ポリタス

  • 視点
  • illustrated by 今日マチ子

【沖縄県知事選】「ネット右翼」はなぜ沖縄の米軍を擁護するのか?

  • 古谷経衡 (評論家/著述家)
  • 2014年11月15日

11月16日に投開票を控えた沖縄県知事選は、普天間飛行場の辺野古への移設に反対する翁長雄志氏(前那覇市長)と容認派の仲井真弘多氏(現職)の接戦となっている。

そんな中、「ネット上で右派的、国粋主義的な言動を行う人々」=通称「ネット右翼(「ネット保守」とも呼ばれる)」界隈では、基地移設容認を掲げる仲井真氏への支持が圧倒的に強い

彼らは、沖縄における反基地運動や集会を「反日左翼の仕業である」として、強い呪詛の対象として捉えている。加えて沖縄の米軍を「日本を護る存在」として捉え、在沖の米兵を悪者のように言うのは、「反日だ」と罵っている。

インターネット空間の中では、翁長氏に対する中傷も百花繚乱である。曰く「氏は支那(中国)から支援を受けている」「氏が知事になれば沖縄が中国に占領される」云々である。「ネット右翼」がこのように時として過激な「反基地」「反米軍」への敵意を剥き出しにするのはなぜか。

このようなネット空間での「基地擁護」と対になった「基地反対派への呪詛」の理由を知るには、まず「ネット右翼」の構造自体を俯瞰する必要がある。

◆「保守」と「ネット右翼」の違い

まず私は、「保守」と「ネット右翼」を常に分けて考えるようにしている。

「保守」とは、戦後日本の中で、全国紙「産経新聞」と、論壇誌『正論』を中心として(所謂「正論路線」)伝統的に自民党清和会(福田派)のタカ派的国家観を支持する人々の事を指す。言わずもがな、この正論路線のイデオロギー的骨子は「反共」と「親米」である。

これに対して「ネット右翼」は、こうした「保守」の自民党的出自とは違う、全く別の場所=インターネット空間から発生したクラスタ(集団)である。特にゼロ年代の初頭、2002年の日韓ワールドカップ前後からその傾向が顕著となったつまり「保守」と「ネット右翼」は、その「出自の違い」でもって明確に区別することができるのである。

ところが、本来「保守」とは全く違った出自に由来する「ネット右翼」の主張や見解は、「保守」の理屈と余り変わらない。なぜなら、ゼロ年代以降に登場してきたインターネット空間における「ネット右翼」の依拠する理論的支柱は、「保守の理屈」に寄生しているからである。これは例えば、「保守」の論客が「中国脅威論」を唱えれば、ネット右翼が「支那人けしからん」、「日米同盟強化」を唱えれば「米軍基地に反対する人間は全員反日」という理屈になる。

なぜ「コピー」ではなく「寄生」なのか。それは、実のところ「保守」と目される人々が出版したり寄稿したりする本や雑誌の詳細を読むこと無く、そのヘッドライン(見出し)のみを観て自説に採用しているからである。「コピー」は原文を引用する場合があるが、「ネット右翼」はそもそも原文を読まず、「保守」の言う理屈のヘッドラインと目次しか見ていない

だから本当は「中国脅威論」にもそれなりの軍事的な分析や薀蓄が含まれているのだが、そうした部分を一切無視してタイトルだけを拝借して「支那人けしからん」というふうになる。まこと「保守」から発信される情報の、そのヘッドラインにだけに寄生する「ネット右翼」のこうした行為を、私は「ヘッドライン寄生(見出し寄生)」と名づけている。

沖縄基地問題に関する保守とネット右翼の関係

つまり「ネット右翼」の言説の上流にあるのは、ほぼすべて「保守」と目される人々による理論である、と観ることができる。「ネット右翼」は体系化された「保守」の理屈にそのまま寄生し、ヘッドラインだけを見て表現を過激に加工することで自身の理屈に採用しているきらいがある。

◆「保守」に寄生する「ネット右翼」

なぜネット右翼が在沖米軍を養護し、それに反対する人々を激しく呪詛するのか―-それは「ネット右翼」が寄生している宿主である「保守」が、「親米」だからである。

試しに、現在YouTubeで50万回近くの再生回数がある「『5分でわかる!』沖縄から米軍基地が無くなったら」というネットユーザーが匿名で投稿した動画を視聴してみる。「沖縄が平和なのは、米軍基地が存在しているからだ」という、典型的な「親米保守」の「米軍抑止力」理屈に依拠している。

