ポリタス

  • 視点
  • Photo by Lynn Willis (CC BY 2.0)

まだ絶望していないあなたへ

  • 森達也 (映画監督・作家・明治大学特任教授)
  • 2016年7月4日

子供のころから、ネガティブ思考においては誰にも負けない自信がある。

例えば夏休み初日の朝は目が覚めると同時に、「今日から夏休みが始まるのではなく最後の日なのだ」と思うようにしていた。つまり冷たい水を自分に浴びせるのだ。運動会のときには、短距離走で転んでビリになる自分を想像しながら走る順番を待っていた。大学受験の際にも、志望校はすべて落ちる状況をイメージしていた。できるだけ具体的に。そしてそのときの自分の心情を想像した。もしも「合格するかも」などの気持ちが湧いてきたら、あわてて必死に打ち消した。そんなことはありえない。すべては裏目に出る。好転することなど万に一つもない。絶対に思うようには進まない。

なぜなら最悪の事態をイメージしておけば、実際に最悪の事態になったときのショックが小さい。そしてもしも最悪の事態を回避することができたのなら、その喜びと安堵は、期待していない分だけとても大きくなる。

要するに臆病なのだ。仕方がない。持って生まれた性癖だ。小中学校時代に何度も転校したことも関係しているのかもしれない。ネガティブ思考は実際にネガティブな状態を誘因するからすべきではないと言われても、最終的に現実から裏切られて傷つくよりははるかにマシだと考えていた。


Photo by Jim Fischer (CC BY 2.0)

僕のこの性癖は、大人になった今も続いている。決して過去ではない。特に最近は、この傾向がより強くなってきたと自覚している。常にネガティブな方向に考える。起きてはいけないことをイメージする。最悪の状況にいる自分の心情を想像する。

冷静な論理と理念が、刹那的な感情に負けた

アメリカでは泡沫としてジョークにされていたトランプ候補が、共和党の指名を勝ち取った。ならば大統領選でも、大きな番狂わせとなる可能性は決して低くはない。イギリスでは大方の予想を裏切って、EU離脱を求める声が残留を主張する声を上回った。いわば冷静な論理と理念が、刹那的な感情に負けた。今後はイギリスに続いて離脱に舵を切る国が増えるだろう。ならば、戦争のない世界を理念とするEUは崩壊する。ロシアではプーチンが盤石の支配体制を続けている。中国は習近平で北朝鮮は金正恩だ。過激な発言で「フィリピンのトランプ」と呼ばれたドゥテルテも、選挙で支持されて大統領に就任したばかりだ。ハンガリーでは難民排除を訴える中道右派政党が選挙で支持されて、個人の権利よりも民族や国家共同体を重んじる憲法へと改正が行われた。そして日本は憲法9条を破棄することに執念を燃やす(選挙前には言わない)安倍晋三首相。強権的な指導者たちの揃い踏みが完成する。


Photo by Day Donaldson (CC BY 2.0)

ただし、民主主義的国家における政治家の強権性とは、対外的に強硬でマッチョであるということだけではなく、「我が国(民族)は世界一だ」とか「このままでは我が国は存続の危機にある」などの国民の声や危機意識に、強くストレートに応える姿勢も不可欠だ。つまりポピュリズム

……ここまでを読みながら、何で北朝鮮が民主主義国家なんだよとあなたは思っているかもしれないけれど、北朝鮮の正式名称は朝鮮民主主義人民共和国だ。一応はデモクラシーを謳っている。しかしあくまでも閉鎖系の民主主義だ。国外からの情報はほぼ完ぺきに制限され(ネットやSNSも国内のみだ)、マスメディアやジャーナリズムの権力監視が機能していないからこそ、政権は他国からの脅威を喧伝し、その恐怖を絶えず国民に与え続けることができる。だからこそ北朝鮮国民は、今は緊急避難的に軍事を優先すべきなのだとの政権側の論理に対抗することができず(だってこれに対抗するだけの情報がないのだ)、現体制に対しての強い支持を、(外形的には)民主主義的に示している。でもそれも仕方がない。彼らは本当の意味の民主主義や主権在民を、まだ一度も体験していないし、他との比較もできないのだから。


Photo by Matt Paish (CC BY 2.0)

対外的に強硬な政策は、危機意識を抱いた国民から熱狂的に支持されて、支持率を維持するために指導者はさらに強硬な政策を進め、やがて国は大きな過ちを犯す

とにかくこうして、独裁制と民主主義が無理なく共存する。対外的に強硬な政策は、危機意識を抱いた国民から熱狂的に支持されて、支持率を維持するために指導者はさらに強硬な政策を進め、やがて国は大きな過ちを犯す。ほとんどの国民とメディアが拍手喝采した日本の国際連盟脱退や、正当な選挙の帰結として台頭したナチス・ドイツなどを挙げるまでもなく、歴史にはそんな事例はいくらでもある。

つまり個が弱い民主主義は、時として大きな過ちを犯す。このプロセスを担保するシステムが選挙だ。正しく反映されたはずの民意が、国が誤った方向に進むことにお墨付きを与えてしまう。

