を考えた時には、その組織内での自身の成功によって変動する幅の方が、社会全体の動向が与える変化より大きいわけです。

今回の英国のEU離脱問題を受けて、自分の将来の年収を心配する会社員は少ない一方で、「これで就職氷河期が来るのでは?」という就活生の不安が多く聞こえてきました。これは要するに組織に属すること、属した組織内で成功することが世界経済の変動よりも優先されてしまうことを示しています。


Photo by Dick Thomas Johnson (CC BY 2.0)

例えば就活生の場合も、仮に英国離脱が自分たちの採用に影響を与えるようなら、今度こそ「就職氷河期」などというものを作り出す新卒一括採用制度への反対運動が起きてもいいわけです。ですが、実際の就活生はそのような運動を起こすよりは、個別の就活に一層力を入れる方向にエネルギーを向けがちです。それは、彼らが「意気地のないノンポリ」だからではありません。努力と結果の相関を考えると、そうするしかないように制度ができあがっているからです。

非正規労働者も同じで、制度全体・社会全体に対して対案をぶつけるよりも、個々の努力で個別の現状を打開、もしくは生き延びるしかない、そのようにゲームのパラメータ設定がされている社会だという「強い思いこみ」があるのです。

2つ目は、経済・財政政策に関して巨大な「ねじれ」があることです。本来は、政府の機能を大きくして再分配を行うというのは、左派の政策です。都市に多い貧困層を救済して社会の格差を是正する、病院や学校などの社会インフラを整備して生存権や教育権などの実現を図る政策です。

ですが、日本の場合は保守の方が「大きな政府論」を採用しています。そして、財政を悪化させてもカネを使い、日本円というカネの価値を下げる政策を実行に移しています


Photo by PIXTA

これに対して、どういうわけか日本の場合は、リベラルの方が「将来の財政破綻を真面目に心配」する余りに、「小さな政府論」に傾きがちです。勿論、リベラルですから分配をしないというのではありません。ですが、政策の枠組みとしては「財政規律は守る」、従って「増税はやむを得ない」というのが基本です。ですから、保守が主張する以上の徹底した格差是正や、徹底した現役世代優遇を行うわけではありません

3つ目は、そのような個々の議論を行うにしても、その前に「急激な人口減」と「産業の競争力低下」そして「誰も空洞化を批判しない」という中で、経済・財政政策に関する無力感を抱かざるを得ないという問題があります。

そうした中で、どうしても「外交・安保」つまり「9条を中心とした憲法論議」という対立点にばかり関心が集まることになります。


Photo by 津田大介

「二項対立」を重ねていっても、解決の方向性は見えて来ない

一つハッキリしているのは、「二項対立」を重ねていっても、解決の方向性は見えて来ないということです。「保守」対「リベラル」、「タカ派」対「ハト派」、「国際協調」対「孤立主義」、「緊縮」対「反緊縮」、「富裕層」対「貧困層」……どの対立軸も対立を始めれば大ゲンカになる一方で、それぞれの軸が「全ての課題」をカバーしているわけではないし、まして「政権交代可能な二大勢力」を作り上げるだけの推進力には欠けています。

「積極的な消去法」で安倍政権が継続的な支持を得ている

これが、民主党への政権交代が失敗したこと、そして現時点で「積極的な消去法」で安倍政権が継続的な支持を得ている理由だと思います。

希望はないのでしょうか?

私は、社会の全体を「二分」するのではなく、もっと小さな単位での「利害を共にする集団」が形成されて、政治に対して声を上げていくということが必要だと思っています。

例えば、子育て中の共働き世帯、認知症の家族を介護しているグループ、後継者難に困っている農家、中堅大学の就活生、中高年の非正規雇用者、あるいは衰退産業の人々や、移民してきた人々のグループであるとか、とにかく「明確な利害を持ったグループ」が結束して、個別の政策について鋭く賛否を訴えていくのです。

さらに言えば、地域政党が国政に声を上げていくのも良いことだと思います。地方の問題は地方だけでは解決できないし、国の問題は中央だけで解決できるものでもない中で、地方の視点は重要だからです。

いずれにしても、利害の明確な「小グループ」のさまざまな鋭い視点から、今回の参院選が検証されていく、その中から新しい政治を担う人材や、勢力の結集が出てくる、そうした流れに期待したいと思います。

著者プロフィール

冷泉彰彦
れいぜい・あきひこ

作家・ジャーナリスト

ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。著書に『「反米」日本の正体』(文春新書)、『アイビーリーグの入り方』(CCCメディアハウス)、『「関係の空気」「場の空気」』(講談社現代新書)など。メルマガJMM(村上龍編集)で「FROM911、USAレポート」(http://www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」(http://www.mag2.com/m/0001628903.html)配信中。Newsweek日本版ブログ(http://www.newsweekjapan.jp/reizei/)にも寄稿中。

広告