ポリタス

  • 論点
  • illustrated by 今日マチ子

【沖縄県知事選】沖縄で問われるこの国の進路

  • 想田和弘 (映画作家)
  • 2014年11月13日

◆鳩山首相失脚で気づいた基地問題の本質

今回の沖縄知事選挙の最大の争点が、米軍普天間飛行場の返還・移設問題であることは間違いないであろう。

実際、琉球新報と沖縄テレビ放送が11月1、2日に行った世論調査では、投票先を決める際に最も重視する点として「普天間飛行場などの基地問題」が46.3%と最も高かった。沖縄県民ではない僕らがこの選挙の成り行きを固唾を飲んで見守るのも、まさにその理由による。選挙結果が沖縄のみならず、日本の「国」としての方向性に影響を与えかねないのである。

僕自身が米軍基地の問題に重大な関心を払うようになったのは、恥ずかしながら、つい最近のことである。2010年、当時の鳩山由紀夫首相が普天間基地を「最低でも県外」へ移設しようとして内外から袋叩きにあい、失脚させられた「事件」がきっかけだ。

あれは衝撃的だった。僕はそれまで、迂闊にも日本は主権国家であるとなんとなく信じていたのだが、その幻想が粉々に砕けた瞬間だった。なにしろ、日本国内にある外国の軍事基地をたったひとつだけ、どこか別の場所へ動かそうとしただけで、国民の圧倒的な支持を受けて就任したばかりの首相が辞めさせられたのである。確かに首相の政治的手腕は稚拙に見えたが、それだけがあの「辞任劇」が起きた理由ではあるまい。

よくよく考えれば、外国の部隊が国内に駐留していることそのものが、本質的には主権国家として異常なことではないかと思う。実際、「日米同盟」といっても米国に自衛隊の基地はない。

敗戦後70年近く経っても、日本はいまだに米国による占領状態にあるのではないか――。日本は国連に加盟し、あたかも主権国家のごとく振舞ってはいるが、実は完全な主権などない。「大事なこと」は宗主国である米国の承認なしに決めることはできないのである。

◆マスコミは誰の味方か

あのとき首相を無理やり引きずりおろしたのが、米国政府というよりも、沖縄以外に住む日本人であったことも、僕には大きなショックだった。

東京に本社を置く日本のマスメディアは、一斉に鳩山氏を攻撃した。その批判は、判で押したように「最低でも県外に移設するという、できもしない約束をしたことで、沖縄の人々の気持ちを踏みにじった」という、沖縄をダシにした卑怯な論法だった。

そして、沖縄に長年犠牲を強いてきた張本人である自民党の政治家含め、多くの政治家や日本国民が、マスコミと同じ論法で首相を攻撃し、最後には転向させ、失脚させた。

もし本気で「沖縄県民の気持ちを踏みにじるな」と言うなら、当然私たちは、鳩山首相らが進めた方針を後押しすべきだったのではないだろうか。沖縄県民の大多数は、当時から県外移設を望んでいたからである。

しかし実際に出た行動は真逆だった。本土の人間は、またしても自分たちの責任を不問に付し、沖縄をスケープゴートにした。あんな風に偽善を装うなら、「沖縄よ、大変申し訳ないけれども、日本の安全保障のために犠牲になってくれ」と正直にお願いした方が、よほどマシだったと思う。

◆日本は「51番目の州」か「属国」か

その昔、ある友人が言っていた冗談を思い出す。

「日本はアメリカの51番目の州のようだと揶揄されるけど、実際、州になった方がいい。1億2千万人の人口を持ってすれば、日本州出身の大統領も生まれ得るし、アメリカを乗っ取れる」

僕はあの2010年の事件を通じて、その冗談が実は冗談ではないことを悟った。もし日本がアメリカの州であったなら、普天間基地のような危険な基地はそもそも作ることは許されない。アメリカの国内法に明らかに違反するからである。

日本はアメリカの「51番目の州」ではなく、属国なのだと思う。

もちろん、日本は先の戦争であれほど滅茶苦茶な負け方をしたわけだし、当面、米国の意のままになるしか選択肢はなかったことも理解している。また、米国の属国という位置を利用して戦後の復興を遂げることができ、世界最高水準の優れた憲法を与えられ、主権国家のフリをしながら「民主主義」をある程度享受してきたのも事実だと思う。沖縄を犠牲にしながら。

しかし、私たちはいったいいつまで、沖縄を犠牲にし続け、属国の位置に甘んじるのであろうか。いや、その前に、いったいいつまで、主権国家の国民であるという幻想を後生大事に抱えて生きていくのであろうか。

冒頭で紹介した世論調査では、普天間飛行場の県外や国外移設を求める回答が計51.5%、無条件閉鎖・撤去を求める意見が22.3%。つまり県内移設に反対する意見は、合わせて73.8%に達している。

沖縄県民の意思は明らかだ。

その意思は選挙結果に反映されるのか。それとも反映されないのか。反映されないとしたら、それはなぜなのか。反映されるとしたら、その選挙結果は実際に辺野古移設を食い止められるのか。

この選挙では、公約違反をして辺野古移設を容認した仲井真知事に対して、いったいどういう判断が示されるのかという問題も焦点である。それは「民主主義」という観点から極めて重要である。

その点も含めて、僕は注視している。

著者プロフィール

想田和弘
そうだ・かずひろ

映画作家

映画作家。1970年栃木県生まれ。日米を行き来しつつ、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリー映画を制作。自民党公認候補の選挙戦を描いた『選挙』(07)、精神科外来をみつめた『精神』(08)、福祉の現場を描いた『Peace』(10)、平田オリザと青年団を追った『演劇1』『演劇2』(12)、近作は311直後の統一地方選を描いた『選挙2』(13)など、時代の相貌を切りとる作品を発表し続けている。受賞暦多数。著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)など。【photo:2013 司徒知夏】

広告