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【沖縄県知事選】辺野古を止めることが、普天間の危険性除去の「近道」でもある

  • 布施祐仁 (ジャーナリスト)
  • 2014年11月14日

◆普天間返還の責任は誰にあるのか

菅義偉官房長官は、普天間基地の名護市辺野古への移設に反対する翁長雄志氏に対して、「どのように普天間の危険性を除去するのか、県民に説明する義務がある」と述べた(10月22日の記者会見)。

これほど「筋違い」な話はない。

そもそも普天間基地は、アメリカの航空基地の安全基準(AICUZ)を満たさない米本土では存在してはならない基地である。だからこそ、2003年に同基地を視察したラムズフェルド米国防長官(当時)は「世界一危険な基地」と認めたのである。

周辺住民の命と安全を脅かしているこの基地を閉鎖させるのは、政府の責任だ。「危険性を除去してほしければ辺野古の新基地を受け入れろ」などと沖縄県民に迫るのは、墜落などの不安を抱きながら日々を過ごしている普天間基地周辺の住民を「人質」にしているに等しい。人道上も、道義的にも、本来許されないことだ。まして、翁長氏に対して、「辺野古に反対するなら、普天間の危険性除去の対案を示せ」などとよく言えたものだ。

菅官房長官は「辺野古は過去の問題で、知事選の争点にはならない」とも発言した(9月10日)。辺野古の問題の「争点外し」をねらったものだったが、菅氏の思惑に反して、マスコミ各社の世論調査では、いずれも辺野古への米軍新基地建設問題が投票の際に重視する政策のトップとなっている。

辺野古移設問題が最大の争点になる中、仲井真陣営は「普天間の危険性の除去」の実現性こそが最大の争点だとアピールしている。辺野古の新基地ができなければ、普天間基地はいつまでも返還されず、同基地周辺の住民は危険にさらされ続けるという主張だ。

だが、はたして本当にそうなのだろうか?

辺野古を容認することが、本当に、普天間の危険性を1日でも早く除去する「近道」なのだろうか?

私は、逆だと思っている。辺野古を阻止することこそ、普天間の危険性を除去する「近道」になる。これが、これまで戦後の基地をめぐる日米交渉や国内外でのさまざまな米軍基地返還の歴史について取材してきた私の結論だ。

その理由を、これから説明したい。

◆アメリカはなぜ普天間返還に合意したのか

まず、この問題を考える上で重要なのは、そもそもアメリカはなぜ普天間基地の返還に合意したのかという点である。理由は主に2つある。第一は、1995年に起こった海兵隊員による少女暴行事件を契機に、沖縄県民の長年積もり積もった駐留米軍に対する怒りと不満が爆発し、基地の整理縮小を求める県民世論が沸騰したからである。

第二は、人口が密集した市街地のど真ん中にあるこの「世界一危険な基地」で大きな事故が起こった場合、米軍はもう沖縄に居られなくなるかもしれないと危惧したからである。

アメリカが沖縄で最も戦略的に重視しているのは、普天間ではなく、4000メートル級滑走路を2本有し、200機近くの軍用機が常駐する極東最大の空軍基地、嘉手納である。同基地はアメリカが海外に置く基地の中で、最も戦略的価値があると評価する一つだ。

この嘉手納を守るために、アメリカは当時、普天間の返還だけでなく海兵隊を沖縄から撤退させてもよいと考えていた。

※当時の駐日米大使で普天間返還交渉にあたったウォルター・モンデール氏の証言で、アメリカが沖縄からの海兵隊撤退も視野に検討していたことが明らかになっている。また、アメリカが沖縄からの海兵隊撤退を検討したのはこれが初めてではない。1970年代にも、在沖海兵隊の米本土への撤退を検討していたことが明らかになっている。このポリタスで元内閣官房副長官補(安全保障担当)の柳澤協二氏がすでに説明しているように、アメリカにとって、海兵隊を何が何でも沖縄に置いておかねばならない軍事的な理由は存在しないのである。

しかし、日本政府が引き止めたために在沖海兵隊の撤退は実現せず、普天間の返還も「県内移設」が前提となった

いずれにせよアメリカは、嘉手納基地を守る、あるいは日米安保体制を守るという「同盟のリスク管理」という観点から、危険な普天間基地を返還することを決断したのである。よって、返還合意から17年経っても普天間を使い続けているという今の状況は、アメリカにとってもけっして望ましいことではない。

◆5年以内の運用停止は「空手形」

では、なぜその望ましくない状態を続けているのか?

