【撮影:初沢亜利】
◆翁長圧勝を導き出した沖縄の歴史
11月16日に行われた沖縄県知事選挙の結果は、米海兵隊辺野古新基地建設に反対する翁長雄志・前那覇市長が36万票を獲得し、辺野古建設の条件である埋立を承認した仲井真弘多・沖縄県知事に約10万票の大差をつけて圧勝した。他の2候補者の得票を仲井真票に足しても、翁長票が上回る圧倒的な結果である。
本来、この知事選総括は、なぜ翁長がこれほどまでの票差で勝ったのか、仲井真はなぜ惨敗したのかを論じる機会のはずである。しかし、安倍政権は、そのような「勝利の余韻」を1週間も許さない。11月22日に辺野古での埋立作業を本格開始する構えである。沖縄の民意、正真正銘・選挙で表出された、これ以上ない民主的正当性を持つ県民の意思を、国家権力で押し潰そうとする意思を明瞭に示しているのである。
昨年1月の「オール沖縄」のオスプレイ配備・辺野古県内移設に反対する「建白書」東京行動が、安倍政権に全く何の影響も与えなかったことが、今回の翁長勝利を生み出した体制造りの基礎となった。しかし、今回知事選の「オール沖縄」再結集、戦後沖縄で考えられなかった、保守と革新の連合による知事選勝利が、辺野古建設阻止につながらねば、「オール沖縄」2連敗の後に残るものが何か、沖縄にとり、考えるのも忌まわしい政治状況が到来するかもしれない。あるいは、沖縄にとり、むしろ、自らの寄って立つべき処を強く認識し、守るべきは尊厳であるとの意識が強まる、望ましい結果を生み出すかもしれない。
安倍首相の解散総選挙決定報道が、既に、沖縄県知事選挙結果を、全国メディアから駆逐してしまった。今回総選挙の帰趨は、やる前から明らかであり、自公連立政権が政権を失う可能性はない。元々無理なアベノミクスの化けの皮が、ようやく剥がれてきたとはいえ、自民党に取って代わる野党がない。さらに、野党共闘が成立したとしても、そこには辺野古を止める政策を立てる政党は実質的に存在しない。
沖縄にとり、有力政治家を革新陣営が推して、知事選挙を勝ち取るということ以上のカードはない。それが東京の政府に全く通じず、日本国民が歯牙にもかけない事態は、沖縄県民の目にどう映るか。
辺野古新基地建設に対して、県民の意思は、世論調査ではずっと反対が多数である。しかし、知事選挙では、「海兵隊への15年使用期限付きの軍民共用空港建設」「現在の案のままでは認めない」、そして2010年の仲井真知事再選における「普天間の県外移設要求」(仲井真知事は、一度たりとも「辺野古反対」と口を滑らせたことがない、だから「公約違反をしていない」と強弁してきた)と、辺野古への海兵隊基地建設そのものの是非が問われたことはなかった。知事選挙で世論は表出されなかった。それは、辺野古推進側の「争点隠し」「争点ずらし」の成功を意味する。
今回、現職・仲井真知事は、辺野古埋立承認を、国からの財政移転に直接つなげた。昨年12月末の承認以来、沖縄は米軍基地建設がなければ食っていけない、という、72年の復帰前の保守勢力への先祖返りであるかのような主張を続けてきた。沖縄の保守政治家は、しかし、元々、米軍基地の存在を喜んで受け入れていた訳ではなく、冷戦下で、「革新」勢力が、親ソ、親中、親北朝鮮の外交姿勢を維持する中で、米国との関係を維持し、日米安保を守るため、そして、圧倒的に貧しかった沖縄が生き延びる方策としての、東京からの財政支援を勝ち取るための「苦渋の選択」をしてきた。
【撮影:初沢亜利】
仲井真知事の姿勢はそうではない。元通産官僚として、そして、戦前の内務官僚が知事となった制度を自らの規範としたかのように、「東京に抗う沖縄」を嫌い、自ら東京に屈服する姿を県民に見せ付けることで、「従順な沖縄」を率先垂範して示したのである。だから、仲井真知事は、一貫して自らの決定を誇示し続け、選挙戦終盤になり、嫌々ながら「言葉足らず」としての謝罪を口にしたが、事の本質に関しては、譲る意思が全くなかった。