問題なのは、この動画の中に登場するある保守系のジャーナリストが、「もし、沖縄から米軍が撤退したら、中国人民解放軍の工作員が忍び込んで、あっという間に沖縄が中国に占領される」という自説を、傍証としてこの動画の中に引用していることだ。

しかしこの自説は、あくまで彼の「シミュレーション」に過ぎない。しかも動画内で引用されているこの場面というのは、安保政策でタカ派的価値観を標榜するある宗教団体が母体となって設立した、宗教系出版社から刊行された書籍の、特典付録映像として収録されたDVD映像からの引用なのである。

私はジャーナリストが宗教団体に関与するべきではない、と言っているのではない。宗教団体が製作するビデオ番組に出演するべきではない、とも言っていない。

しかし、「沖縄に中国の工作員が紛れ込んだ末、中国軍が沖縄を占領する」というストーリーは、数多くの(突拍子もない)可能性の中の一つに過ぎないが、こうした「親米保守」と目される保守派の人々が「シミュレーション」として語った筋書きの一つが、まるで「重大な根拠」のようにしてネット動画の中で引用され、それがネット空間の中で拡散されている現実がある。「ネット右翼」が如何に「保守」の「論調の一部」に寄生し、それを無批判・無検証に拡散しているのかが、分かるだろう。

◆問われる「保守」のカタチ

たしかに、中国の軍事費は毎年10%以上のの増加をみせており、不透明な部分も多く指摘されている。中国人民解放軍は特に空軍力と海軍力の近代化を急いでおり、現代戦に不可欠な無人機の開発も怠っていない。南沙諸島、西沙諸島での中国軍とベトナム、フィリピンなどとの緊張と衝突は現実問題として起こっている。いまや世界第2位の経済大国になった中国に対し「中国脅威論」が展開されるのは無理もない(ただし私は、軍事的な観点から、中国軍の沖縄本島侵攻の能力は現段階ではほぼゼロであると考える)。

その抑止力として、沖縄に米軍を存置させるのが、日本の安保政策にとって必要不可欠だ、という理屈は理解できる一方で、反基地運動を展開し、米軍に嫌悪感を示す人々を「反日、中国の手先」と決めつけるのは愚の骨頂だ。

翁長雄志氏は、選挙戦の演説の中で「私は保守の政治家である」といった。本土の保守派が聞けば、「辺野古移設反対で日米同盟に亀裂がはいるというのに、何が保守だ!」と怒る人が大勢いる。しかし、その理屈はあくまで「親米保守」の理屈であり、多分翁長氏が言う「保守」の姿とは違っているのだろう。

一般的に「保守」とは、「伝統や文化を守り、育てていく姿勢」と理解されている。沖縄から基地をなくし、沖縄が先祖から受け継いだ伝統的な土地を回復する、という主張は、おそらく沖縄にとっては「最も保守的」で「ナショナリスト」的な立ち位置なのかもしれない。

私は同じ日本人である沖縄県民が、米軍の兵士に乱暴されたり、陵辱されるのを「安保のためのやむを得ない犠牲」と黙って見過ごす態度が、本当の愛国的態度だとは思えない。本土の保守は、「親米保守」にこだわるあまり、そうした沖縄の「ナショナリズム」を蔑視し、侮っている。時として本土の保守の無思慮な物言いが、沖縄の人々を傷つけているとさえ感じる。

沖縄県知事選挙は辺野古移設を問うもの以上に、「保守とはなにか」という根源的な問いかけを行っている。

著者プロフィール

古谷経衡
ふるや・つねひら

評論家/著述家

1982年札幌市生まれ。立命館大学卒。NPO法人江東映像文化振興事業団理事長。ヤフーニュースや論壇誌などに記事を掲載中。著書に『インターネットは永遠にリアル社会を超えられない』『若者は本当に右傾化しているのか』『クールジャパンの嘘』『欲望のすすめ』など多数。TOKYO FM「タイムライン」隔週火曜レギュラー。

広告