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【沖縄県知事選】基地で負けて選挙に勝った翁長リアリズム

  • 竹田圭吾 (ジャーナリスト・編集者)
  • 2014年11月21日

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【撮影:初沢亜利】

今回の選挙結果は、ひとことで言えば「勝者なき県知事選」だと思います。翁長雄志氏は、基地問題で「負け」て、選挙には勝ちました。

落選した仲井真知事や、辺野古移設受け入れ派、日本政府にとって結果が「敗北」であることは言うまでもありません。ただ、翁長氏の当選が県外・国外移設はおろか、移設工事の停止についてすら何ひとつ担保しないという点では、反対派・消極派にとっても必ずしも「勝利」とは呼べないでしょう。返還が遠のいた普天間飛行場の地元の人々にとっても、勝敗の色ははっきりしないはずです。

しかし逆に、そこに翁長氏と県民のリアリズムがあり、単純に「勝者」と「敗者」に色分けされて、県内の分裂がさらに深まることを沖縄の人々が拒んだ——。だとすれば、勝者が生まれなかった点にこそ、この選挙の意味があるのではないかと思います。

そもそも翁長氏がなぜ「移設反対派」に位置づけられているのか、私はよくわかりませんでした。選挙キャンペーンを通じて、翁長氏は辺野古移設の「阻止」を公約しないばかりか、埋め立て承認の撤回すら約束しなかったからです。

翁長氏は、県全体の基地負担の軽減と、新規基地の建設反対は一貫して主張しました。しかし普天間の「代替施設」である辺野古の基地計画とそれらを結びつけて、県知事の権能や裁量が及ばない範囲にまで踏み込んで動かすような約束や、そう解釈されかねない言質は口にしませんでした

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【撮影:初沢亜利】

そうした姿勢や、1年前の出来事を振り返れば、有権者が翁長氏の選挙後の「転向」を疑っても不思議はありません。

2年前の12月、衆院選の直後に、取材で沖縄を訪れたことがあります。選挙翌日の地元紙には、恒例の各党当選者全員による座談会が大きく掲載されていました。自民党本部の公約に反し、普天間基地の「県外移設」を公約に掲げて当選を果たした自民党沖縄県連所属の議員たちも、公約を守るとあらためて誓っていました。

翁長氏が県連会長を務めていたその沖縄自民党が、辺野古移設もやむなしと公約を放棄したのは、それからわずか1年後のことです。2010年の県知事選で「県外移設」を公約して再選された仲井真知事が、政府からの振興予算やオスプレイの県外訓練などを受けて辺野古の埋め立て申請を承認し、これまた公約を放棄したのと合わせた動きでした。

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【撮影:初沢亜利】

◆経済と基地の「民意」の揺らぎ

ただし、翁長氏のレトリックが「卑怯」なものであるとは、私はまったく思いません。

内政でも外交でも、政治的な交渉を通じて成果を得ようとするのであれば、むしろ「あいまいさ」をもって臨み、落としどころを探ることが重要になります。なんの見通しもないまま「最低でも県外」と言い放った民主党政権の総理大臣や、結果的に公約を破った自民党議員に比べれば、政治家としてはるかに責任ある姿勢ではないかと思うのです。

選挙の翌日、新聞各社や全国ネットのテレビ各局のインタビューに応じた翁長氏が、繰り返し口にしたのは「民意」と「アイデンティティー」という言葉でした

選挙で示されたその沖縄の「民意」とは、どのようなものであると理解すればよいのでしょうか。10万票の大差で翁長氏が仲井真氏を退けた一方的な勝利、と片づけてしまえるほど単純なものなのでしょうか。

今回の結果(翁長氏36万820票、仲井真氏26万1076票)は、仲井真氏が初当選した2006年の県知事選(仲井真氏34万7303票、糸数けいこ氏30万9985票)や、再選した2010年の県知事選(仲井真氏33万5708票、伊波洋一氏29万7082票)と比べれば、大きな差であることは確かです。

ただ、過去2回の選挙は3位の候補者の得票率が2%以下の実質的な一騎打ちで、3位の候補者が得票率10%近くに達したのは、本土返還後12回の選挙で今回の下地幹郎氏(6万9447票、9.93%)が初めてでした。

市町村別の得票をみても、仲井真氏が翁長氏を上回ったのは石垣市、宮古島市、竹富町などごくわずかで、翁長氏の圧倒的な勝利と言うことができます。そのうえで市町村別の得票率に目をこらすと、民意のかすかな揺らぎや、まだらなさまも見えてきます

