ポリタス

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【沖縄県知事選】辺野古にとっての沖縄県知事選挙

  • 熊本博之 (明星大学人文学部准教授)
  • 2014年11月21日

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【撮影:初沢亜利】

◆速報の瞬間

2014年11月16日。僕は「ヘリ基地建設に反対する辺野古区民の会」の事務所にいた。「区民の会」とは、普天間基地の受け入れに反対する辺野古・豊原・久志(くし)の3区の住民によって1997年1月に結成され、紆余曲折を経て2014年3月に解散した「ヘリポート建設阻止協議会」、通称「命を守る会」の後継組織である。受け入れ容認の立場にたつ辺野古区行政に異議申し立てを行うことを目的に、辺野古区民のみによる組織として2014年の4月に再出発した。辺野古区民に限定したのは、辺野古区民でなければ辺野古区行政に意見をいうことができないからだ。

事務所にいたのは、代表の西川征夫さんとその奥さん、区民の会のメンバー5名(全員が高齢者だ)、辺野古についての映像作品を撮影中の立命館大学の学生Y君、そして自分の9名。テレビをつけっぱなしにしながら、時計の針を気にしつつ、おいしいおでんをいただきながら昔の辺野古の話などをしていた。

当確の速報がでる最初のタイミングは、投票が締め切られる午後8時。NHKは慎重なので、出るなら民放だろうと予想し、テレビ朝日系列の琉球朝日放送(QAB)にチャンネルをあわせていた。

速報のチャイムがなった。みな一斉にテレビ画面を見る。翁長氏当選確実のテロップ。緊張がほぐれる。ビールが配られ、西川さんの挨拶で祝宴が始まる。といってもそこは高齢者の集まり。喜びはじける、というよりも、みんながちょっとだけ元気になってしゃべっているという感じ。それはそれで、とても居心地のいい空間だった。

◆知事選の結果が辺野古区民に及ぼした影響

翁長知事が誕生することによって、普天間基地移設問題がどのような展開をみせるのか、沖縄県と日本政府との関係はどう変化するのか、そういったことについてはほかの寄稿者にまかせるとして、僕はこの知事選の結果が辺野古にとってどういう意味を持つのかについて書くことで、知事選の総括としたい。

今回、翁長さんが仲井真さんに約10万票もの大差をつけて勝ったことで、辺野古区民は、沖縄県民がこれほどまでに辺野古新基地の建設に反対しているということを、はっきりと自覚することとなった。もちろん、知事選前の情勢調査の段階で、県民世論の76%が反対していることはわかっていたが、「辺野古新基地反対」の世論が知事選の結果に結びついたのは今回がはじめてである。そもそも普天間基地移設問題が始まって以来、知事選で辺野古への新基地建設反対を明確に掲げている候補者が当選したのは、これがはじめてのことだ。

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【撮影:初沢亜利】

これで辺野古区民は、「本当はこないにこしたことはない」と思っている辺野古新基地の建設に、県民の過半数が反対していることを認識した。このことが辺野古区民の意識にどのような影響を及ぼすだろうか。

「区民の会」にとっては、まちがいなく追い風になる。投票日前日、西川代表は、「名護市の稲嶺市長が1本目の矢、翁長知事が誕生すれば2本目の矢がそろうことになる。条件付き容認決議を出している辺野古区が反対を表明することで3本目の矢となれば、なかなか折れない矢ができる」と、安倍首相もなぞらえていた「3本の矢」に絡めて、知事選後の予測を語っていた。その3本目の矢を打ち立てる上で、知事選での圧倒的な勝利は説得力のある武器となろう。

では「条件つき容認」の立場にたつ区民たちはどうだろうか。僕はここにも少なからぬ影響があると思っている。そもそも、辺野古区が受け入れ条件の1つとして提示していた世帯当たりの個別補償については、今年10月14日の衆議院安全保障委員会において、現行制度のもとでは不可能であり、特措法の検討もしていないという言質を、沖縄県選出の赤嶺政賢衆議院議員が防衛省より引き出している。この件については、赤嶺議員から西川代表に伝えられ、西川さんを通して区長にわたり、区民も知ることとなった。

この事実が、さざ波のような変化を辺野古の内部で起こしつつある。個別補償がないのであれば、新たな軍用地を生みださない辺野古新基地ができても、区民にはほとんど得るものがない。だったら反対した方がいいのではないかと考え始めた「条件つき容認派」住民が出てきはじめたのだ。

そんなゆらぎをみせつつある区民にとって、今回の知事選の結果は大きく響くだろう。もちろん「反対にまわる」ことの意味は、政府を慌てさせて圧力をかけ、特措法の制定を促そうという側面もある。しかしそれでも、辺野古が反対にまわることの意味は大きい。条件つきであるとはいえ、新基地を受け入れてくれる可能性を残しているのは辺野古だけだからだ。

◆見えなくなる辺野古と「辺野古」

だがしかし、今回の知事選で見えなくなったものがある。知事選で見えなくなったというより、知事選において普天間基地移設問題が最大の争点となったことによって、以前よりもっと見えなくなったといったほうが正しいのだが——。果たして、いったい何がみえなくなったのだろうか。

それはほかならぬ辺野古である。普天間基地の移設予定地となったことで、辺野古は18年間、カギカッコつきの「辺野古」として見られてきた。その結果、区民が生活を営んでいる地域社会としての、カギカッコのついていない辺野古が、不可視化されてしまったのである。

