【撮影:初沢亜利】
◆翁長氏勝利だが
翁長氏が10万票近い差をつけて仲井真氏に勝った。投票率も少しではあるが上がったということなので、関心も高かったのだろう。辺野古移設反対という沖縄県民の民意は、示されたのだと思う。当選から数日間はどことなくお祝いムードもあり、出会う友人たちから「よかったねー」「おめでとう」というような挨拶も聞かれた。しかし私の不安な気持ちが晴れたわけではない。これからの道のりを考えるとどちらかというと気が重いというのが正直な気持ちだ。同じような気持ちの人は他にもたくさんいて、Facebook上などでは「これからが正念場」というような発言が増えてきた。「勝って兜の緒を締めよ」というのが今の私の心境である。
多くの離島から形成される島嶼県である沖縄が、文字通り一枚岩ではないことも明らかになった。宮古・八重山の離島地域では、翁長氏はことごとく負けている。やはりこれまで頼ってきた離島振興策の行方が心配の種になっているのだろうか。また翁長氏の言う「沖縄のアイデンティティ」が異なる歴史を歩んできた宮古・八重山・与那国において別の意味を持ってしまうことも念頭に置かなければいけない。沖縄(琉球)は彼の地からすれば支配者であった。そのことに対して未だリアリティを持って現在を生きている人も少なくないだろう。私たちはそういった歴史認識や地域の隔たりを乗り越えた「オール沖縄」という概念をこれから新しく生み出していかなければならない。
【撮影:初沢亜利】
◆新しい運動の模索
保守も革新も協力して選挙に挑んだという点では素晴らしく評価できる出来事であったとおもう。しかし私たち若い世代のどれだけがこの選挙に「熱く」なれたのだろうか。保守にも革新にもカテゴライズされない若者(若者だけではないとおもうが)たちの居場所がどれだけあったのだろうか。たとえば、私の友人の中には喜納氏を支持しバッシングされた人や、喜納氏に投票したことを言い出せずにいた人がいる。その様な空気を生み出したことに私は反省したい。何の気ないそういった雰囲気が、政治離れを生んでいる原因だとおもう。
そう、私自身のその様な経験から生まれたのが基地問題冊子『Picnic』だったのだ。2012年のオスプレイ配備の際、初めて普天間基地のゲート前の抗議現場に立った私は、どこか居場所の無さを感じていた。同じ世代がほとんどいなかった。しかも現場にいるのは抵抗しているのもウチナンチュ、機動隊も警察もウチナンチュ、米軍に雇われているセキュリティーもウチナンチュ。現場でもみくちゃに争っているのはウチナンチュ同士だった。
【撮影:初沢亜利】
アメリカ兵はその後ろで眺めているのだが、そんな彼らだって多くは18、19歳のただの一兵士。問題の責任者はどこにもいないことがショックだったし、現場から一歩離れると普通の日常生活が広がっていることに眩暈を覚えた。現場の抵抗だけでは無理があると感じ、これまで関心がなかった世代へもっとアピールすることや、とりあえず基地について語り合うことから始めないとダメだとおもった。その思いを冊子『Picnic』という形にまとめることができ、ある程度の反響を呼んだことがやはり、そういった新しい運動の形に対してニーズがあるということだろう。
◆居場所は自分でつくる
これからはどんどん新しい人たちが、自分たちの政治的な立ち位置の居場所をつくっていく時代だ。旧来の政党や団体の思惑とは一歩距離をとり、自分達らしいスタイルで表現していければいい。とにかく自分の頭で考え、「どういう沖縄になりたいのか」を仲間たちと話し合える雰囲気作りをしていこう。ただし他者への思いやりを忘れてはいけない。対立は心のフェンスを増やすだけである。感情の共有で互いのフェンスをとりはらっていくことこそ、基地問題解決につながる唯一の方法だと私は信じている。
【撮影:初沢亜利】