その理由は、日本政府との合意により、普天間返還が辺野古新基地とリンクしてしまっているからだ。合意そのものが、辺野古に新基地が完成しないと普天間を返還できない仕組みになっている。

これが変わらない限り、つまり辺野古案が生きている限り、普天間返還は最速で8年後の2022年(現在の計画で辺野古新基地が完成する年)になる。このことは、10月20日の「日米共同発表」でも改めて確認された。

そもそも、日米両政府が普天間返還で合意した当初は5~7年(2002~04年)で代替基地が完成し返還するスケジュールだった。それが遅れに遅れ、現在の計画に固まった2006年の日米合意(「ロードマップ」)では2014年までに返還するとしたが、それも2013年の日米合意(「統合計画」)では2022年以降まで延びた。だからこそ、米議会からも「辺野古は実現不可能」(2012年、レビン上院軍事委員長=当時)という声が上がったのだ。着工するまでにこれだけ遅れたのだから、実際の工事が計画通りに進むとは到底思えない。

仲井真氏は「5年以内の普天間運用停止」をアピールしているが、これも実現する保証はない

※「普天間の5年以内の運用停止」については、10月2日に開催された日米合同委員会で、米側から「空想のような見通し」「2019年2月の運用停止という一方的発表に驚いた。米側と調整もなく発表したことは迷惑で、米国を困った立場に追いやる」などと反対の意向が示されたという。

2019年には、辺野古の新基地はまだ完成していない。その時点で普天間の運用を停止するには、その機能をどこかに移さなければならない。もし、それが可能であるならば、辺野古の計画はすぐに撤回されるべきだ。辺野古以外の場所で普天間の機能を代替できるのであれば、何も辺野古の海を埋め立ててまで新基地を造る必要性はない。

日本政府はアメリカとの調整の上で「2019年2月までの運用停止」を確約したわけではなく、「2019年2月までの運用停止を目指す」という「努力目標」を述べているにすぎない。これは、知事選を前にした選挙向けの「政治的ポーズ」だと私はみている。

仲井真知事の辺野古容認という政治的選択により、このままでは少なくともあと8年間、辺野古の工事が遅れればそれ以上、普天間の危険性が継続する可能性が高い。

しかし、これよりも早く普天間の危険性を除去する方法が一つだけある。

それは日米両政府に強力な圧力をかけて、辺野古移設を断念させることだ。

辺野古に新基地が手に入らなくなったら、アメリカは普天間を永久的に使い続け「固定化」するだろうか? 

その可能性は低い。なぜなら、すでに述べたように、「世界一危険」な普天間を使い続けることは、いざ何か起これば嘉手納や日米安保体制そのものを失うリスクを抱えることになり、アメリカにとっても合理的な選択ではないからだ。

現在は、日米合意により、辺野古ができるまで「暫定使用」を続けている状態である。辺野古案が消えれば「暫定使用」の根拠は消失し、アメリカがこれ以上、普天間返還を先送りにする理由はなくなる。

それでもなお、住民の危険をそのままにして普天間に居座り続けるのであれば、米軍が沖縄にいる正当性そのものが根本から疑われるようになるだろう。それこそ、アメリカが最も恐れていることである。

◆米軍基地返還の「パターン」

世界でこれまでいくつも前例のある米軍基地返還には、いくつかの「パターン」がある。その一つは、住民の強力な世論と運動の結果、アメリカにとって優先度の高いものを守るために、基地を返還するパターンである。