その傾向は、今回ますます高まったように思う。象徴的だったのは、冒頭で述べた「区民の会」で翁長さんの当確をみんなで喜び合っていたその瞬間、マスコミの取材者が1人もいなかったことだ。地元紙の記者がやってきたのは、区民の会のメンバーが帰宅した後、そのまま事務所に泊まらせてもらうという立命館大学のY君と話をしていたときだった。その記者曰く、シュワブゲート前が盛り上がっていたので来るのが遅れたのだという。

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【撮影:初沢亜利】

あのゲート前に座り込んでいる人たちがいる場所は、辺野古区民が日々の生活を営んでいる辺野古ではない。かれらがいるカギカッコつきの「辺野古」には記者が集まり、辺野古区民が集まっている区民の会にはこない。地元紙が総力体制で知事選に臨んでいたであろうことは想像に難くないので、人員不足などの事情はあったのだろう。だが地元紙が、辺野古を伝える場として、区民の会よりも「ゲート前」を選択したという事実はかわらない。

県知事選の最大の争点として「辺野古」が取り上げられれば取り上げられるほど、区民が生活している辺野古が見えなくなるという矛盾。そしてその矛盾は、別の形でも顕在化している。辺野古区民のIさんは、辺野古新基地は「ないならないほうがいい」、と言いつつも、立場としては「条件つき容認」の側にたっている。Iさんがやりたいのは、辺野古の「まちづくり」だ。

そのIさんに、投票日の翌日(11月17日)に会いにいった。Iさんは、防衛省が個別補償はできないといっているのであれば、「まちづくり」のための補償なら可能なのではないかと考え、再開発の案までつくっていた。でも、とIさんはいう。

「そもそも、『まちづくり』をやって地域を活性化させるなどという施策は、本来であれば国土交通省予算などでもやれるはずだ」

まったくもってその通りなのだが、辺野古の場合、再開発をしようとして行政や政府から予算を引き出そうとすると、その行為はすなわち普天間基地移設問題に直結してしまう。基地がらみの予算措置以外の選択肢が、実質的に奪われてしまっているのである。これもまた、基地負担に対する補償を求めている「辺野古」ばかりが表に立ち、地方の一地域である辺野古が陰になっているからこそ起きている現象だといえよう。

もちろんこうした問題は沖縄全体にとっても当てはまる。翁長さんは、知事に当選したその日の深夜0時からなされたTBSラジオの放送において、荻上チキ氏からのインタビューを受けるなかで、那覇空港の第二滑走路の建設について「なぜ、沖縄はね、何かをやる時にね、基地があるから作ってくれるという、このバーターみたいな話でね、(それを前提にした)話をするんですかと」と語っている。

◆辺野古に目を向けよ

Iさんはこんなこともいっていた。9月20日に辺野古の浜で5500人が集まる総決起集会が行われたけど、そこに集まった人たちは集落の中にははいってこない。レストランもあるのにそこで食べていくこともしないと。

僕は、総決起集会が悪いとか、ゲート前の座り込みがダメだとか、そんなことを言っているわけではない。ただ、そこはやはり「辺野古」であって辺野古ではないということ、そして辺野古が「辺野古」として見られることによって、辺野古に住む人たちの声が、届きにくくなっていることを危惧しているだけだ。

翁長知事誕生によって、これから辺野古はますます翻弄されていくことになるだろう。そこで、辺野古区民の意見が聞き届けられることなく、カギカッコつきの「辺野古」に基づいた意思決定がなされれば、辺野古区民はまたしても置いてきぼりである。

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【撮影:初沢亜利】

だからこそ、人びとが生活している場としての辺野古を見てもらいたいと思う。ゲート前に集まっている人たちも、ぜひ集落を歩いてもらいたい。


【撮影:津田大介】

メインストリートにあるレストラン「イタリアン」のAランチ、おいしいですよ。

〔追記〕 知事選と同時に実施された県議会議員補欠選挙の名護市区の結果も、なかなか興味深い。前県議の末松文信氏が2014年1月の名護市長選挙に立候補するために辞任したことを受けて実施されたもので、辞任した末松氏と、共産党の名護市議として11期つとめ、今年9月の市議選をもって引退した具志堅徹氏が立候補した。結果は具志堅氏が当選した。

仲村清司さんがポリタスに寄稿した記事にもあるように、県内各地の至るところに「共産党支配のオール沖縄!!」と書かれたポスターが貼られていた。

共産党支配のオール沖縄!!

まさにその共産党の元市議であった徹さんが当選したのは、痛快ですらある。そして一方の末松氏であるが、県議を辞して市長選に挑んで落選し、古巣に返り咲くこともできなかった。末松氏もまた、政府に翻弄され、様々なものを失うことになった1人なのだ。

著者プロフィール

熊本博之
くまもと・ひろゆき

明星大学人文学部准教授

1975年宮崎県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻をでて、現在は明星大学人文学部准教授。著書に『沖縄学入門』(共著、昭和堂)、『米軍基地文化』(共著、新曜社)、『持続と変容の沖縄社会』(共著、ミネルヴァ書房)など。ここにあげた3つの本では、辺野古が1950年代後半にキャンプ・シュワブを受け入れた経緯についても書いてあります。現在の状況と驚くほど似ておりますので読んでいただけると嬉しいです。また最近は、生まれ故郷である宮崎県の観光開発についての研究も進めています。国の政策による影響をうけやすいという点では、沖縄も宮崎もよく似ています。

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