琉球新報、沖縄タイムスの地元2紙をはじめ、多くのメディアは、「翁長氏先行、仲井真氏追う」という表現で選挙戦の現状を報道している。昨年末の仲井真知事の辺野古埋め立て承認に対する県民の怒りがまだ持続しているとすれば、順当な線である。
前回(2010年)の知事選挙の時、仲井真陣営の選対本部長は、翁長雄志那覇市長であった。翁長は、のらりくらりしていた仲井真が、撤去されるべき普天間基地の移設先を県外とすることを条件に選対本部長を引き受けた。このため、普天間基地の撤去を掲げて、宜野湾市長を辞して知事選に出馬した伊波洋一との間で争点がぼやけ、結局仲井真弘多が勝利した。翁長の巧みな選挙戦術であったともいえるが、このときから、基地容認か、反対か、は選挙の争点にはならなくなったのである。
◆「オール沖縄」の誕生
前回(2012年)の総選挙の時は、自民党県連も、沖縄選挙区の自民党の候補も、すべて、撤去すべき普天間基地の移設先は県内(名護市辺野古)ではなく県外へ、と主張した。日本の安全保障のために米軍基地が必要だというのならば、日本全体で考えるべきであり、国土面積の0.6%の沖縄に、米軍基地の約74%を押し付け続けるという差別的政策は、もうこれ以上拒否する、というのが、「島ぐるみ」の、「オール沖縄」的主張になったのである。にもかかわらず、日本政府(鳩山政権以後の民主党政権も、自公政権も)は、一貫して、普天間代替施設という名目の辺野古新基地建設の手続きを進めた。とくに安倍政権になって、それが加速化した。安倍政権が、辺野古新基地建設を対米すり寄り路線の一環として重視していることは明らかであった。そして昨年11月、自民党本部(石破幹事長ら)は、沖縄選出の国会議員に除名もちらつかせて威嚇し、県内移設を容認させた。彼らは、総選挙の際は、いずれも自民党公認の候補者であった。つまり自民党本部は、自らの方針と異なる公約をした議員を公認、当選させ、その上で公約を破棄させた(有権者を裏切らせた)のである。その意味では、民主党本部と異なる方針を掲げて知事選に打って出ようとした喜納昌吉民主党沖縄県連代表を除籍した民主党の方が筋が通っているといえるだろう。
◆「5年以内運用停止」の欺瞞
次が仲井真知事による辺野古沿岸部の埋立承認である。安倍政権は、仲井真知事が、東京の病院に事実上缶詰め状態になっているなかで、埋立を承認させたのである。その条件は、わずかばかりの沖縄関係予算の上積みと、「5年以内の普天間運用停止」である。予算の上積みは、民主党野田政権の方針踏襲である。「沖縄は金で解決する」というヤマト世論へのキャンペーン手段(雰囲気づくり)でもある。後者は、辺野古移設(新基地建設)を、普天間基地の危険性除去とすり替える屁理屈である。「世界一危険な普天間基地」の危険性をできるだけ早く除去するためにはこれしかないというのである。辺野古新基地の建設には、約10年かかる。アメリカとの合意は、2024年後に辺野古に普天間を移すということになっている。それまで普天間基地の危険性を放置するのか、という問いに対する答えである。
仲井真知事は、「5年以内の運用停止」を安倍首相が確約した、という。だが、そうした方針が閣議決定されたわけではない。政府がアメリカ側と交渉を始めたわけでもなければ、そうした方針を伝達した形跡もない。だいたいどうやって5年以内に運用を停止するのか、具体的イメージも描けていない。「5年以内の運用停止が可能なら、即時停止も可能ではないのか」、「5年以内に普天間の基地機能を一時的にでも県外に移せるのなら、莫大なカネをかけ、自然環境を破壊して辺野古に新基地を作り、わざわざ辺野古に再移転させる必要はないのではないか」、疑問はいくらでも湧いてくる。アメリカ側の関係者からも、5年以内の運用停止を「空想的」とする声が聞こえる。しかし、菅義偉官房長官を中心とする政府幹部は、仲井真知事と調子を合わせる発言を繰り返している。
◆保守の分裂と革新の衰退
沖縄選出国会議員団の転向、知事の埋立承認という情勢の変化を受けて、自民党沖縄県連も県内移設容認に転じた。だが、埋立承認に猛反発する県民世論に同調する形で、自民党県連内部にま大きな亀裂が生じた。まず、国会議員の転向をリードした、そして、県連の県内移設容認とともに県連会長に就任した西銘恒三郎衆議院議員の後援会長・仲里利信元県議会議長が、脱党を表明し、野党会派と共に知事の埋立承認を批判した那覇市議団「自民党新風会」所属市議は、党を除名された。新風会は、翁長那覇市長に知事選への出馬を要請するなど、県連と対抗する独自路線を歩み始めた。県議会野党の知事候補選考委員会もこの動きに同調した。それは、革新の衰退をも意味する。保守の分裂と革新の衰退を背景に、これまでに例を見ない保革連合体制ができ始めた。
政府、自民党は、県民の反発が強く、独自の世論調査などでも劣勢な仲井真を次期知事候補にすることには消極的だったといわれる。だが、あえて火中のクリを拾おうという有力候補はいなかったというのが実情だろう。結局現職の仲井真知事が、「毒を食らわば皿まで」の勢いで出馬することになる。
次に政府は、選挙前に埋立の既成事実を作り、県民世論をあきらめムードに誘い込もうとする。7月になると政府は、埋立の事前ボーリング調査の資材を米軍キャンプ・シュワブに持ち込もうとして、ゲート前でこれを阻止しようとする住民との攻防が始まる。海では、多数の沖縄防衛局の警戒船や調査船のほか、ピーク時には、17隻もの海上保安庁の監視船が、辺野古・大浦湾を遠巻きに取り囲んでいた。これを見た浜の老人たちは、アメリカの軍艦に島が包囲された沖縄戦を想い起したという(小笠原周辺海域の200隻にものぼる中国のサンゴ密漁船を監視する海上保安庁の監視船は、わずか5隻だという)。キャンプ・シュワブの海岸からは、海上保安庁の無数のゴムボートが出動して、カヌーに乗って新基地建設反対をアピールする人々を排除、拘束した。
【撮影:初沢亜利】
だが、こうした動きは、現場の闘いと県知事選を結び付け、辺野古新基地建設問題を争点として押し上げる結果となっている。
もちろん、翁長陣営も多くの内部矛盾を抱えている。確かに翁長那覇市長は、ここ10年、一貫して県外移設を主張し、オスプレイ配備に反対するオール沖縄の「建白書」を持って上京し、在特会などの罵声を浴びながら、銀座をパレードする先頭に立ってきた。
だが、小学校の統廃合や少年会館廃止などの街づくり政策では、市民運動と衝突する事例もあった。そうした市民運動の担い手は、そのまま反基地運動の担い手でもある。こうした人々に対して、山内徳信前参議院議員がキャンプ・シュワブのゲート前で語った「国共合作」のエピソードが有名になった。山内徳信は、日中戦争当時の中国の国共合作を例に引いて、小異を残して大同に就くことを説いたのである。
政府・自民党の姿勢を見れば、翁長が勝っても直ちに問題が解決するわけではない。さらに長い闘いのはじまりに過ぎない。消費税引き上げ問題と絡んで唐突なかたちで浮上してきた解散総選挙の話も、沖縄県知事選挙の敗北を視野に入れているのではないかと思えてならない。