県全体の得票率は翁長氏が51.6%、仲井真氏が37.3%でした。とりわけ、翁長氏が市長を4期14年間務めた那覇市では翁長氏55.3%、仲井真氏32.7%と差が開いたほか、中部の読谷村(翁長氏56.9%、仲井真氏35.7%)や北谷町(翁長氏56.1%、仲井真氏36.1%)でも強さを発揮しました。

これら、新都心の開発実績を誇る那覇、美浜地区ハンビー・タウンのある北谷町、北谷町と同様に基地の跡地利用で雇用が増えたとされる読谷村は、翁長氏の主張する「基地に頼らなくても発展できる沖縄経済」を象徴するエリアです。

一方で、普天間飛行場がある宜野湾市では、翁長氏48.4%、仲井真氏41.9%と、大規模市域では最も両者の差が縮まりました。辺野古がある名護市では、翁長氏の得票率は54.0%と県全体の平均を超えましたが、仲井真氏も38.9%と県平均はわずかに上回りました。

嘉手納基地のある嘉手納町(翁長氏51.8%、仲井真氏42.2%)や沖縄市(翁長氏51.5%、仲井真氏40.7%)でも、県平均と比べれば両者の差は小さいものとなっています。メディアで基地問題と呼ばれているものが、実際にはいかに多面的であるかがわかります

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【撮影:初沢亜利】

◆あいまいさとアイデンティティー

選挙翌日のインタビューで、翁長氏は「イデオロギーではなくアイデンティティーを」と強調しました。教条主義的に「基地を返せ」と叫ぶのではなく、経済振興のためにこそ基地返還を、と選挙キャンペーンで唱え続けたこともまた、翁長氏の特徴です。

県民は、移設問題についての翁長氏の「あいまいさ」とともに、そこに期待としてのリアリズムをみたのではないでしょうか。

基地移設の是非、振興予算の是非などなど、二項対立に振り回される状況から脱して、基地問題の多面性は「ありのまま」に、振興予算だけで経済を語らない、沖縄本位でできることの中に自分たちの主体=アイデンティティーを定義しなおす。そこに出口があるかもしれないと。

それはまた、それが沖縄だけの問題ではないことをあらためて沖縄以外に住む人々に投げかけているようにも思います。

復帰前、集団就職や出稼ぎで本土へ渡った大量の若者たちの生活史を探った『同化と他者化 戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版)で、著者の岸政彦氏(龍谷大学社会学部准教授)は「沖縄の固有性、特殊性あるいは沖縄的アイデンティティは、つねに本土との関係において構成されてきた」と指摘しています。

復帰前の70年代、島ぐるみ復帰運動の盛り上がりもあって多くの若者が強いあこがれを抱いて本土に渡りましたが、彼らのほとんどは短期間のうちに沖縄へ戻りました。本土就職者への聞き取り調査には、著者が「ノスタルジックな語り」と呼ぶ、ホームシックや三線や民謡をなつかしむ気持ちがあふれています。

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【撮影:初沢亜利】

日本への同化をめざした大規模な移動が、東京や大阪での暮らしを通じて他者化として帰結し、それが沖縄的なアイデンティティの再発見と再構築をもたらす一方、沖縄の人々がアイデンティティにおいて「日本人」になることはなかったと、著者は言います。

この沖縄での小規模な調査を通じて、たとえば「たくましい沖縄」「抑圧された沖縄」「差別された沖縄」「癒しの沖縄」といったカテゴリー化を徹頭徹尾拒否するような語りばかりに出会った。そうした調査を通じて、ふたたび私の前にあるのは……あのさまざまなノスタルジックな語り、たしかに本土移動者たちの個人史のなかで経験された、戦後の沖縄と日本との関係のひとつの再現なのである。

基地移設問題に一元化されない、沖縄の新たなアイデンティティーを新知事が掲げるとき、そのリアリズムに対してどんなリアリズムで応えるのか。勝者なき県知事選はそのことを、沖縄を他者化する存在としてしか対置されえない「日本」に問いかけているように思います。

著者プロフィール

竹田圭吾
たけだ・けいご

ジャーナリスト・編集者

1964年東京・中央区生まれ。2001年から2010年までニューズウィーク日本版編集長。現在はジャーナリスト・編集者、名古屋外国語大学客員教授。フジテレビ『とくダネ!』『Mr.サンデー』などのコメンテーターも務める。

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