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【沖縄県知事選】沖縄がずっと抱えてきた何かがあふれ出ればいい

  • 新城和博 (沖縄県産本編集者)
  • 2014年11月11日

◆「独立」できなかった沖縄

今回の選挙は、1995年の米軍兵士による少女暴行事件から端を発した抗議行動、本土復帰後最大と言われた8万5000人の沖縄県民による抗議集会から19年間のひとつの決着が出る、と感じている。あの時、沖縄県民が日米両政府に「沖縄の米軍基地の整理・縮小、そして撤去」を要求するのは、一種の「独立宣言」ではないかと、僕は思っていたのだ。

しかし一年後に行われた全国初の県民投票は投票率59.3%、賛成率89.03%という微妙な数字であった。その結果をもとに米軍基地の整理縮小と日米地位協定の見直しを迫るはずの沖縄県は、直後「苦渋の決断」という言葉のもと「公告縦覧代行」に応じた。この時あくまでも国と対峙していたらどうなったであろうか。沖縄の思いは、こんなふうにいつも表面張力ぎりぎりのところでとどまっていた。そしていつのまにか普天間基地の撤去の課題は新しい代替基地建設案問題にすりかわった。

1998年革新系の大田昌秀知事が自・公と沖縄経済界が推した稲嶺恵一候補に敗れた時の選挙キャンペーンのフレーズは「県政不況」。広告代理店的手法が目立つようになった選挙キャンペーンの言葉は軽かったが、この時の選挙の緊張感は尋常ではなかった。国と対決姿勢をぎりぎりになって示した大田県政が敗北した時の脱力感は忘れられない。

◆予定調和からむき出しの思いがあふれる選挙に

この選挙以降21世紀に入って沖縄の選挙はまったくつまらないものになった。自公体制と革新サイドの弱体化など、何かが変わるかもしれないというワクワク感をまったく興させない状況が続いた。つまり日本中央よりも「日本的」な選挙結果が続いた(まぁこれは個人的な感想だけど)。

その後も沖縄は基地関連以外でも様々な事件・問題で全県的な抗議集会が開かれてきたが、現状は時の県首脳部による「現実的対応」のあげく、袋小路のまま「閉塞感」が増大していくばかりであった。決定的だったのは、去年年末の仲井真弘多知事が「辺野古沖埋め立て申請許可」へとその身を翻したことだろう。

沖縄の心情は、この19年間、現実的対応と閉塞感の間で、表面張力をたもったまま一度もあふれ出すことがなかった。「平和か経済か」という幻想の二者択一から逃れられないのである。しかし今回、 16年ぶりに知事選においては、自・公の枠がはずれ、保守・革新という構図もぐちゃぐちゃになり、沖縄の思いがむき出しになろうとしている。

一度あふれ出させればいいのだと思う。そうしないと流れが変わるかどうかわからないではないか。翁長雄志候補が訴える「オール沖縄」という言葉は諸刃の剣であろう。「イデオロギーよりもアイデンティティー」というフレーズもそう。でも、それでもだ、今回は僕はそういうことを全て呑み込んだうえで「基地建設阻止」のみに焦点を当てて、「平和に機会を!」という理想を持つための選択をしたい。沖縄がずっと抱えてきた何かをあふれ出させたいのだ。今回の選挙でその光景をぜひみてみたい。

著者プロフィール

新城和博
しんじょう・かずひろ

沖縄県産本編集者

1963年沖縄島那覇市生まれ。沖縄の出版社ボーダーインクに編集者として勤務、沖縄に関する様々なコラムを執筆し、著書に『ぼく沖縄〈復帰後〉史』『うっちん党宣言』『道ゆらり』『ンパンパッ!おきなわ白書』『〈太陽雨〉の降る街で』『うちあたいの日々』(ボーダーインク)がある。

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