そうならないためにはどうすべきか。

①国民一人ひとりが情報に対してのリテラシーをしっかりと持ち
②自らが主権者であることを明晰に自覚して
③さらに被害だけではなく加害も含めての正しい歴史認識を持つ

ことだ。

自らが主権者であるとの意識は国民にほとんどない

でも僕やあなたが生まれた今のこの国では、この3つの要件のうち、満足なものは一つもない。メディアや情報に対してのリテラシーはあまりにお粗末だ。お上という言葉や投票率の異例なほどの低さが示すように、自らが主権者であるとの意識は国民にほとんどない。そして最近では、国の過ちや歴史に対しての言及は、売国奴や非国民などと罵倒される傾向がとても強い。だから多くの人は委縮して口をつぐむ。そもそもが一極集中に付和雷同。いわば自己陶酔の三流国だ。


Photo by yoppy (CC BY 2.0)

エーリッヒ・フロムが説いたように、この国では今、自由からの逃避を多くの人が求めている。特にマスメディアに顕著な現象である「権力への過剰な忖度」や「自発的隷従」は、結局はこの国の普遍的な属性を表していると考えるべきだろう。

だから思う。

残念ながらこの国は、まだ普通選挙を行えるほどに成熟していなかったのだ

戦後70年が過ぎたけれど、残念ながらこの国は、まだ普通選挙を行えるほどに成熟していなかったのだ。議会制民主主義の元祖であるイギリスですら、IS(イスラム国)への恐怖によって集団化が起こり、国家の絆をより強化して同質でまとまりたいとの感情で国民投票の結果が左右された。これがもしも日本ならば、もっと壊滅的な事態になっているだろう。


Photo by fernando butcher (CC BY 2.0)

もうすぐ投票日。ネガティブ志向の僕は予想する。今回の参院選、この国はまた最低の投票率を更新するだろう。その結果として自公は大勝利。国会議員の3分の2が憲法改正の発議に賛成し、国民投票の直前には「中国の船舶による領海侵犯があった」とか「北朝鮮がミサイルをまた発射した」などのニュースが大きく報道され、憲法9条はその歴史に幕を下ろすことになるだろう。

日本は海外派兵できる軍隊を保持して、武器を製造・輸出する「普通の国」となり、トランプ率いるアメリカの戦争に積極的に加担し、親日的だったアラブ世界を大きく失望させて、国内でのテロも普通に起きるようになるだろう。


Photo by Chairman of the Joint Chiefs of Staff (CC BY 2.0)

だからこそ「国を守れ」「敵を殲滅せよ」などの意識はさらに高揚する。こうした状況下では、その過剰な自衛意識や抑止力が戦争を引き起こすのだとの歴史認識は、非国民や売国奴の思想になるだろう(今もなりかけているけれど)。ならば僕は、そのころにどうしているのだろうと考える。国外逃亡していないのなら、(まさか処刑はされないとは思うけれど)思想犯や内乱予備罪の容疑で拘束されている可能性は高い。いやそれほど大物ではないから、仕事を奪われて社会の片隅で吐息をつくばかりの毎日かもしれない。

もう一度書く。残念ながらこの国は、まだ普通選挙を行えるほどに成熟していない。だって結局は本来の意味の民主主義や主権在民を、まだしっかりと身をもって実体験していないのだから。

国民に主権意識が希薄ならば、独裁国家がふさわしい。でも今回の選挙の帰結として現行憲法が、愛国心を強制して国家への奉仕を訴える憲法に変わるのなら、結果としては同じことだ。この国はまだ民主主義を謳歌できるレベルにはない。未成熟なのだ。普通選挙も時期尚早だった。

期待は必ず失望へと変わる。そして重なった失望はやがて絶望に至る

僕はもう、何の期待もしていない。だって期待は必ず失望へと変わる。そして重なった失望はやがて絶望に至る。ならば今のうちに、しっかりと絶望しておいたほうが、悲嘆や衝撃は軽減できる。


Photo by marahami (CC BY 2.0)

ここまでを書きながら、僕はこの原稿をドキュメントに保存する。後はポリタス編集部への送信メールに添付するだけだ。

訳知り顔で鼻持ちならない悲観論者。逆張りが好きで演技過剰なペシミスト――もしもあなたがそう思うのなら、リテラシーを身に付けて、主権者であることを自覚して、一方向ではない歴史をしっかりと学びながら、この国がこれからどうすべきかを判断して、その結果を投票で示してほしい。18歳以上に選挙権が与えられたことで、この国の民主主義は急激に進化したと、後の歴史に記述されるような状況を現出してほしい。ネガティブなことばかりを書いていい気になっている悲観論者に、「予測を間違えました」と言わせてほしい。この国を長く支えてきた憲法を守りたいのなら、集団の圧力とは別な選択をしてほしい。

……と書きながら、最後に捨て台詞を記す。





まあ無理だろうけれど。

著者プロフィール

森達也
もり・たつや

映画監督・作家・明治大学特任教授

1998年、ドキュメンタリー映画『A』を公開。世界各国の国際映画祭に招待され、高い評価を得る。2001年、続編『A2』が、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。著書は、『A』『クォン・デ』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『下山事件』『東京 番外地』(新潮社)、『王さまは裸だと言った子供はその後どうなったか』(集英社新書)、『ぼくの歌・みんなの歌』(講談社)、『死刑』(朝日出版社)、『オカルト』(角川書店)、『虚実亭日乗』(紀伊国屋書店)、など。2011年に『A3』(集英社)が講談社ノンフィクション賞を受賞。また2012年にはドキュメンタリー映画『311』を発表。最新刊は『自分の子どもが殺されてから言えと叫ぶ人に訊きたい』(ダイヤモンド社)と『クラウド 増殖する悪意』(dZERO)。

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