そもそも、いま沖縄に海兵隊の基地があること自体、この「パターン」の結果である。1956年に沖縄に配備されるまで、海兵隊は本土の各務原(岐阜県)と富士演習場(山梨県)などに配備されていた。1950年代、日本各地で米軍基地に反対する強力な住民運動が起こり、基地周辺で繰り返される米兵による事件・事故と不平等な地位協定への不満が高まった。加えて、東西冷戦が激化する中、米軍基地があることでアメリカの戦争に巻き込まれるという懸念も広がり、国民の中で「非同盟中立」志向が急速に高まった。その結果、国政選挙では社会党の議席が増大した。これに日米両政府は、このままでは日米安保体制そのものが危うくなると危惧し、まず行ったのが本土からの地上軍の撤退であった。

1956年7月の国家安全保障会議でウィルソン国防長官は「日本に広まっている、まだ占領されているという考えを破壊することに成功しなければ、我々は日本列島での地位すべてを失うことになる」と警告している(林博史『米軍基地の歴史』より)。横須賀の海軍基地を筆頭に米軍にとって戦略的に重要な海空軍の基地、そして日米安保体制を守るために、アメリカは譲歩し、地上軍の撤退を決断したのである。こうして、本土に配備されていた海兵隊は沖縄に移されたのだ。

日本だけではない。近年でも、プエルトリコのビエケス島の射爆場(2003年)"」>韓国の梅香里(メヒャンニ)射爆場(2005年)から、いずれも住民・国民の強い反対運動を受けて撤退している。

太平洋戦争後、アメリカは沖縄を「太平洋の要石(キーストーン)」と呼び、無期限占領する方針であった。その方針を転換させ、本土復帰を勝ち取ったのも、沖縄の強力な「島ぐるみ」の運動であった。

◆駐留国の世論に敏感なアメリカ

アメリカ政府がまだ無期限占領の方針を保持していた1950年代、沖縄では「銃剣とブルドーザー」での土地接収や、その奪った土地を一括で買い上げる「プライス勧告」に反対する「島ぐるみ」の土地闘争が高揚していた

当時、沖縄を視察したマッカーサー駐日大使はダレス国務長官への書簡で、次のように警告している。

「緊急の改善措置をとらなければ、我々が(沖縄から)追い出されないとしても、今後数年のうちに、戦争に際して沖縄は効果的に利用するのがあてにならない、信頼できる基地ではなくなる」

アメリカは米軍駐留国の世論に非常に敏感だ。なぜなら、住民の反感や敵意に囲まれた基地はいざという時に機能しないリスクを負うからだ。世界的な米軍再編に当たっても、米国防総省は「歓迎されないところには基地は置かない」という基本方針を明言している。

こうした点からも、日米両政府に強い世論の圧力をかければ、辺野古を断念させ普天間も返還させることは十分可能だ(その場合、アメリカは財政上の措置など別の要求を日本政府にしてくる可能性が高いが……)。そして、これこそ最短で普天間の危険性除去を実現する道だと私は考える。

最後に。翁長氏がかねがね強調するように、日本の安全保障の問題は日本国民全体で考えるべきである。国土のわずか0.6%の面積の沖縄に74%もの米軍基地が集中している沖縄に、さらに新たな基地を造ることなどあってはならないことだ。日本政府は「振興策」という「アメ」で沖縄県民を分断し、新基地を押し付けようとしているが、このような不正義を許してはならない。

翁長氏は「今、私たちに強く求められているのは、次の時代を担う子や孫の世代に禍根を残すことのない責任ある行動だ」として、辺野古新基地反対で県民が結束することを訴えている。

「責任ある行動」は、本土の私たちにも強く求められている。

著者プロフィール

布施祐仁
ふせ・ゆうじん

ジャーナリスト

1976年、東京生まれ。ジャーナリスト。著書に「日米密約 裁かれない米兵犯罪」、「ルポ イチエフ」(岩波書店)など。共著に「沖縄 基地問題を知る事典」、「Q&Aで読む日本軍事入門」(吉川弘文館)など。

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