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【沖縄県知事選】沖縄、日本、米国それぞれの思惑

  • 田原総一朗 (ジャーナリスト)
  • 2014年11月11日

◆沖縄の怒りの在り処

僕がテレビの番組をやっていても、沖縄問題をやると視聴率がドンと落ちる。沖縄で「朝まで生テレビ」をやったときも、沖縄では盛り上がるのに、本土の視聴率は本当に低くなる。調べてみたら、どこの局でも沖縄問題を扱うと視聴率が低いことがわかった。なぜか? 本土の人間が「あれは沖縄の問題で自分たちには関係ない」と思っているからだ。ここが一番の問題で、だから沖縄の人たちが怒るのだ。

根幹には、日米安保条約と言いながら、結局米軍基地の74%を沖縄に押し付けて、本土の連中は安保の一番美味いところをさらっているという怒りがある。具体的なところでいえば、普天間基地周辺で複数の事件が起こり社会問題となった。「基地が過密する住宅街のなかにあって危険だから何とかしてくれ」という近隣住民たちの要求があり、自民党政権時代に基地を辺野古へ移そうと決めた。普天間と比べると辺野古は人が少ないため、危険度が遥かに低いという理由からだ。そのために野中広務氏、あるいは岡本行夫氏といった色んな人たちが随分努力して、一時は沖縄県知事も、名護市長も、地元の議員たちも大体がOKをした。

ところが民主党政権になって「米軍基地の74%を沖縄に押し付けている状況はまったく良くない。不当である」と鳩山由紀夫氏が述べた。それこそたとえば海外、グアムやそれに近い島に普天間の基地を持って行くのはどうかなど、いろいろ考えたが、結局それはどうやらダメらしいということになった。そこで鳩山氏が最低でも県外に移すと言った。沖縄の人にしてみれば、普天間の基地を沖縄以外の所に持っていくのは全面賛成だ。ところが土壇場になって、実は鳩山氏の「最低でも県外」に根拠がないことがわかってしまった。最終的に鳩山氏は沖縄県民を裏切るかたちで、米国と辺野古移設の約束をしてしまった。こうして地元の怒りが爆発したのだ。

◆沖縄と政府、それぞれの思惑

まず大きな構造でいえば、結局国は沖縄に金をつぎ込むことで沖縄の不満を和らげてきた。この裏返しで、沖縄も国からの補助金がないと経済的にやっていけない状況がある。現職の仲井真氏が当初の意見を翻し、辺野古の埋め立て申請を承認したのも、国が沖縄に対し、振興予算として2021年度まで毎年3000億円もの多額の金を注ぎ込むことにしたからだ。しかし、これは沖縄県民にしてみれば、とにかく騙されたということにほかならない。

先日のスコットランドの独立運動は選挙で負けてしまったが、沖縄でも独立運動が一定の支持を得ている。ただ沖縄が独立しても、財政的に成立しないだろうという意見が強い。「沖縄に基地があるから開発や観光誘致など新しいことができない」という声もあるが、そもそも基地があるからこそ国から金がくるということを忘れちゃいけない。地元には基地で働いている人も、基地に土地を貸している人も大勢いる。単純に基地がなくなれば沖縄が良くなるかといえばそうも言えない現実がある。翁長氏の選挙戦略で脱基地依存の経済政策を前面に出しているのはそれを言わないと本当の反対闘争にならないからだ。この点で基地反対運動は反原発運動に似ている。原発というのは危険なものだというのはみんなわかってる。だけれども、原発をなくしたときにはたして再生可能エネルギーで原発の発電分が補えるのかという話になると、誰もが「将来は補うようにしないといけないけれども早急には無理だ」と言う。基地だって将来はなくした方がいいに決まっているが、一気になくすことはできない。結局なかなかこれのクリアな回答が出てこないのだ。

だから沖縄独立運動を、日本の政府はそれほど心配していない。「できっこない」と思っているだろう。だが、今後沖縄独立運動に加担する人が増えていくようならうかうかしてもいられない。それほど本土に対する沖縄の人々の怒りは根が深い。早い話が沖縄は、かつて米軍に占領されていたとき、主権が回復すれば——すなわち日本に戻れば米国の基地が減ると思っていた。だが、実際はそうならなかった。そのために沖縄で本土復帰とは「米国と日本政府が沖縄のわからないところで共謀し、つまりは沖縄を犠牲にした」と認識されているのだ。

◆今後の沖縄の歩む道

おそらく今回の沖縄県知事選は、辺野古移設反対を掲げる翁長氏が勝つだろう。

だが、県知事には基地の建設を止める「権利」はない。翁長氏も仲井真氏のように最終的に国に押し切られてしまう可能性はゼロではない。ただこれから国がいざ基地建設を推し進めていったときに名護市長と沖縄県知事が組めば、かなりの確率で建設を阻止できることも事実だ。翁長氏が勝利するということは、選挙後に「沖縄と国との戦い」が始まるということである。いまもっとも政府が恐れているのは、辺野古の反対運動をする沖縄県民がスクラムを組んで、それを機動隊が排除しようとする際に流血の事態が起きることだ。流血の事態が起きたらそこですべてがストップ——辺野古移設は断念せざるを得なくなるだろう。僕はその可能性は結構高いと思っている。状況が決定的に有利になるのだから、沖縄の県民の反対運動の中にもできれば流血の事態を起こしたいという部分もあるのではないか。

もし辺野古強行が無理だということが決定的になるようなことになれば、もちろん政府と沖縄の関係が悪くなる。ただし、別のシナリオも考えられる。米国が対中戦略の関係で普天間基地を海外に移す可能性があるからだ。米国は冷戦時代、対ソ戦略の拠点として沖縄を重要視していた。だが、冷戦が終結し、対中戦略を考えなければいけなくなったいま、沖縄の位置付けも変わった。沖縄は対中戦略の拠点とするには地理的に中国に近すぎるのだ。現在の米国は「沖縄では嘉手納さえあればいい」と思っているはずだ。そして日本政府も本音では普天間がグアムあるいはグアム近隣の島へ引き上げることを望んでいるのではないか。辺野古移設問題を単なる基地反対運動として捉えても問題の本質は見えてこない。辺野古は沖縄、日本、米国それぞれの思惑が複雑に絡み合うことで生まれる「沖縄の抱える問題」が凝縮された特別な場所なのだ。

著者プロフィール

田原総一朗
たはら・そういちろう

ジャーナリスト

1934年、滋賀県生まれ。1960年、岩波映画製作所入社、1964年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。1977年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。 現在、早稲田大学特命教授として大学院で講義をするほか、「大隈塾」塾頭も務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。また、『日本の戦争』(小学館)、『塀の上を走れ 田原総一朗自伝』講談社)、『誰もが書かなかった日本の戦争』(ポプラ社)、『田原総一朗責任 編集 「殺しあう」世界の読み方』(アスコム)、『おじいちゃんが孫に語る戦争』(講談社)など、多数の著書がある。

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