仲井真知事の選挙スローガンは、「辺野古移設による普天間の危険性の完璧な除去」であった。名護市には人が住まないかのような、山原(沖縄県北部)は沖縄ではないかのような、遠隔地切り捨ての理屈である。(沖縄の心理的地図では、辺野古は中南部からは、遠い遠いところであるが、普天間-辺野古の直線距離は36キロメートルでしかなく「遠隔地」などではない。沖縄島は小さいのだ)人口が少ないところに基地を移せば、危険性が「完璧に除去される」というのは、日本の米軍基地を、人口が1%しかない、そして掛け値なしに「遠い」沖縄に押し込めば、大方の日本人の目には見えなくなる——問題が不可視化して消滅する、という論理と同じことである。沖縄県知事として、最も恥ずべき思考であり、絶対に受け容れるべきでない立場である。しかし、東京と一体化した仲井真知事は、それを進んで宣伝したのだ。
◆なぜ県知事選は「接戦」ではなく「圧勝」だったのか
筆者は、選挙前に、接戦を予想した。今回選挙で、仲井真陣営は、11人の市長のうち、9人がこぶしを挙げ、30人の町村長のうち19人が顔を並べる一面広告を、地元2紙に2度にわたり出した。この広告の威力が凄まじいはずであると、筆者は完全な予想間違いをした。他県では、小選挙区制導入後に影響力が削がれてきた、選挙区内の首長や地方議員の自民党後援会による選挙体制が、沖縄県にはまだ色濃く残っている。それは、沖縄振興の名目の下、国-県-市町村の振興予算の流れが、政治的資源として未だに活きているからである。その沖縄で、大半の首長が支持した現職は、本来負けるわけがない。また、下地幹郎、喜納昌吉、両候補の票は、翁長票から流れた部分が大きい。翁長候補は、ハンデイキャップ戦を強いられたのである。
それが、なぜこの結果になったのか。昨年末の仲井真知事の姿への怒り、卑屈な従属姿勢に傷付けられた尊厳を回復する意思の強さが、筆者のような小賢しい政治学者には理解できないほどのものだった、ということである。
【撮影:初沢亜利】
沖縄県民は、翁長に投票すれば、国が何をしてくるか、当然分かっている。それでも、尊厳を守るために翁長を圧勝させた。それは、辺野古強要のための振興予算で「シャブ漬け」になっているとさえ言われていた名護市民が、2010年、2014年と続けて、その金よりも大事なものがあると、辺野古に反対する市長を選び、市長支持が過半数の市議会を選んだところから始まった。
鹿児島県知事が薩摩川内原発再稼働を決め、福島以外の直接の原発所在地首長が、「脱原発」を誰も主張していない状況との対比を考えて頂きたい。落ちてくる金を拒否することが、どれほど困難か。名護市民は、それをして、そして、市政は問題なく運営されている。こうした金が「バブル」であり、本来必要な行政とは無関係なものであり、施策の優先順位の考え直しをすれば、そんな交付金などなくても自治体は破綻しない。沖縄県民が、その名護市の努力に倣い、続いたのである。
沖縄経済は、皮肉なことに仲井真県政が実現した、那覇空港の国際貨物ハブ化を基に、過去には掛け声だけであった「東アジアへの玄関口」としての地理的優位と、その利益を、現実化しつつある。
【撮影:初沢亜利】
「米軍基地がなければ食っていけないどん詰まりの辺境」などでは、もうないのである。県民がそれを実感しているからこそ、今回の投票結果が生まれたのだ。
◆沖縄県民の強固な意思を舐めてはいけない
選挙により、明瞭に表出された沖縄県民の意思を、全く無視して辺野古建設を強行すれば、日本における民主主義の赤字democratic deficitの問題として、沖縄と日本の関係は、新たな対決の次元に入らざるをえない。「沖縄振興体制」(琉球大学・島袋純教授の言葉)を拒否した沖縄県民の強固な意思を、舐めてはいけない。
安倍首相は、来年の第二次世界大戦終結70周年で、「歴史修正主義」を前面に打ち出した談話なり宣言なりを出すつもりであろうと、米国知日派は憂慮している。安倍は、辺野古が、米国の歓心を買い、米国に、自らの戦争責任否定を呑ませる手段だと考えている。また、辺野古が尖閣での軍事対決に米軍を引き込むに足る手段だと考えている。しかし、米国にとり、たかが海兵隊基地などに、安倍が期待するような価値はない。
【撮影:初沢亜利】
経済が悪化した時に、権力者は軍事緊張を高めて政権を維持する。サッチャーにとってのフォークランド・マルビナス戦争がそれであった。安倍は10年前から、フォークランド戦争の「教訓」を調査している(朝日新聞3月2日記事)。辺野古の問題は、「沖縄基地問題」などではない。米軍の後押しを誤信して、尖閣で一発砲火を撃てば、株式市場は大暴落する。事態はかように切迫しているのだ。日本国民は、沖縄の問題を決して他人事にしてはならない。